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豊かさと未来——人と人がつながることで、未来は切り拓かれる。 | 山崎亮

東日本大震災を契機に当たり前とされてきた価値観が崩壊しようとするなか、物質的な豊かさばかりを求めてきた私たちの生き方があらためて問われている。地域に入り込み、人と人とのつながりを取り戻すことで新たな地域や人々のあり方を提唱するコミュニティデザイナーの山崎亮さんが説く、私たちが追い求めるべき人生の豊かさとは。

取材・文:小林通孝/撮影:栗原大輔

いわば僕らは、不景気ネイティブなんです

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後藤「現在の日本にある大都市一極集中的な流れのなか、それを壊して何かつくれるんじゃないかと思っていまして。そういう現状に抗っていたり、抗うアイディアを持っている方達にお話を伺って、これからの新しい社会やコミュニティのあり方を考えていきたいと思っているんです。山崎さんには『The Future Times』創刊時からお話を伺いたいと思っていました」

山崎「ご出身はどちらですか?」

後藤「静岡です」

山崎「原発の問題もありますね」

後藤「地元が浜岡原発から20kmから30kmの間くらいなんです」

山崎「あと10年とか20年以内にもっと大きい地震がくる可能性があるわけですもんね」

後藤「そうですね。東海地震の想定震源域(※1)だと言われているので、防災意識の高い地域だと思いますが、あそこだけドカンと原発があるんです。それに対して、誰も何も言わないというか、僕も特に気にもせず育ってきました」

山崎「そのことは、都市部に人口が集中していることと深く関係があると思っています。1960年代くらいから、日本では人と人とのつながりがなくなったと言われ始めました。欧米では1920年くらいからです。その頃に日本と欧米で何が起きていたかを見てみると、全国における都市部に住む人の割合が6割を超えたタイミングなんですね。つまり大都市一極もしくは何極かに人が集中すると、人と人とのつながりのないことにみんなが気づきはじめるんです。そういう現象が、時期はバラバラだけども、実は世界のいろんな国で起こっているんですよ。でも、長い間どうすればいいのかわからず、状況は変わりませんでした。そして1995年に阪神淡路大震災(※2)が起きました。つながりがないことで命を失う人が相当数いました。“あの人、逃げてきてないけど大丈夫やろか”っていう気持ちが働かないと助けられないですよね。ひとりで自由を謳歌してきたつもりが、瓦礫に挟まったまま気づかれずに亡くなってしまったり、避難したけど誰にも助けてもらえなかったりという人がいました。それは、やっぱりまずいよねと」

後藤「助けに行く地元の消防団なんかは、“どこそこにおばあちゃんがいる”とか知っているって言いますよね」

山崎「そうそうそう。それでもまだ人とのつながりは、しがらみもあるしやはり面倒だなと言われていました。けれど、東日本大震災が発生して、もう先送りはできなくなりました。都市に人が集中したことで失った“人と人とのつながり”を真剣に考えなければならないでしょう。そして、もうひとつ。人口規模の問題です。エネルギーの問題や原子力の話にも関連するのですが、要するにこの国に1億2000万人もの人が住んでいるから、色々と無理が生じてきていると思うんです」

後藤「そうですね」

山崎「人口が3500万人だった江戸時代なんて、バイオマスだけで生きていけたわけです」

後藤「なるほど」

山崎「小さな日本に1億人以上が住むようになって、無理にでもエネルギーを生み出さなきゃいけなくなってしまいました。食料も同じで、大半は外国から輸入していますよね。今すぐ人口を半分にとは言えないけれど、2100年に6000万人くらいまで減っていくという推計はあながち悪いことばかりでもないとも思っていますね」

後藤「そうなんですか」

山崎「むしろ肥満になった体をスリムにしていくプロセスですから、美しく減らしていければいいのかなと。都市に人が集中したことと増えすぎたこと。この2つが最初におっしゃったような問題と大きく関係していると思いますね」

後藤「確かにそうですね。一方で『産めよ、増やせよ』という、とにかく右肩上がりじゃないとっていう考えもまだあって。僕はいわゆるロストジェネレーションの最後の世代なんで、この国が経済成長しつづけていくという感覚があんまりないんですよ」

山崎「ないですね、それは全く一緒です。だから諸先輩方から“君たちはかわいそうな世代だ、昔は良かったんだ”と言われても正直実感がありません。バブルは僕らよりも少し上の世代なので、高校生くらいまでしか景気がいい時代はなくて、就職する時からもう不景気でした。いわば不景気ネイティブなんですよね。もうずーっとそれが当たり前。だから景気が悪くても“まぁ生きていこう”という感覚なんですよ。景気のいい時代を謳歌していた人たちからしてみればかわいそうだねって言われるかもしれないけど、ちょっとそこの感覚はずれているかもしれないですね」

後藤「まさに、そうですよね。僕もお金だけがジャブジャブあったら幸せだとも思ってないし、なにか別の考え方にしていかないと。物質的な豊かさのラインはどんどん高いところに設定されて、それに対して現状は落ち込んでいくわけです。心が変わっていかないとどんどん貧しさだけが、勝手な感覚として増幅されてしまう。このままみんなで病んでくだけっていう気がします」

誰かが豊かになれば、誰かが貧しくなっている

山崎「長い間、豊かさとは、お金や物を手に入れるだけじゃないとは言われていたんですよ。もう1970年くらいからずっと。一方で経済が成長して、お金や物がたくさんある人が豊かだとも思われてきました。でもやっぱりそろそろ真の豊かさ、特に心の豊かさを手に入れなきゃってなってきたんだけど、今おっしゃったような何となくある豊かさへの感覚の差を埋めていくという意味では、2000年くらいから先進国のなかで“HAPPINESS”という言葉が共通の言語になってきました。アジアの小国が30年も前からGNH(国民総幸福量)(※3)なんて指標を掲げていたなんてまさに目から鱗だったでしょうね。でも、そこからは逆に幸福流行りでいろいろな幸福論が出てきました。『まちの幸福論』を書いた身で言うのもなんですけれど、これはこれでちょっと幸福論を言い過ぎじゃないかなとも思うんですけどね」

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後藤「ある種の先進国の陥る病のひとつですよね。それで食えちゃったりもするから」

山崎「そうそう」

後藤「食えない国は精いっぱいだからってことですよね。戦時中は食うだけで精いっぱい」

山崎「だから、戦後を生きてきた上の世代の方々が豊かさって言うと“お金”や“物”になること自体を僕らは否定できません。その人たちが今の国を作ってくれたからこそ、その上に別の豊かさや幸せを求めたくなるわけですし。けれど、インターネットが登場してグローバルが叫ばれているなか、僕ら自身がお金と物を手に入れても、“ここにお金と物があるってことは、どこかからお金と物が取られているんだ”ということをわかっちゃったんですよね。お金がいっぱい集まっているってことはどこかが貧困になっていて、物がいっぱいあるってことはどこかの環境を破壊してその物を取ってきているということなんです。どこかを食いつぶしながら自分たちが豊かになるというバランスは、まったくすっきりしません」

後藤「だからこのグリッドっていうかマス目をどんどん小さくしていくやり方がおもしろく思えているんですよね。山崎さんがやられているような、小さい地域で完結していればそれはそれでいいんじゃないかっていう。それをなんか日本全体がエネルギー不足だってやるとほんとに大きなものをいっぱい作らなきゃいけなくなっちゃう」

山崎「水力発電の跡地を見に行ったことがあるんです。兵庫県の山の中に金山廃村という廃村があるんですよ。僕が生まれた昭和48年に村が閉じたんですが、そこの最後の住民の一人に話を聞くことができたんです。昔は集落の一番端っこに沢が通っていて、そこにコンクリートで風呂桶2杯分くらいの水を貯める場所があって、オーバーフローするとまた沢に流れていくんですが、この風呂桶の下に15センチくらいの管が通っていて、2メートル下にクルクル回るような羽がついていて、それで発電していたそうなんです。今で言う小水力発電ですよね。40年くらい前まで、その発電で20世帯分の集落全部をまかなっていたそうですよ。集落にはいいバッテリーがなかったので、発電したそばから電気を使っていかなければならなかったらしくて、裸電球を村中にブワーっと下げて、テレビもラジオもつけっぱなしにしていました。消すと加熱し過ぎて発電機がバーンって破裂しちゃうから、作った電気はとにかく使わないといけませんでした。近所からは、不夜城って言われていたそうですよ。でも、ある時に大きな電力会社がやってきて“水が枯れたら電気がなくなるでしょう。私たちが電気を送ります。それを買う方がメンテナンスを考えたらよっぽどいいですよ”って、小さな村の発電の仕組みを一個一個吸収していったそうなんです。それで水力発電をやめて、送電線を引いてくれたということです。そういうことを日本はこれまでやってきました。8つとか9つとかの日本にある大きな電力会社からしか電気はとれない気がしていますけど、その常識が作られたのはわずか40~50年前の話なんですよね。電気に対して我々はどうしようもないと思いがちなんだけど、そこで使う電気はそこで作った方がいいっていうのは長い間営まれてきたことだったんですね」

後藤「面白いですね」

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山崎「今だったらいいバッテリーもあるし、発電能力ももっとよくなっているから、きっと2メートル水を落とすだけで20世帯以上の人たちの電気を作れると思うんです」

後藤「使ってない時は貯めておけばいい」

山崎「そうなんですよ。でも、やっぱりもう一度地域の小さなグリッドの中で人と人とのつながりが回復してこないとこの水力発電みたいな仕組みは成り立たないですね。誰かが見回ったり、管理してくれるような。お互いの“ありがとう”の顔が見える範囲で食べる物もエネルギーも作っていくわけですから。大きな電力会社に頼んでいる間は隣の人のことを全然知らなくても電気は送られるので、一応それなりに人間の生活はできます。けれど、物事を小さくしていこうと思ったら、それぞれの範囲の中でちゃんとお互いを知らないとやっぱり生きていけないんです。悩んでも相談できる人がいなくて、鬱の人が100万人以上いるとか、自殺者や孤立死が3万人いるなんて負の副産物を生み出してしまうくらい人と人とのつながりがなくなってしまうのは、ちょっと行き過ぎています」

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山崎亮

山崎亮(やまざき・りょう)

1973年愛知県生まれ。コミュニティデザイナー。株式会社studio-L代表。京都造形芸術大学教授。人と人とのつながりを基本に、地域の課題を地域に住む人たちが解決し、一人ひとりが豊かに生きるためのコミュニティデザインを実践。まちづくりのワークショップ、市民参加型のパークマネジメントなど、多数のプロジェクトに取り組んでいる。著書に『コミュニティデザイン』、『まちの幸福論』、『コミュニティデザインの時代』など多数。

(※1)『想定震源域』

気象庁は、静岡県の中部と西部、及び駿河湾の西側と遠州灘沖を東海地震の想定震源域としている。また、静岡県の全域、山梨県と愛知県のほぼ全域、神奈川県西部、長野県南部、三重県の沿岸部は『地震防災対策強化地域』に指定されていて、マグニチュード8クラスの地震で震度6弱以上の揺れが予想され、沿岸部では津波の襲来も予想されている。

(※2)『阪神淡路大震災』

淡路島北部を震源に平成7年1月17日に起こったマグニチュード7.2の大地震。兵庫県を中心に、死者6,432名、行方不明者3名、負傷者4万3,792名の被害があった。焼損棟数7,483棟、焼床面積83万4,663㎡。住宅の被害は、全壊が約10万5000棟、半壊が約14万4000棟にのぼった。

(※3)『GNH(国民総幸福量)』

国内総生産(GDP)のように経済発展の数値ではなく、心の豊かさを示す「幸福度」を重視しようという考え方。