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文楽と未来 | 鶴澤清志郎

同じものをやり続けているのに、新鮮な気持ちでやれるのは、作品にそれだけの力があるから。

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後藤「当時は、人気の大夫の、独特の声の出し方とかあったんですかね? あの人は色っぽいとか」

清志郎「やっぱり、色々な声柄があったらしいです。美声と言われる透き通るような声で女の人を語って人気を博した方とか、ちょっと酒焼けしたようなしゃがれたブルースの似合うような、ジャリっとした声の語りがすごいとか。そういう、それぞれの声の持ち味に加えて、なにせ登場人物のキャラクターが多いので幅が広いですよね。武士は苦手だけど姫は得意とか、姫はちょっと合わないけど何故か思慮深いおじいちゃんをやったらすごいとか。絶対的な、何オクターブも出るようなボーカリストしか出来ないっていう仕事ではないんですよね。不器用な所がかえって良かったり、届かない声を必死に出してるところにグワーッと哀れみとかすごみとかが出ることもありますしね」

後藤「なるほど」

清志郎「意外なんですよね。本当にしゃがれてて、ジャリジャリしている声なのに、田舎のお嬢さんを語ったら本当に可愛く聞こえて、可哀想で、なんというか素朴で、可憐でっていうことが起こるんですよね。不思議な芸能だなと思いますよね。声優さんと違って、声質とキャラクターが一致しなくても聴いているうちになんとなく納得させられる」

後藤「それはそうですよね。人形一体一体、役柄が違うわけで、その声をひとりでやるんですから。役者さんがそれぞれの役を演じているわけじゃないですもんね」

清志郎「全キャラクターを語らないといけないわけですから」

後藤「まだ2回しか観に来ていないですけど、こちらの想像力が試されるなと感じました」

清志郎「申し訳ないくらい、お客さんにかなり委ねるものは、多い芝居だと思います」

後藤「でもそれってもともと、読書をするにしても音楽を聴くにしても、毎回問われる資質だと思うんですけれどね。例えば、読書の場合、書いてあることは一緒じゃないですか。そうすると、その人がどう楽しむかっていうのは受け手のものというか」

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清志郎「そうですよね、その方の個性というか、知識とか個性とか持ち味で楽しむものですものね」

後藤「こういった伝統芸能は、こちらの準備によって楽しみ方や面白みが変わるんだろうなと思ったのが、初めて見たときの感想です。今日の『曾根崎心中』は、あまり文楽に詳しくなくても知っているようなメジャーなお話なので、割と聞きやすかったですね。話に入り込んで、“九平次(※4)ひどい!!” なんて心の中でつぶやきながら観ていました。そういうふうに、多分、当時の人は観たんだろうなって」

清志郎「嬉しいですね。10年前、20年前に遡っても、同じものをひたすらやり続けているだけなので飽きそうなものなんですけれども、お客さまもちゃんと来てくださりますし、やっている側も、毎回新鮮な気持ちでやれるというのは、やっぱり作品にそれだけの力があるんだと思います。いつの間にか美味しいと感じるようになったビールとかお酒とか、昔は不味く感じたものがいつのまにか美味しいと感じるような…、なんと言うか、掴みどころがなくて、いつまでやっていてもよく訳が分からないことが多くて、何がおもしろいのかはっきり分からないんですけれども、飽きないんです」

清志郎さんと文楽の出会い

後藤「清志郎さんはどうやって文楽に出会って、修行しようと思ったんですか?」

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清志郎「そうですね、文楽っていうのは世襲制ではないので、外の世界の人でも入れるんです。僕は長野県の飯田という土地があってそこで生まれたんですが、そこの地芝居、田舎芝居にこの人形浄瑠璃というジャンルの芝居が残ってるんです。子供のときからそこで人形遣いをやっていたんです。中学生くらいのときにプロの劇団、文楽座の存在に気がつきまして、大阪に出てきて。 “文楽に入れてくれ” って劇場まで来たんですけど、ちょうど文楽の人たちは東京公演で皆留守してまして(笑)。ガードマンさんに頼んで中を案内してもらって、それから文楽の技芸員(大夫、三味線弾き、人形遣い)になるための研修を行っているところに入ったんです」

後藤「それは高校を卒業してからですか?」

清志郎「そうです。高校を出る直前に行きました。最初、中学の時に研修生になることを考えたんですけど、その研修生募集のサイクルが2年おきなんですよ。中学校に募集担当の人が訪ねて来て “研修生になりませんか?” みたいなこともあって」

後藤「今では、わりと人が入ってきてるんですか?」

清志郎「そうですね。わりと入ってきてるんじゃないですか。就職活動の一貫みたいなとこもあるかもしれませんけど」

後藤「そういう子に話を聞いてみたいですね。 “どうして入ろうと思ったの?” って」

清志郎「一度観て文楽の衝撃があまりに強くて飛び込んで来たという人も大勢います。文楽の場合はピアノとかと違って稽古ごととして “やってました” っていう人が少ないんですよね。僕がやっていたような、地方の小さな人形浄瑠璃の劇団も、日本中に十何個あるかないかでしょうからね。なかなかそういう土壌が弱いですよね。野球とかサッカーとか、音楽やギターやってるとかと比べたら格段に弱いですよね」

後藤「音楽の場合、まずは “敷居が低い” っていうのがありますよね。そこらでギターは売ってますし。独学でも真似してできますから」

清志郎「敷居というか馴染みがありますよね。手に取りやすい。確かに三味線なんかどこに置いてるのかな?なんて思いますもんね」

後藤「確かにそうですね。僕が “文楽をやったこともないのに入っていく人たち” がすごいなって思うのは、恐らく、この三味線の修行はとても大変だろうと想像するわけなんですよ。一人前とされるのに伝統芸能って時間がかかるじゃないですか」

清志郎「そうですね」

後藤「何十年も芸ごとに尽くして尽くして」

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清志郎「これは僕らが言い訳にしてるだけなのかもしれませんが、どうしてもある程度年齢が積もったところからしか出ない音っていうのがあって、舞台上で噛み合う、その不器用な音みたいなものは、ある程度練って、ちょっと落ちてきたぐらいにしか出なかったりするので。それはもう言い訳でなくそういうところがあるんだろうと思うんですよね。ただ、漫然と50歳になったら上手くなるっていうものでもないですよね。今トップを狙いに行くくらいの勢いを持って舞台に臨んでいる人たちが、良くなって行くんだと思います。確かに時間はかかるんでしょうね。ストーリーがくっついているので説得力が要りますからね、音そのものに」

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鶴澤清志郎

鶴澤清志郎(つるざわ・せいしろう)

1974年長野県生まれ。1992年に国立文楽劇場第15期研修生となり、1994年に鶴澤清治に入門。清志郎と名乗る。同年6月、国立文楽劇場で初舞台。

(※4)九平次

徳平衛の友人で油屋の主人。 徳兵衛を罠にはめ、醤油屋の主人に返還しなければならない結納金をだまし取る。そのやり口は用意周到で、印判の紛失を装って徳兵衛が印判を盗み借用書を偽造したかのように連れ合いに吹聴し、徳平衛に殴る蹴るの暴力を加える。