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農業のゆくえ-千葉-

THE FUTURE TIMES第3号の特集は、『農業のゆくえ』です。農業というレンズで現在の社会をのぞき見ようというのが、今回の特集のテーマ。
——農業は人間が自然と共生する営みであると同時に、科学技術の結晶でもある。
そしてその結晶は、土に代わる環境を人工的に作り出し、作物の味や品質をコントロールすることを可能にした。
〝水耕栽培〟と呼ばれる方法で実ったトマト、農業のフロントがここにある――

取材/文:頓所直人 撮影:田頭真理子

千葉県・香取市

土に頼らないトマト作り

人間の欲は、どこまでも深い。もっとおいしい野菜を食べたいという欲求は、野菜の作り方を大きく変え、農業技術の発展を推し進めてきた。
そのひとつに土を使わない〝水耕栽培〞がある。日本での歴史は戦後から始まるが、農業=土という考え方が根ざすこの国では、まだまだ新しい分野といえる。
野菜の一大生産地である千葉県。その北東部にある香取市で特殊な水耕栽培のトマトを作り、『みつトマト』の銘柄で高い評価を得ている生産者がいる。伊原努さんだ。
50代で〝若手〞と言われる日本の農業にあって、伊原さんは26歳と若い。東京農業大学を卒業後、地元に戻り、農事組合法人和郷園の一員として水耕栽培のトマト作りを始めた。今年で5年目になるという。

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「今の日本は、量よりも質のほうへ消費者の目が向いています。ニーズに応えて美味しいモノを作りながら、同時に収量をあげて事業としても成立させる。それらを実現するのに、水耕栽培は向いていると思います」

ビニールハウスに入ると、枝を伸ばしたトマトが人の背丈ほどの高さから吊るされたロープに絡まり、葉を繁らせている。その〝緑のカーテン〞のところどころに、真っ赤に熟れたミニトマトが色鮮やかになっている。あたりには、受粉をうながすハチもブンブンと飛び回る。

「トマト農園って、どこも大体こんなものですよ」

ところが、ふと足元に目を転じると、そこにむき出しの土はなく、合成繊維で編み込んだシートが地面を覆っている。伊原さんがしゃがみこんで、トマトの根元の本来は土であるはずの部分を“めくって”くれた。

「下から順に説明しますね。地面を覆うシートの上に、肥料を通すチューブが這っていて、そこに医療現場などで用いられる特殊なビニールフィルムをかぶせています。 フィルムの上には、ピートモスって呼ばれてるんですけど、園芸などで使う土の代わりになる素材を薄く敷き、そこにトマトを植える。同じく、トマトに水をやるためのもう1本のチューブも、フィルムの上に通っています」

地中深くに根を張って、という畑のイメージからは程遠いが、どんな仕組みでトマトが育つのだろうか。

「下のチューブから出る肥料はすべてコンピュータで管理しています。フィルムにはつねに肥料が浸透している状態なんですけど、そのままではトマトに養分は届きません。トマトは肥料.を吸い上げようとひたすら頑張って、フィルムにビッシリと根を張るんです。圧力が加わることで、やっと肥料がしみ出して養分が得られる。これってトマトにとってはストレス状態なんですよ。どんな野菜も大抵ストレスを感じると甘くなるんですね」

さらに、フィルムの上のチューブから出る水の量を調整することで、効率的に収量が上がるような状態を生み出しているのだという。

「ただうまいものを作るだけでは、事業として成り立っていかないですからね。しっかりと再生産をしていかなければならないので、収穫量のほうも必要になります。そのために、フィルムの下の部分で味を作り、上で収穫量を増やしていく。その両方を適度なバランスでやってあげると、おいしいものがいっぱい取れるということになるんです」

水耕栽培のメリットを生かした、とても計算されたやり方である。

「美味いトマトって匠の技が必要で、10年以上やっている農家がようやく作りだせるようなものなんです。それこそ、肥料の配合や量、土の質によっても育ちの良し悪しが出ますからね。砂地だとか粘土質といった違いや、肥料のもちが良い土、悪い土もあります。さらにはトマトの前に何を作っていたのかによって、土の中の窒素、リン酸、カリウムなどの量が変わってきますから、そこも関係してきます。ですから、良い土を作るというのは難しくて、見極めには経験が要る。良いものを作るには、まず土づくりと言いますからね。微生物をたくさん入れたり、発酵したモノを入れたり、その人なりのオリジナルブレンドがあるんです。そういったノウハウが要求されるわけです。その点、水耕栽培は土に依存しないので、比較的誰でも美味しいモノが作れるんです。肥料分や水分といったことも、コンピューターを使ってデジタルコントロールできますから、経験のない人でもある程度、やりやすいかなと思います」

土に頼らない水耕栽培は、別の可能性も秘めている。

「平らな土地でハウスが建てられれば、極端な話、下がコンクリートでも砂漠でもできます。ですから、東日本大震災の津波で塩害を受けたところでも、水の確保さえできれば充分に栽培できると思います」

「お天道様には勝てません」

この農園では、毎年8月下旬に苗を植え、翌年7月下旬まで収穫していく〝一年一作〞方式を採っている。今はまだ技術そのものが新しいため、肥料や水の量など、すべて機械頼みというわけではなく、伊原さんの判断による部分も大きいが、それでも一般的な土耕栽培に比べると手間はかからないように見える。

「多少は、軽くなると思います。やはり、一般的なやり方では、重機やトラクターなどが必要になります。実はそうした経費がバカにならないんです。ハウスだけじゃなくて、トラクターも用意してとなると、初期投資だけでいっぱいいっぱいになってくると思います。でも、水耕栽培はそういった機械を必要とせず、基本的に人力でやれるので、収支の面では比較的いいかと思います。とはいえ、なにせ相手は生き物ですから、手を抜くとすぐダメになりますね」

そのため、どうしても伊原さんのお休みは少なくなるそうだが、農作業はまったく苦にならないと話す。

「水耕栽培でも、虫や病気の心配はあります。最近、トマト界で問題になっているんですが、害虫のコナジラミが黄化葉巻病という病気のウイルスを持っていて、かかると葉が委縮して成長が止まってしまう。そうならないための保険として、農薬を使います。ただ、農薬は規制が厳しいですからね、時間が経つと分解されるように作られているんです。だからウチのトマトは、もいでそのまま食べられますよ。どうぞ味見なさってください」

プツッと張りのいい皮に歯を立てると勢いよく果汁が飛び出し、野性味溢れるトマト本来の風味と共に、濃厚かつさわやかな甘みが広がる。とても美味い。まさに夏の味と言いたいが、ここにも思い違いが。

「トマトは夏が旬っていうイメージがありますが、実は春なんです。強い光と冷涼な環境が最適なので、本来は3、4、5月が一番いい時期です。なので、季節による寒暖の動きを見ながら、年中、トマトに適したハウス内の室温環境を作っていくことも、骨が折れますね」

電子制御の機械で、肥料と水をタイマーでチューブに流し、土埃の立たないハウスのなかで栽培する。それだけ聞くと農業というより、科学に近いようにも感じてしまうが、実際に生き物を育てるという目線で現場に来てみると、そうした考え方も見直す機会となる。

「水耕栽培では、科学的な知識も必要ではあります。ただ、そうは言っても僕らは農家ですから、暑い寒いに左右されるんです。やっぱりお天道様には勝てませんよ」

そういって笑う伊原さんの笑顔には、地べたに足をついて生きる人の醸しだす、土臭さが滲み出ていた。

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窒素やカルシウムなどがまざった肥料は、機械で設定した時間にタンクからチューブへ自動的に送り出される。

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水耕栽培の「土」にあたる苗床の部分。地面をシートで覆うため、土が含む湿気などの影響を受けずに栽培ができる。

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全部で3棟あるビニールハウスでは、年間で約70トン弱のトマトが獲れる。伊原さんは毎日7時過ぎから17時頃まで作業を行うという。「育っていく様子は、なるべく近くで見ていてあげたいんですよね」

(2012.9.5)