夕暮れに祝島の高台から対岸、上関原発の建設予定地を望む。空気の澄んだ日には、同じく瀬戸内海に面する
遠方の愛媛県・伊方原発も肉眼で確認できる
後藤「あと自分はやっぱり、書き手のひとりだと思ってるんで、震災以降、書き記したいって気持ちが強くなっています。面白いこともそうだし、いろんな出来事もそうだし。考えたこと、思ったこともそうなんですけど。書くって役割の人たちは、それが、どれだけ強いことなのかを、もっと意識しなくてはいけないというか。やっぱり“ペンは剣よりも強し”っていう」
いとう「そうなんだよ。ツイッターで隙のない100字なんかさ、まったく違う意見でもさ、わかるもんね。“こいつの言ってることは、ちゃんと頭に入れとかなきゃいけない”とか、“こいつを支持しなければいけない”とか。それは論理がちゃんとしていて、しかもエモーショナルに人にきっちり訴えかけるかっていうこと。文はどうしても政治的になるから。今、Twitterみたいなものがすごい重要だっていうのは、政治的なことに向いてるんですよね、やっぱり。これまで、政治的になってはいけないみたいな社会になっちゃってたから」
後藤「確かに」
いとう「いいんですよ。党派的でなければ。政治的っていうと、多くの人が党派のことだと思ってるけど、そうじゃないじゃないですか。党派じゃない、社会のことを考えようってことでしょ。しかも、社会のことを考えて、この党派に思い入れはないが、今はこの党派を支持しておこうとなると、きちんと政治的になりうるんだから。まず社会の問題から始めないと。例を挙げれば、脱原発の問題は、単に党派的なイデオロギーの問題じゃないんだってことは、だんだんみんなわかってきてると思うんだよね。何党だからこう考えるってものじゃなくて。まさにそれこそ、民主党の中にも推進派もいれば反対派もいる。そういうものから自由になっていけば」
後藤「いろんなやり方があっていいってことですよね。エネルギーの問題だって、いろんなやり方でやれば足りるんじゃないかっていう」
いとう「そうそう。小水力だけでやっていこうとかって言ってるわけじゃないわけ。エネルギーの中央集権型を止めよう、各地で分散してやっていこうって言ってるわけだから。それが難しいんだったら節電すればいいじゃないって。みんな、現実とは触れ合わずに何からも自由でいたほうがいいんじゃないか、でも意見はちょっと言いたい、みたいな感じになっててさ。現実的なことを言うと、汚れてるか、純粋じゃないかとか。でも現実以外、何もないもんね」
後藤「そうですよね」
いとう「僕らの目の前にはね。それはすごく、僕は湾岸戦争くらいの時からヒリヒリ感じるんだけど。本当はね、この国のことをちょっと絶望してます。でも、原発事故と復興に伴う不正とか、そういうものが出てきて、それに対してたくさんの人たちが発言しているのを見ていると、そうも言ってられないなって、励まされる夜がありますよ。考えない方が楽だもん、そりゃあ。でも、このまま流れに乗っかってって、子供とか、子供の子供のところに、ケリを付けさせるようにしてちゃヤバイでしょっていう」
後藤「そうですね」
いとう「若い人が危機感が希薄なのって、子供がいないってこともあると思うよ。全然、世界が狭いんだもん。“想像してごらん。子供がいると思ってごらんよ”ってことなんだよ」
後藤「置き換えて考えれば、曾じいさんとかが、借金を死ぬほど残して亡くなったらどうなんだって。それで一家離散みたいなことになったら。そのお爺さんのこと恨んで生きるだろって思うんです。これは比喩ですけど、僕らはどこかでそういうことをしている。そういうことを、そろそろ止めて、そういう爺さんにならないように、今のうちから借金を返せる方法とか、たとえば今のようなお金の使い方は止めて、使える金額は減っても幸せを感じられる社会を考えようだとか、そういう方向に舵を切っていかないといけない時代になったんだと思うんですよ。それを他の国に先んじて考えなければ行けないような状況に日本が入ったわけで。ここで、新しいモデルを示せたら、世界の中のオルタナティブになれます」
いとう「そう、尊敬される人々になれるチャンスなんです」
後藤「今後100年間において、もしかしたらビートルズのような、これも比喩ですけど、ある種の発明をした人たちみたいに、讃え続けられるかもしれないチャンスですよね」
いとう「しかも、“ドイツと違うやり方で脱原発してみようぜ”っていうのを示すってことなんだよ。もっと言えば」
後藤「それを考えるのが、本当に楽しいことだと思うし、クリエイティブなことですよね。だから、そう向かないのが不思議っていうか」
急斜面の多い祝島では山を切り開いて段々畑をこしらえ、
みかんやビワなどが栽培される
いとう「不思議。あのね、特に戦後の日本はね、アメリカの真似をしてさ、“メイドインジャパン”ってバカにされてさ。つまり、今のメイドインチャイナと似た立場ですよ。とにかく、出来たものを真似てより簡素に安く作る。そのことで資本を得て戦後復興していったわけです。で、いつも言われてるように、真似をして物を作るのが上手な国なわけ。だったらさあ、ドイツの真似してもっと出し抜けよって思うんだよ、俺は。それでしか生き残る道はない。今の産業構造のままだったら埋没するよ。みんな“安く、安く”って言ってたら、そりゃあ、ミャンマーとかベトナムの人の方が安く作れるんだもん。それはもう、目に見えてるわけ」
後藤「人件費も収入も違いますもんね」
いとう「そう。だから、なんで産業構造を変えればいいんだって簡単なことを経団連はわからないんだって。それは、彼らが硬直した利権構造の中にいるからなんだよね」
1961年生まれ。小説『ノーライフ・キング』をはじめ、数多くの著書を発表。作家、作詞家、映像、音楽、舞台など幅広い表現活動を展開している。日本のヒップホップのオリジネイターでもあり80年代にはラッパーとして活動。09年には、□□□にメンバーとして加入。また、台東区「したまちコメディ映画祭in台東」総合プロデューサー、「たいとう観光大使」も務める。ベランダで植物を楽しむ「ベランダー」としても知られる存在。