後藤「未来についてうかがってもいいですか。漠然と文楽の未来について。 “文楽と未来” だったりとか、 “三味線と未来” でも良いんですけど、どう思いますか。自分の行く末をどう考えていますか。この先、1人の三味線弾きとしてというのもあるし、文楽に携わっている人間としてでもいいですし」
清志郎「何を考えてるんでしょうね。なんですかね、未来っていうのをあんまり考えてない」
後藤「逆に、そういう方もたくさんいらっしゃいます(笑)」
清志郎「そうですね。なんかもう、本当に今の積み重ねの結果だとしたら、今が良かったらきっともっと良くなっている気がするので。また、1人ではできない仕事なので、1人で頑張ってもダメ」
後藤「1人だけ、気を張ってもっていう話ですよね。全体の調和っていうか、そういうことですよね」
清志郎「僕だけだと思うんですよ。あんまり未来のこと考えてないの。他の人だったらもっとちゃんと……。なんでしょうね」
後藤「でも30年後とかだったら、どうなってると思います?文楽。清志郎さんはどうなってるのかとか」
清志郎「存在するかどうか危ういと思います」
後藤「そういうこと言っちゃうと、実際そうですけど(笑)」
清志郎「どうなってるんだろう。でも、もし残っているとするなら、 “日本人っていうのはこういう人種だった” という、ひとつの答えがここに残るんじゃないかなと思いますね。現在に失われているいろんな封建的な時代の考え方とか、親子の思いやりとか、そういう人間同士の繋がりみたいなものがもしも薄れてるなら、文楽の中に、そういう日本人の持つ普遍的なものが残っている可能性もあるのかなと。そういう日本人の剥製的なモノとして残るかもしれませんし、だとしたらなんだろう? なんの未来なんでしょう」
後藤「でも、その話すごくおもしろいと思います。こうやって当時の町人たちの楽しんだものの中にある普遍的な何か」
清志郎「本当に冷凍保存したものを、江戸時代から、正確に僕らは伝えようとしていて。それが結果的に未来にそのまま渡されていくっていうことなので、恐らく、変化しないことが最良なんですね。僕らの未来としては」
後藤「なるほど。文楽としては変わっていかない方が良いわけなんですね」
清志郎「そうなんですよ。正確に保存されるということが、——この古典においてはですよ。もちろん、生きて舞台に立ってる人間が僕らだから、時代にあわせて、今好きなリズムとか、今好きな音の高さっていうのはありますけど、でもそうじゃなくて、できるだけ正確に。厳密には難しいですけど、できるだけそのまま未来に渡していくっていうのが目的なので。変わらないまま渡すこと」
後藤「作品だけがあって、演じている人だけが変わっていくことですもんね」
清志郎「そうです。そういうことです。その作品は絶対に変化させてはいけないです。文章も変えてはいけないし、音楽もテンポとか音の扱い方とかも変えてはいけない。もちろん人間は変わりたいんですけど、芸としては変えてはいけないというか、今は変える余地がないんです。僕らが受け取る前に、多くの先輩たちが必死に追求して、芸のために生きて死んで、そうやってきているものを僕らが勝手に変えるわけにはいかないです。そこはもう変わらないように未来へ受け渡すっていうのが仕事なんで」
後藤「そうするとやっぱり、まわりの人たちがどう観るかっていうことだけが変わっていきますよね」
清志郎「そうですね。だから、それ、ちょっと勝手な考え方だとしたら、周りが勝手に動いてくれるなら、僕らは留まることによって動いてる感が出るかもしれませんし、動かないから動いてるように見えるっていうこともあり得ますから。だから、動かないということが僕らの未来なのかもしれませんね、過去に留まるっていうことが。それをなんと言葉にしていいのかが…」
後藤「でもね、それを “留まるのが最良だ” って言うのはすごくおもしろいなと思いました」
清志郎「留まるという意味が僕には上手く伝えられないんですけど、もちろん成長しながら留まるということなんでしょうけど、正確に再現するには自分自身は成長しないとできませんからね。僕らより経験値のある先人たちがやってきたモノを真似るわけだから、僕自身はもちろん変化しないと追いつかないですけど」
後藤「時代とか見る人たちが変わっていっても、ちゃんと文楽にたどり着けば、普遍的な何かを取り出せるんでしょうね、きっと」
清志郎「そうですね。また、そういう人たちがやり続けたから普遍的なものとして残ったんだと思うんですよね。もちろん淘汰されて消えていった作品がいっぱいあるわけですから、そういうものはあまり普遍性のないものであったと思うんですよね。やる人たちも、これを愛して、練り上げて、で、作曲家がいないので、皆で勝手にあるところまでは作り上げてきたはずなんですよね。皆で手を加えて、皆でそぎ落として、作り出してきたものだと思うんですよ。これ以上減らすことも増やすこともできない状態で渡されてしまっているので」
後藤「すごいな」
清志郎「作品ありきなんで、本当そうなんです。みんなでその音楽をコピーして、戦ってる。正確にその人に近づこうとか、その人の出す音に近づくっていうことをやってるんですけど。少し形を変える。自分の中に取り込んだもので、ちょっと色合いを変えて出してくることはもちろんあると思うんですけどね」
後藤「そういうなかで、ときどき名手と言われる人が現れるのが、また良いところですよね。それが、本当に四角四面のコピーではないおもしろみに繋がっているように感じます。僕も一緒に年を重ねて、清志郎さんがどういった三味線弾きになっていくのか楽しみです」
清志郎「本当ですね。そういうのもきっと楽しんでいただけると思います。恐らく僕もやめなければ生きてる限りはここにいますので、一緒に長生きできれば60代、70代まで」
後藤「そうですね。将来、自慢できるかもしれないですもんね。30いくつの時から鶴澤清志郎の三味線聴いてだんだよ、みたいなね。おもしろそう。いろいろ、ありがとうございました。すごく楽しいお話しでした。ありがとうございました」
公演情報
◆通し狂言『伊賀越道中双六』
9月文楽公演(東京・国立劇場)
9/7(土)~23(月) 詳細はコチラ
11月文楽公演(大阪・国立文楽劇場)
11/2(土)~24(日) 詳細はコチラ
<お問い合わせ・チケット予約>
国立劇場チケットセンター
0570-07-9900/03-3230-3000(PHS・IP電話)
鶴澤清志郎(つるざわ・せいしろう)
1974年長野県生まれ。1992年に国立文楽劇場第15期研修生となり、1994年に鶴澤清治に入門。清志郎と名乗る。同年6月、国立文楽劇場で初舞台。