僕の出身地である静岡県の島田市は、浜岡原発から30km圏内の町です。物心がついた頃から“必ず来る”と繰り返し注意が喚起されている東海地震のことを思うと、正直言ってとても不安な気持ちになります。現在は停止中の原子炉ですが、冷却機能を失ってしまえば、起きる事態は同じです。
そういう心配を心に抱く傍らで、実はそれほど浜岡原子力発電に馴染みが無いという現実。原発近くの町で生まれ育ってもです。小学生の頃に行った原子力資料館についてのおぼろげな記憶だけで、本当に浜岡のことを理解できるのか? そういう気持ちがムクムクと心の中に立ち上がりました。六ヶ所村の核燃料再処理施設や上関町の田ノ浦、そういった町に実際に訪れて思ったことが、行く前と後では全く違うことも、思い返しました。

まずは新エネルギーホールへ行きました。「自然のちから、みつけよう!」という標語がお出迎え。案外、自然エネルギーについては肯定的な立場なのかと、そんな想像が膨らむ外観です。

でも、今泉さんとの対談記事にもあるように、本当は“新エネルギー”ではなくて、“再生可能エネルギー”と呼ぶべきなんですよね。そのあたり、あくまで自然エネルギーはまだまだ新参者だという扱いなのでしょうか。気になるところです。

続いて、浜岡原子力館へ。


日本の原子炉、実は一基たりとも廃炉が完了したという実績がないのだそう。廃炉と言っても簡単なことではないという話も聞きます。造ってしまうと元に戻すことがかなり難しく、とても長い年月がかかること、このあたりも忘れてはいけませんね。実績がないということは、出来るかどうか分からないということでもあります。1号機、2号機のある場所が更地に戻るのは何十年後でしょうか...。
原子力館の中には、福島第一原発で事故を起こした原子炉と同じ型の原寸大模型が展示されています。大きさにも驚きますが、配管などの細かさにも目がいきます。TVで放送されていた簡易的な図説とは印象が違いました。


巨大地震ならば、格納容器の外の配管のどこかがポキっと折れてしまうことはないのか、素人の目では不安に思ってしまいます。あくまで模型を観ての感想ですが。ただ、とても厳重に格納容器が造られていることは、ふたつのサイズの模型を見学して分かりました。あとは、不謹慎かもしれませんが、構造物としてある種の美しさも感じました。当時は、最先端の夢の精密機械だったのだと想像します。

そう言えば、5号機では、その部分が破損して、海水が流入してしまうという事故がありましたよね。冷却というのは、原子炉の安定的な停止にとっての肝なのでしょう。ここが壊れてもダメなのだということを理解しました。

そして、実際に作業員が現場から出て来るときに通るゲートでは、線量計の単位がmSv(ミリシーベルト)であることに驚きました。僕らが年間の積算で2mSvという数値でビクビクしているなか、小数点以下が設定されているとはいえ、当たり前のようにmSvという単位が表記されています。改めて、原子力発電所の技術者の皆さんの大変さを思いました。

でも、なんだってそうかもしれませんよね。石炭火力発電だって、どこかの国の炭坑では落盤事故が起きるかもしれない。後進国では、貧困にあえぐ子供たちが素手で石炭を掘っているような場所もあります。先進国が湯水のように使うエネルギーと欲望を満たすために。
エネルギーをシフトさせていくスピードについては様々な議論があることが正しいのだと思います。スイッチのON/OFFみたいな話ではないということも理解しています。ただ、社会全体の方向としては、自然からのエネルギーを増やしていく、持続可能なかたちで活用できるような技術革新を促していく、転換していく、こういった流れは否定できないものだと僕は考えます。そうしていくことが、僕たちの社会にとっての本当の意味での利益になるのだと思います。
後編につづく