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災害を記憶するために(1)-未来への伝言

岩手県の陸前高田を襲った18メートルを超す津波。その脅威の痕跡が、神社の石段に残っている。 取材に訪れた5月下旬、津波の被害から免れたヤマザクラが偶然、花を咲かせていた。 津波が来た場所を結ぶ桜並木を植えようと、陸前高田市のNPOが取り組んでいる、しなやかな災害伝承の方法からヒントを見つけたい。

取材・文:神吉弘邦/撮影:安田菜津紀

記憶を後世に伝える方法

津波が到達した浄土寺は、旧海岸線から1.8kmもの地点。2011年11月、樹齢15年ほどのカワツザクラを5本植樹。この春も花を咲かせた。
桜と同じ目線の先に、かさ上げされた土地が見える。

岩手県沿岸の陸前高田市。本紙取材班の訪問は2号から1年3ヵ月ぶりだ。その間、市内にうず高く積まれた土砂と瓦礫の山は1ヵ所に集められ、土砂再利用のための分別が進んでいる。防波堤の整備も着工され、街区の整地がなされているが、まだ住む人がいない地区が大半を占める。自然公園、工業用地、またはかさ上げ(盛り土)をして宅地とするのか、いまだ検討中のためだ。

東日本大震災で最大18メートルという高さの津波に見舞われた陸前高田は、市の中心部が壊滅状態となった。いくつかの商店街は高台にある仮設店舗に移り、いまだ仮設住宅の入居率も9割近くに達しているという。〝災害に強い街〟を目指して、これから何年もかけて取り組まれる事業がスタートしている、これが震災から2年を経た街の様子だった。

一方で『奇跡の一本松』や被災建築など、災害遺構の保存作業が行われていたのも印象的だ。幹線道路には津波警戒区域の標識も目立った。いずれも津波の記憶を後世に残そうという取り組みだ。

変わる街の中で生き物に託す思い

陸前高田市竹駒にある『陸前高田未来商店街』には、店舗を流された商店主や地元出身の若い世代、移住者など10数店舗が出店中。2号で取材した『桜木家具店』もある。

NPO『桜ライン311』もそのひとつ。これは「陸前高田市の約170㎞に渡る津波到達ラインに10メートルおきに桜を植樹し、ラインに沿った桜並木を作ることで、津波の恐れがあるときにはその並木より上に避難するよう後世の人々に伝承していく」ための活動だ。津波の到達点と津波に襲われていない土地の境に、11〜12月と2月〜3月の2回、桜の苗木を植える。これまでに市内130ヵ所、合計518本の植樹を行ってきた。

震災を機に地元の陸前高田に戻った代表・事務局長の岡本翔馬さんは、この活動を始めたきっかけは「悔しさ」だと語る。

「生き残った者として、なんとか後世に教訓を伝えなくてはと思いました。陸前高田の戸羽市長の著書に〝被災地に桜を植えたい〟とあって、それはぜひやりたいとなったんです。ただ植えるのではなく 〝あそこまで波が来たんですよ〟とわかるものにしたかった」

津波に耐えた高田松原の『奇跡の一本松』。2012年5月、塩害による枯死が確認され、1年がかりで保存作業が行われた。炭素繊維材で補強、枝や葉はレプリカで再現。
完成前からも多くの人が訪れていた。

記念碑ではなく、桜の木を選んだのには理由がある。

「石碑には冷たいイメージがあって、20年、30年先には忘れ去られるんじゃないかと。実際、震災前の自分も石碑の存在に気づいていませんでした。立ち止まって読まないと内容がわからないですから。また、津波到達点は山の傾斜地が多いので、草むらになって石碑が埋もれてしまいます。生き物である桜を植えるのが良い方法だと思ったんです」

目標は1万7000本の植樹。20年近くかかるかもしれない息の長いプロジェクトだ。現在の活動資金は全国から寄せられる協賛金で賄っている。植樹は全国からボランティアを募り、少人数のグループに分かれて行う。

高田松原の「道の駅」建物。2013年5月の時点では解体されておらず、津波の甚大な被害を物語る。建物の前には、献花台のある小さな慰霊施設が設けられている。

仮設住宅の自治会長も務める副代表の佐藤一男さんが、8㎞以上の内陸にまで達する津波到達地点への植樹の難しさについて解説してくれた。

「午前と午後で1ヵ所ずつ植えるために、ボランティアの方にもクルマが必要です。理想を言えば、大きい苗木を持ってきて重機で周りの土ごと入れ替えるほうが、木の定着率は上がります。でも、そうすると1本植えるのに5万円はかかってしまう。今はひとりで抱えられる大きさの木を、苗代も含め1本5000円ほどのコストで植えています」

編集長が立っている位置まで押し寄せた津波。
この位置から海岸線は、はるか先に見える。

桜の種類は、ソメイヨシノよりも塩害や冷害、害虫に強いとされる、ベニシダレ、ベニヤマザクラ、オオシマザクラといった日本古来の品種を選んでいる。用地は、主に個人の所有地だ。

代表の岡本さんは以前、市内の全世帯にあたる7200世帯に活動の周知と協力依頼のためのハガキを出した。

「およそ50軒からご回答をいただきました。個人の土地への植樹がメインになるので、許可をいただかないと植えられないのです。協力に応じていただけたのは、市の復興計画に絡まない宅地がほとんどでした。他は〝復興計画が固まってない時点では保留〟という回答が多かったですね。高台に移転するのか、その場所に変わらず住むのか、まだ決められない市民が多いのを実感しています」

津波の到達地点があやふやになることへの危惧もある。市内では山を削って宅地を造成し、そこから出た土砂を低地のかさ上げに利用する動きが急ピッチで進んでいるからだ。その影響で山を追われた鹿たちが、桜の苗木の芽を食べてしまうケースもあるという。

土地区画整理事業では高台への集団移転を計画、
海抜12mの土地かさ上げが進行中。
車で高台へ避難できるよう、海側と山側をつなぐ4車線の道路が複数本整備される予定。

前回の春の植樹には、副代表・佐藤さんの9歳、8歳、3歳の3人の子供が参加した。漁師でもある佐藤さんは以前の街並を思い浮かべながら語る。

「復興計画で描かれる街の姿が、私たちには上手くイメージできないのも事実なんです。高田の街の柱となるのは水産業と観光業。観光の目玉である高田松原を復元する計画もあるようですが、砂浜で楽しく遊んで振り向いたらコンクリートの壁じゃあ…」

口伝として残ってほしい

地盤沈下により高田市沿岸の海岸線は後退。昨年着工された防潮堤整備事業では、総延長2kmに高さ12.5mの堤防を築く。新しい防波堤の高さはこの鉄塔の位置に達する。

岡本さんは、桜の苗木を植える体験についてこう話す。

「僕も参加してわかりましたが、自分が植えた苗には思い入れが違いますよ。あの木はどうなったかな、と近くを通るたびに気になりますから。同じように何年か後、自分の苗が、街がどうなったのかな、と見に来てくれるのが一番だと思います。あとは、その家族で伝えあってほしいのです。上の世代から下の世代に語り継げることがこの活動の良さだと思っています。先日、震災で旦那さんを亡くされた津波到達地点に住む女性が〝これまで津波のことを思い出したくなかったけれど、両親を置いて土地を離れるにあたって、桜を植えてから離れたい〟と応じてくださいました」

次回の植樹は、秋の11月に予定されている。現在は候補となる土地を探して、市民や行政と粘り強く交渉を重ねている段階だ。高田で成功させれば、被災した他の地域に同様の取り組みを波及させられるかもしれない。岡本さんは「だからこそ失敗は許されない」と決意している。

「様子を見に行ったり、世話したり、石碑を建てるよりも生き物には手がかかります。一番望ましいのは、桜を植えたことを口伝えしながら、次の世代、またその次の世代と植え替えてもらうことです。ただ植えて終わるだけでなくて、語り継がれるものになってほしいですね」

土地に刻まれた過去の災害の記録に目を向けること。その結果、防災への意識を新たにすること。『桜ライン311』は、東日本大震災の被災地以外に住んでいる読者へのヒントになり得るかもしれない。

■NPO法人『桜ライン311』 オフィシャルサイト

(2013.8.7)