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 贈与とお布施とグローバル資本主義 鼎談:内田樹×釈徹宗×後藤正文

グローバル経済の進展によって、社会のすべてが〝商品〟に置き換えられ、人々は全員が〝消費者〟になった。そして今、あらゆる場面で歪みが生じている。現代思想における〝贈与〟、そして仏教の〝お布施〟という概念を通して考える、資本主義のその先の 〝お金だけじゃない〟社会を創り出すためのヒント――

構成:江南亜美子/撮影:大久保啓二

〝気持ち〟が売り買いの対象になる時代

後藤「今日は〝贈与〟をテーマにお話を伺えたらと思っています。僕はこの新聞の発行を続けていくうえで、おふたりが著書で語られているような贈与やお布施の考え方に、背中を押してもらっている部分があるんです」

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内田「そうなんですか」

後藤「それで、はじめに少しだけこの新聞の成り立ちについてお話しさせてください。僕は震災が起こってすぐ、いてもたってもいられなくて、募金をしたんですね。でもそのお金がどこでどのように使われるのかがハッキリしないことに、歯がゆさというか、手応えのなさを感じました。そこでお金ではなく行動を社会に寄付するようなやり方はないだろうかと考えて、仲間たちと自腹で新聞を作ることを思いついたんです」

内田「なるほど」

後藤「僕はもともと音楽活動でも、気に入った若手や海外のバンドを紹介したり、プロデュースしたりしてきたんですね。自分がいるバンドの人気を高めるだけでは音楽の現場はいつか枯れてしまうんじゃないかっていう危機感があって、僕が音楽からもらった恩恵をどんどん還元したかったんです。その考えを震災後は音楽だけでなく社会全般に広げたいなと。もちろん新聞を作っても直接的に音楽の売り上げには繋がりません。ただ、長いスパンで見たらきっといい収穫になるだろうっていう直感があるんですよ」

内田「……後藤さん、今おいくつ?」

後藤「36歳です」

内田「珍しいよね。今の30代半ばから40代って、すごく現世的なものの考え方をする人が多いじゃない? その世代から後藤さんみたいな意見が出てくるのはとても頼もしいです」

後藤「もうちょっと上の世代、たとえば70年代のロック全盛期を知るオヤジたちには〝なんで忌野清志郎みたいなプロテストソングを作らないんだ?〟と言われたこともあります。原発に反対なら、そう直接的なメッセージを歌えと。でも僕は、その方法はもう有効じゃないと感じたんです。パッと歌ってすぐに消費されて、忘れ去られるものではなく、紙に書きつけておきたかったんです」

「新聞をウェブだけではなくて紙媒体にしたのもそういう理由ですか?」

後藤「そうですね。紙という〝身体〟を持ったものを作ることが重要でした。音楽がすべてデータ化されてパソコンに収められる今、もう一度身体の意味を問い直したかったんです。僕が尊敬する作家の佐々木中(※1)さんが、メディアとしての紙の強さについて語られているんですが、それにもすごく影響を受けています」

内田「確かにウェブだけっていうのは弱いですね。最近ミシマ社という出版社が、自社のウェブマガジン『ミシマガジン』を、製紙会社やサポーターと称する協力者の賛同を得て紙に落とし始めた。理由はやっぱり、紙の持つ持続力です。不測の事態によって現在の社会システムが壊れるリスクを想定すれば、紙の耐性は優れています。長く未来に残すことができる。一方で電子パルスとなった音楽や文字は、〝これは消耗品です〟って自分で宣言しているようなものですよ。VHSやMDなんて、今や〝はい、生産中止〟と再生機器を手に入れることすら難しい状況になっていますから。ハードが短期的に入れ替わるほうがビジネスになるので、作り手自身がコンテンツを安定的かつ長期的に供給することに意義を見出してないんです」

後藤「僕もそれは感じますね。メディアの耐久性には自覚的でありたいです」

内田「後藤さんが将来の読者やオーディエンスを想定しているのは素晴らしいですよね。橋下徹(現・大阪市長)って、次の選挙のポピュラリティを獲得することしか考えてない男でしょ。思考のスパンが短期的で、昨日言ったことを翌日には〝そんなこと言ってない〟と、平然と否定してしまう。あるいは自分の発言を隣国やEU、アメリカがどう捉えるかをまったく考慮しない。空間的にも時間的にも〝点〟でしかものを見ないんですよ」

「想像力が欠けてますよね。まぁ、実際にそれで失敗もしていますが(笑)」

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内田「これじゃあダメだと、人々は学ぶべきですよ。自分の発言が50年後だけじゃなくて、50年前の世界でも通用するかどうか想像してみる。そこでも浸透力、指南力を持つのかどうか考えてみる。このエクササイズが大事です。僕の印象だと、ここ20年あまり、思考の射程は空間的にも時間的にもぎゅーっと縮まる一方です」

「我々が肌で感じる時間を縮める装置やシステムが増えたことで、確実に利便性は高まりました。でも、たとえばコンビニのレジの会計時に列ができるとイライラするでしょ?」

後藤「しますね」

「それは待たないで済むシステムに慣らされた結果、例外的に待たされると少しの時間でもストレスを感じる身体ができてしまったから。でも、肌感覚を伸ばすことも人間が生きるうえでは絶対に必要です。人類学的にみて、肌感覚を伸ばす装置の代表格ってなんだと思いますか?宗教儀式です。儀礼に身を置くと効率のことは考えないでしょう」

後藤「確かにそうですね」

「実は学校のいじめ問題もここに一因があるんですよ。同じ年齢の子供たちを1ヵ所にたくさん集めると、人間の関係性にバリエーションがないから、時間感覚がギュッと濃縮されるのは仕方がない。そこで誰か〝いけにえ〟を作って、その一点でフラストレーションを放出するのがいじめの構造です。関係性を学校の中だけで閉じないこと、学校はやめてもいいし、外の世界もあるんだよと濃縮した感覚を解放してあげることで、少なくとも自殺のような最悪の事態は防ぐことができるはずなんです」

後藤「音楽業界も毎日のチャート順位には一喜一憂しても、年間でどうかはあまり省みないし、まして自分たちの音楽がビートルズやクラシック音楽みたいに10年、100年単位で聴かれるなんてことはほとんど意識していない。でも、僕は表現って〝時限装置〟だと思うんですね。僕がジョン・レノンの音楽を聴いたのは彼が死んでからなんですけど、箱を開けたときに初めて何かが発動する。それはあるオーディエンスにとっては5年後、10年後かもしれない。コストの短期的回収っていう制約から、せめて意識だけでも逃れたいんですよね」

内田「正しいですよ、それは」

後藤「CDのアルバムが一律3000円、ダウンロードなら1曲250円っていう、均一な値段がついているのも僕はおかしいなと思っていて。まず曲があって、それに見合った値段がつけられるべきなのに、順序が逆なんです。それだと音楽がまるで工業製品か何かみたいじゃないですか? それに、最近のJポップって〝お母さんありがとう〟みたいに、誰かに対する感謝の気持ちをストレートに歌った曲がヒットしてるんですね。100万ダウンロードとか。〝感謝〟っていうフィーリング自体がクローズアップされるのはいいとしても、リスナーは曲を買って聴くだけでその感情を充足させちゃってる気がして、それはマズいなと」

内田「なるほど。近頃、〝感動をありがとう〟〝勇気をもらった〟みたいな、不思議な日本語を聞く機会も増えましたけど、〝気持ち〟がモノ化して、まるでお金でやりとりできるもののように捉える傾向がきっとあるんでしょう。〝どうもどうも、このたびは勇気をたくさんいただいて〟とかね(笑)」

後藤「感情すら売り買いの対象というか。お金や消費者マインドに毒されすぎて、人間の根本が揺らいでいる気がして怖いんですよね。人間がお金に隷属させられているような状況に、なんとかカウンターを打ちたいんですけど」

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内田樹

内田樹(うちだ・たつる)

1950年生まれ。思想家。神戸女学院大学名誉教授。武道と哲学のための学塾『凱風館』館長。フランス現代思想、映画論、武道論を中心に著述、発言を行う。主著に『私家版・ユダヤ文化論』、『日本辺境論』、『現代霊性論』(釈徹宗との共著)など。鼎談で触れられたグローバル経済や贈与については『評価と贈与の経済学』(岡田斗司夫との共著)などに詳しい。


釈徹宗

釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

1961年生まれ。浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大学人文学部教授。認知症高齢者のためのグループホーム『むつみ庵』を運営。主著に『不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者―』、『仏教ではこう考える』など。仏教的な思想についてわかりやすく解説したものとして、『いきなりはじめる仏教入門』『はじめたばかりの浄土真宗』(ともに内田樹との共著)などがある。

(※1)佐々木中(ささき・あたる)

思想家、作家、哲学者。法政大学非常勤講師。主著に、処女作の長編思想書『夜戦と永遠』、〝読む〟こと〝書く〟ことについて語り下ろした『切り取れ、あの祈る手を―《本》と《革命》をめぐる五つの夜話―』、最新長編小説『夜を吸って夜より昏い』など。