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Ken Yokoyama(ロックミュージシャンと未来)

政治的な発言も、下ネタも、世の中を憂いていることも、選挙へ行くことも全部をひっくるめて、自分ができることとして音楽を鳴らしてきたロックミュージシャン・横山健さん。一貫してブレのない姿勢で在り続ける横山健さんのロックミュージシャンとしての思いを編集長・後藤正文が話を伺いました。

取材/文:石井恵梨子 撮影:外山亮介

思想や在り方がその人をオンリーワンにさせる

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横山「いやぁ、今回は眼鏡対談ということで」

後藤「(笑)、前から健さんと話したいと思っていて。ジャンル分けみたいなのは嫌いですけど、やっぱり震災以降、パンクスと言われる人たちが積極的に体を使って動き始めたじゃないですか。僕らからするとひと世代上で、DIYの旗印を掲げてやってきた人たち。もう自分たち独自のルートでどんどん動き出したっていうのが印象的だったし、すごく励みになったんですよね。僕らの世代はちょっと億劫というか、動くのに時間がかかってしまう。それでも半年ぐらいでなんとか合流できたから、良かったなぁと思うんですけど」

横山「うん。まぁ俺は世代とかジャンルではあんまし考えてないけど、震災直後、ほんとにすぐ動いたのがSLANG、KOだったよね。あと別のやり方で物資集めたり発信しはじめたのがTOSHI-LOWで。すぐ動いたっていうのは特徴的だったかもしれない。ゴッチなんかはさ、震災後、様子伺いながらだけど、だんだんものすごい強い発信をしていくようになったよね。多分、もっともっと検証が必要だったのかな。昔から原発のこと考えてたのに『ほら言ったじゃないか!』とはすぐに言えなかったよね」

後藤「そうですね。『ほら言ったじゃないか!』っていう言い方が一番良くないんじゃないかなって」

横山「それね、ゴッチが頭良すぎるのよ(笑)。周りに論客が多いから、気になっちゃうんだろうね」

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後藤「あと直感的に、すぐ言ってもダメだなと思ってましたね。3年後にも言い続けるために、まずどういう準備をしようかと。僕、ライブでは自分のアンプの上にチベットの旗立ててるんですよ。北京オリンピックのとき、何度目かのチベタン・フリーダム・ムーブメントがあって、人いっぱい集まってきたじゃないですか。でも気づけば誰もいなくなって。聖火リレーに反対したり長野に集まったりした人たち……どこ行ったのかな? って思うんですよ。そこに対しても旗立ててるところがあって」

横山「運動ってものは、誰かひとりがしっかり立ってないと続かないよね。特に日本でのチベット問題って、ビースティ・ボーイズが持ってきたものであって。彼らがいないと、あるいは彼らの代理をちゃんと務める人間が日本にいないと、なかなか続かない。全部背負って全部責任取れるって奴が旗を振り続けないと、推進力を失ってしまうもので。チベットに関しては、俺もゴッチの発信を見て、改めて思い出させてもらってる」

後藤「チベットもそうだし、被災地のことですら1年でだいぶ風化しているように感じます。この原発問題もそうなるんじゃないかって不安がある。一過性で『放射能怖い、再稼働反対』って言いながら、5年くらいで忘れてしまうんじゃないかって。だから当時から、続けてやろう、っていうひとつのテーマはありました」

横山「大事なことだよね。この『The Future Times』も、継続してやるっていう覚悟であり、自分に対する鼓舞であり、声明であると思うのね。見かけると俺も勇気づけられる。おっ、ゴッチやってるな、って」

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後藤「ありがとうございます」

横山「音楽家ってね、ドレミを並べて楽器を配置してアーッていうだけが音楽じゃないもんね。俺はもう、常にその立ち方が見られてると思ってる。ちょっと残念な話をすると、コードの羅列とかメロディなんてものは出尽くしてると思ってるの。でも、何がその人をオンリーワンにさせてるかっていうと、やっぱりそいつの思想とか在り方だと思うのね。どんな人の影響受けていようが、自分で確立した思想っていうのは、ときとして音楽よりも確固たるものになる。そこをお客さんはキャッチしてくれてると思うの。意識的だろうと無意識的だろうと。だからこういった活動ってものすごく大事。『音楽と関係ねぇじゃん』って言う奴もいるかもしれないけど、いやいや、そんなことない、真逆ですよ、ってすごく思う」

後藤「『音楽だけやってろ』って言われるても、アホが来たな、って思うだけですよね。全然そんなことじゃ傷つかない」

横山「俺もゴッチもフォロー数は多いほうだと思うのね。だからやってる、っていうのあるよね? 『あなた有名人なんだから、自分の影響力を考えてモノを言いなさい』とか言われるけど、逆だと思う」

後藤「有名人っていう言葉は難しいですけど・・・。でも、影響力があるのもわかって言葉を選んでますからね。覚悟もある。ある程度の反対意見があるのもわかってて。だって、こんだけのことが起きて何も言えないんだったら……」

横山「ねぇ! なんのために音楽やって人前に出てって、人に名前覚えてもらって生きてるんですか、って思うよね」

後藤「あと……なんていうか、パンクとかロックミュージシャンが言い出すっていうことは、よっぽどなことなんだからね? って言いたいところもあって。もともと権威に対してモノを言いたい指向性はあるにせよ、僕ら、元来フーテンみたいなものじゃないですか。盲信しないで欲しいって気持ちもある。『だってロックミュージシャンでしょ?』って鼻で笑われるぐらいで良くて。本当は、いわゆる社会的な生活を送っている人たちのほうが積極的に考えなきゃいけないと思う」

横山「今は逆だよね。もはや戦後日本の国民性って話になるかもしれないけど(笑)。でもみんな、人と違うことが怖いんだよね。“自分はこう思う”って独自の発信をすることが、たぶん僕らみたいなロックミュージシャンが思うよりも、普通の人はもっと怖いんだと思う」

“ロックミュージシャンなんだから自分の思ってること言わないでどうすんだ”

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後藤「社会のシステムって、本当に機械的に乗っかったほうが傷つかないので。みんな意識的なのか無意識的なのか、いろいろ考えずに削ぎ落としていったのかなぁって思いますね。もうほとんどシステムに同化して『いや、だって決まってんだから』みたいな。『いや、ルールですから』って言っちゃう無感情というか。そのシステム自体を疑わないのかなって違和感があるんですね」

横山「そうねぇ。俺らの周りには、脱原発、原発に依存しない社会にしようって考える人が多く集まってくるけど、『いや、ないとマズいでしょ。動かさないと経済回んないでしょ』って言ってる人もいて。実はそっちの人、すごくいっぱいいる」

後藤「ほんとそうですよね」

横山「俺たちがさ、たとえばステージで腹くくって『俺は、もう原発はいらないんだと思う』って言って、二千人から拍手もらうとするじゃない? でもその外には二千一人から一億人までが待ち構えてる(笑)。簡単にいうとそれくらいの比率だと思うな。だから、もっともっと俺らは発信していかなきゃいけないと思う。日本経済が回らないと思ってる人たち。あと電気がないと普通に困るでしょ、って言ってる人たちに対して。もちろん原発の助成金で成り立ってる村もある、その保護はどうするんだ、っていう論調に対しても」

後藤「エネルギー産業自体が水商売みたいなものじゃないですか。助成金の話でいえば『じゃあ炭鉱の町復興させますか?』って思う。同じことなのに、『もうガソリンと石油の時代だから』って平気で切り捨ててきて、夕張とか破綻してるでしょ。じゃあみんなで税金投入して保護します、じゃなくて、夕張は夕張だけで頑張ってる。人口はどんどん流失してるし、働いてる人は賃金も減らされて。そういうのを全部スルーして、原発だけ維持しようっていうのは……」

横山「いい例だね、夕張の話。俺、産業単位でもそう思う。エネルギー産業とは違って、音楽産業はどこの保護も受けてないわけじゃない? そういう産業に身を置く人間としては、普通におかしくねぇかって思う。『原発の助成金が回らない、村に住めなくなっちゃう、どうしてくれるんだ』って言われたら、『じゃあ違う仕事探しゃいいじゃねぇか』って思うの。冷たいって言われるかもしれないけど、それって普通の、まっとうな理論じゃないのかな」

後藤「それに僕らが言ってることって、ひとつの産業じゃなくて、ひとつの発電方法の話でしかないですからね。それを、あたかも原発なくしたらすべて潰れてしまうような言い方で語るのは度が過ぎると思う。その言説を一般市民が熱狂的に支持してる理由もわからないですし」

横山「だから、俺らミュージシャンが何言ったところで変わらないかもしれない。現状はそうかもしれないけど、でも俺、希望はすごく持ってるの」

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後藤「うん、今はほんと土から耕してる気がしますね。種蒔きですらない。土を入れ替えないとダメだわと思って、それで個人農園を始めた感じですかね。で、ここから若い子たちがちょっとでも動いてくれれば。もう若い子にやってもらうしかないんですね。俺が今から大学行って勉強し直しても間に合わないから、若い子、今音楽好きな若い子たちが動いてくれないと。そういう若い子たちが行動して、それぞれの場所で活躍するようになったら、10年20年くらい先だけど、もうちょっと太刀打ちできる繋がりが生まれるんじゃないかなってイメージはありますね」

横山「音楽好きはね、せめて弱気にはなって欲しくないよね」

後藤「あと、もっと若手のバンドが積極的になってくれるといいんですけど」

横山「20代はまだ自分のことで必死なのかなぁ。世の中のこと言う前に、まず自分の生活なり人生をちゃんと設計しなきゃって思ってるように見える。あと、自分にはまだ言う知識とかハートがないって思い込んじゃってる」

後藤「まぁ僕も20代は自分のことでいっぱいだった気がします。たぶん、30代後半になって自分の中に父性が芽生えてきたっていうのが大きくて。もう自分ひとりのことだけに捧げなくなってきてますね」

横山「わかる。あんまし公言すべきことじゃないかもしれないけど、自分のためだけに音楽をやるのは、たぶん俺もゴッチもその時期が終わったんだと思う。これからは若い才能のフックアップも含め、下の世代のために、っていうのが絶対出てくるんだよね」

後藤「もっと世の中とか音楽の将来を考えるようになる。それがでも自分のためだったりしますよね。全体がおもしろかったらいいんじゃない? っていう。それで自分も楽しめるし。若い才能見つけて、やられた、とか思いながら自分の音楽を作っていくのも楽しい。そんなふうに考えが変わっていったときに、単純に、今黙ってたら死ぬときに笑われるぞ、って思ったんですね。『だってお前、ロックミュージシャンでしょ?』って自分に問いかけてるというか。原発事故のときも、爆発したときは一度静岡に帰ったんですよ。戻っていたのは何日かだったけど……もう罪悪感しかなくて。もちろん怖いんだったら逃げればいいって、僕以外の人には言いたいですよ。でも自分は人前で何かを表現してる人間だから、逃げてる場合じゃないだろうって。ちゃんと横浜に帰って、自分の暮らす街でコンフューズ、混乱しろと。そしてそれをちゃんと書け、っていう気持ちになったんですね。それで戻ってきたんですけど」

横山「そっかぁ……。俺ね、そういう迷い全然なかった(笑)。すぐ『脱・原発』のTシャツ作って、それ着て人前出て初めて、あ、もしかしたらイタイって思われてんのかな? って感じた程度。ゴッチがさっき言ったけど、“ロックミュージシャンなんだから自分の思ってること言わないでどうすんだ”っていうのが、もう考えるよりも前に染み付いてるんだと思う。だからこういうことがあると、パーンと自分の頭の中で、自分なりの筋道、自分の考え、自分の言っていいことがわかる。それはだいたい何についても」

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Ken Yokoyama

Ken Yokoyama(けん・よこやま)

1969年10月、東京都出身。1991年 に結成したHi-STANDARDのギター&ボーカル。2004年に、アルバム『The Cost Of My Freedom』でKen Yokoyamaと してソロ活動開始。 レーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」の社長も務める。2011年9月18日に ロック・フェス『AIR JAM 2011』を横浜スタジアムにてHi-STANDARDで主催する。そこで、11年 ぶりにHi-STANDARDの活動を再開させる。2012年9月15日(土)・16日(日)に、宮 城・国営みちのく杜の湖畔公園みちのく公園北地区風の草原にて、「AIR JAM 2012」を行うことも決定。