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変革と未来-前編-| 駒崎弘樹

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東日本大震災から、もうすぐ2年が経ちます。人々は多くの喪失と向き合い、ここまで少しずつ復興への道を進んできました。その歩みの中で生まれたのが『インドアパーク南相馬園』。現地市民の働きかけによってできたこの施設は、今後の民主主義の在るべき方向性を示していると、インドアパークを運営する『フローレンス』の代表・駒崎弘樹さんは語ります。そんな駒崎さんと編集長の後藤正文が、被災地の、さらにはこの国の現在と未来について、じっくりと言葉を交わし合いました。

取材・文:西山武志/撮影:栗原大輔

私達に必要なのは、“おまかせ民主主義からの脱却”です

後藤 「まずは、インドアパークをつくることになった経緯から聞かせてください」

駒崎 「僕の震災体験は、“身内が被災した”のが出発点でした。妻は福島県郡山市の南隣にある、須賀川市というところに実家があるんですが、そこが実際に地震の被害に遭って、半壊状況になってしまったんです。それで、妻の家族が、僕らの住んでいる埼玉県川口市に避難してきてきました。だから、まったく他人事じゃないところから始まってるんですね。彼らから“本当にボロボロになっちゃったし、大変だった”という話を聞いて、自分も何かしなければいけないって思ったんです」

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後藤 「なるほど」

駒崎 「それで、何をしようかと考えていたときに、妻が地元の友達から来たメールを見せてくれて。そこには“子供達を外に出して遊ばせられない”、“子供のストレスがたまっちゃって……どうしよう”って声がどんどん集まっていました。 保育の世界だと“遊び”っていうのは、“心をつくる”行為だって認識されているんですね。だから、福島にいる子供達は思いっきり遊べない、つまりは心をつくれない状況にいると。これはなんとかしなきゃいけない、と思ってインドアパークのプロジェクトを立ち上げました」

後藤 「1つ目が郡山にできたのは、かなり早かったですよね」

駒崎 「はい、最初のインドアパーク郡山園のオープンは2011年12月8日。これでも、やろうと決めたのはその年の6月くらいで、半年はかかってるんですよ。もちろん、行政が同じことをやろうとしたら、1年計画して2年目にようやく通るかどうか……という感じなので、それよりは早かったと思いますけど、僕らとしてはもっと早くオープンさせたかった」

後藤 「思っていたよりも大変だったんですね」

駒崎 「施設の場所探しにとても苦労しましたね。でもそれは、とても今日的なんですけど、ツイッターが突破口を開いてくれました。このことを相談していた知人が場所探しの件をツイートしてくれて、それを西友の社員の人が見て、僕に西友の副社長を紹介してくれたんです。以降、その方の協力を頂いて、なんとか開園まで持っていくことができました」

後藤 「郡山市とか福島市は、事故直後から放射線量が高いっていう話がありましたよね。僕らも福島市に取材に入ったときには、幼児がガラスパッチ(個人線量計)をつけていたんですが、正直お母さんたちも、どう対処したらいいのかうまく把握できていない様子だったんですよ。不安だけが膨らんでいるような。そういう状況下で、最初のインドアパークが郡山にできたというニュースを聞いて、こういう施設がもっとたくさんできたらいいなと思いました。 今回、晴れて2つ目のインドアパークが南相馬にできたわけですけど、南相馬は子供連れでまだ市外に避難されている方も多いんですよね?」

駒崎 「そうですね。震災前と比べて人口は4割も減ってるんで、郡山と比べると利用者数もまだまだ少ないですね。 インドアパーク南相馬園は、1つ目とできた背景が大分違うんです。市内の保育園の副園長さんが、わざわざ郡山園に来て“南相馬にも作ってもらえませんか?”と申し出をしてくださって。民間と民間のやりとりの中で生まれたというのが、面白いところでしたね」

後藤 「僕もその話を聞いて、すごくいいなと思ったんですね。地元の人が声を上げて、地元に施設を作ったというのが。郡山のアイデアあったからこそ、そういった動きも生まれたんだと思いますし。子供が町からいなくなるのは、未来の担い手がいなくなるということだから、その重みってありますよね」

駒崎 「ありますね。やっぱり将来、その町がジリ貧になるってことが分かっちゃうので。 だけれども、それで町がこのまま衰退していくということを待つのみではいけない。多くの人はそれを行政にぶつけたりだとか、あるいは国の動かなさに文句を言ったりするだけで終わってしまう。そんな中で、若い人たちが“このままじゃ決して良くならないから、遊べるところを増やしていこうよ”と動き始めて、インドアパークの誘致の話も持ち上がった、と。そうやって、ちょっとずつでも“自分達で変えていこう”という内発的な動きが出てきているのは、まさに希望だなと思いますね」

後藤 「そうですよね。投票するだけして後は行政任せ、それで不具合があったらとりあえず“税金ドロボー!”って言って怒ろうとか、そうじゃなくて。本来の民主主義って、僕らも町づくりに参加して、っていう話ですからね」

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駒崎 「震災によって、私達が教訓を得なくてはいけないものがあるとしたら、それは“おまかせ民主主義からの脱却”だと思うんです。行政に任せっきりで恩恵だけ受けて、それが崩れたら“裏切ったな!”って文句を言うのは違う。任せつつも、“この部分は一緒にやろうよ”って形で僕らも関わっていかないと、世の中決してうまく回らないんだって。この震災は、そんなことを突きつけてくれたなと感じています」

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園子温

駒崎弘樹(こまざき・ひろき)

1979年生まれ。1999年慶應義塾大学総合政策学部入学。在学中に学生ITベンチャー経営者として、様々な技術を事業化。同大卒業後「地域の力によって病児保育問題を解決し、育児と仕事を両立するのが当然の社会をつくれまいか」と考え、ITベンチャーを共同経営者に譲渡しフローレンスをスタート。日本初の“共済型・非施設型”の病児保育サービスとして展開。また2010年から待機児童問題の解決のため、空き住戸を使った「おうち保育園」を展開。政府の待機児童対策政策に採用される。内閣府非常勤国家公務員(政策調査員)、厚生労働省「イクメンプロジェクト」推進委員、NHK中央審議会委員、内閣府「新しい公共」専門調査会推進委員、明治学院大学非常勤講師、慶應義塾大学非常勤講師など歴任。