放射線の影響への危惧によって満足に外で遊べない子供たちのために、屋内公園『ふくしまインドアパーク』を運営する認定NPO法人フローレンス。代表である駒崎弘樹さんが、病児保育問題の解決のために立ち上げた団体です。過去にアメリカのNewsweek誌で「世界を変える社会起業家100人」にも選ばれたことのある駒崎さんは、震災以降の現実をどう見つめ、この国の行く末をどう見据えているのでしょうか。これからの世界と私たちの在り方について、編集長・後藤正文と熱く語り合いました。
後藤 「この対談をWeb版で読む方は、フローレンスが取り組んでいる病児保育についてご存じない人も多いと思うんです。ここで、改めて説明して頂けますか?」
駒崎 「病児保育というのは、子供が熱を出したり風邪をひいたりした時に、保育園に代わって子供を預かるシステムです。家に行って、子供を病院に連れていって、また家に戻ってきて、親御さんの帰りを待つ。訪問型という型式ですね。このような仕組みは今までなかったので、非常に多くの方にご支持いただいています。これを国でも取り入れて、施設をもたない訪問型の病児保育をやりましょうということで、制度化に動き始めています。僕らの使命は、そういう社会的課題に対して小さいながらも解決策を作り、その手法やプロセスなどを公開して色んな人に真似してもらって、最終的には国に模倣してもらって制度にしていくことだと思っています。さらに、その先に見据えているのは、世界に対して“日本にはこういう仕組みがあって、こんなにも多くの人が助かっているんだよ”ということを発信することですね」
後藤 「僕がおもしろいと感じたのは料金設定なんですけど、掛け捨て型でしたっけ?」
駒崎 「そうですね。月々掛け捨てにして、使うときは月1回まで無償という、ユニークな料金制度を採用してます。共済みたいなシステムです」
後藤 「困った時のための保険っていう感覚ですよね。でも、本当はこういう業態が必要ない社会になればいいなとも、思ったりするんです。ものすごく都会的なもののような気がして」
駒崎 「おっしゃる通りです。病児保育が必要なのって、都市部だけなんです。農山漁村では隣に住んでるおばちゃんとかが預かってくれる。昔はどこでも子供の世話って地元コミュニティ内で相互扶助していたのに、今はそれが空洞化しているから、僕らや行政がサービスとして共済するシステムを作っている。ただ、どちらが良いとか悪いとかって問題ではなくて。一番大切なのは、不幸になる人がいないようにすること。困っている人をちゃんと支えられるんだったら、おばちゃんだろうが行政だろうがNPOだろうが、何でもいいんですよ。時代の変化に応じて、必要なものをつくって、不幸な状態にある人の割合を少しでも減らしていくってことが、本質的に重要じゃないかと思うんです」
後藤 「だから、フローレンスが近所のおばちゃんの代わりをしているんですよね。駒崎さんたちが病児保育をやっているおかげで、助かっている人が数多くいる。それってとても喜ばしいことではある一方で、やっぱり都会は地縁というか、人と人との繋がりが希薄なんだなぁと痛感しますね」
駒崎 「うん、都市はそうならざるを得ないですよね。ただ、これからは地方も大きな問題と対峙していかなきゃいけないんです。 日本の人口はこれから減り続けていく見通しです。インフラは当然、人口が一番多かった時のままで、どんどん老朽化していく。そのメンテナンスのために、身の丈に合わない莫大なコストを負うことになるんです。よって、これからは基本的に“散らばるんじゃなくて、なるべくインフラがしっかりした所に固まって住もう”という流れになる。私たちの生きる居住空間をコンパクトにして、いかにコストダウンしていくかということが、重要視されるんです。だから今後、地方で人口が少ない町村の人々に対して“申し訳ないけど、もうちょっと都市部に引っ越してくれるかな”と言わなきゃいけなくなることが多くなります。そこに住んでいる人々にしてみれば、何十年も住んできた土地だから抵抗がある。でも、社会全体としては移ってもらわないと、自治体で支えきれない……そういう難しい問題が、近い将来この国の至る所で発生してくるんだろうなと」
後藤 「避けては通れない問題ですよね。どんどん人口が減っていくならば」
駒崎 「だから今後は、今あるインフラをいかにメンテナンス可能な領域にまで減らしていくかっていう“減築”も大きなテーマになっていくんです。“増築”しか考えてこなかったこれまでとは、全く逆の発想に切り替えていかなきゃいけない」
後藤 「それも本当に知恵が必要そうですね」
駒崎 「作るのは簡単ですけど、減らしていこうとすると“なんで減らすんだ”って文句を言われますからね」
後藤 「そうなんですよね。“作るのが簡単”なのも、また問題なんですよね。元に戻せなくなるから」
駒崎 「一回作ってしまうと、それがあることが当たり前になってしまう。そうすると、なくなった時の喪失感がとても大きい。だから、減らそうとすると“オレたちから道路を奪うのか!”っていう話になってしまう。後藤さんの言った通り、不可逆なんですよね。一回作っちゃうと簡単に戻れない。本当は、簡単に作っちゃいけなかったんですよ」
後藤 「今までずっと“ビルド!ビルド!ビルド!”って勢いできてしまって、壊すことは全然考えてなかったんですね」
駒崎 「私たちはちょうど、歴史の転換点にいるんだと思います。今まで当たり前だった考えやシステムを全部見直して、時代の流れに合わせて変えていけるかどうか、本当に重要な分岐の前に立っている。もし時代に適応できなかったら、これから様々な不幸が次々と襲いかかってくる……っていうのにね」
後藤 「豊かさの質っていうか、豊かさに対する考え方を転換させていかなきゃいけないと。場合によっては確かに大ピンチになるんだろうけど……なんだろう、それっておもしろいんじゃないかな」
駒崎 「僕もそう思いますよ。一寸先は闇ですけど、代わり映えのしない終わりなき日常に比べたら、断然面白いなって。不謹慎と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はこの時代に生まれたことを感謝しています。これからは、私たちが新しい時代を切り開いていけるんだから」
後藤 「だからこそ、みんなで色々なことに参加して話し合っていかないと、ですよね。時代の空気を動かすには、一人ひとりの意識の質って、すごく大切だと思うから」
駒崎 「僕ね、鳩山さんが総理の時に、半年間だけ官僚をやっていたんです。その頃にちょうど、普天間の問題でメディアからの風当たりが強くなって。そこから“鳩山キャラ”っていうのが、メディアによって作られたんです。より叩きやすいように、馬鹿として描くっていう感じ。それで、テレビや新聞はもうボロクソに叩くじゃないですか。そうすると、良い政策を何か打ち出そうと思っていても、メディアが冷ややかで、国民も反応しなくなるんですよね。それで後押しも得られず、推進力がなくなっちゃう。結果、撤回せざるを得なくなってしまうんです」
後藤 「そんなことがあったんですね。それを知らないこと自体が怖いなって、今思いました」
駒崎 「これには、国民の意識のレベルみたいなものが、かなり影響してくるんです。メディアが叩きはじめた時に、私たちも一緒になって“うわーい、バンバン叩けー!”って盛り上がってしまうと、メディアもウケがいいと判断してさらにバッシングを強くしていく。そのせいで、本当に全ての政策が止まっちゃったりするんです。それを目の当たりにして、なんて恐ろしいことだろうと思った」
後藤 「これ、すごく大事な話ですね」
駒崎 「最近、よくCNNとか海外のニュースをチェックするんですけど、欧米では“ファクトチェック”というのをやってるんです。アメリカでは大統領選で目立っていて、“あの政治に関する報道やウワサって、本当に事実なの?”ってことを、非営利団体とかが検証して発表してるんですよ。すごく地味だけど、事実かどうかの判断を公正な第三者がしてくれるのは、非常に大切だなって。鳩山さんの時は、事実じゃないようなことで、めちゃめちゃバッシングされたりもしてたんですよ。だから、支持されるべき提案やもっと話し合うべきトピックがあっても、メディアが“鳩山は馬鹿だ”という方向で盛り上がっちゃったために、そういうのがスルーされてしまっていた。つまり、無責任なお祭り騒ぎが国益をむしばんだ、と言っても過言じゃない」
後藤 「政策の話をしなきゃいけないのに、矛先が個人にばかり向かっていた、ってことですよね。これに関しては、マスメディアがもうちょっと成熟してほしいっていうのもあるんですけどね」
駒崎 「それはありますよね。ただ、“そんなマスメディアを見て喜んでる私たち”がいる。マスメディアと私たちは共犯関係にあるから、“マスメディア、変われよ!”と言うのなら、やっぱり私たちも変わらなきゃいけない。どう変わるかっていうと、少なくとも“それは本当に事実なの?”って、報道に対して問えるようなメディアリテラシーを持たなきゃいけない。あとは、メディアを複数持つことも大事ですね。テレビや新聞だけじゃ深くまでは知れないし、Twitterだけじゃ偏ってしまう」
後藤 「総合的に見てどういうことなのかを、自分の頭で考えないといけないですよね。新聞にだって恣意性はあるし。僕はここ数年、Twitterのおかげで自分のメディアリテラシーを鍛えられた気がしています」
駒崎 「確かに。Twitterの普及によって、個人とメディアの関係性は劇的に変わった」
後藤 「こういうツイートは信用しちゃいけないんだな、とかね。そうやって、僕ら一人ひとりが育っていかないと」
駒崎弘樹(こまざき・ひろき)
1979年生まれ。1999年慶應義塾大学総合政策学部入学。在学中に学生ITベンチャー経営者として、様々な技術を事業化。同大卒業後「地域の力によって病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくれまいか」と考え、ITベンチャーを共同経営者に譲渡しフローレンスをスタート。日本初の“共済型・非施設型”の病児保育サービスとして展開。また2010年から待機児童問題の解決のため、空き住戸を使った「おうち保育園」を展開。政府の待機児童対策政策に採用される。内閣府非常勤国家公務員(政策調査員)、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員、NHK中央審議会委員、内閣府「新しい公共」専門調査会推進委員、明治学院大学非常勤講師、慶應義塾大学非常勤講師など歴任。