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東北から“50年後の日本”を描く | 対談:赤坂憲雄×後藤正文

50年後の未来のために今何ができるのか

後藤「東北が日本の未来図、将来像だというのは、本当にそうだと思います。それに早くみんなで気づかないと、とんでもないことになるんじゃないかっていう不安も同時にあります。このままさっきの防潮堤のように、コンクリートで塗り固めた建造物や箱モノを造り続けて、将来それが老朽化したときにどうなるんだろうって。ものすごい巨大な廃墟が日本中にできて、修繕できないし、取り壊すこともできないみたいな状況になるのを想像すると恐ろしくなりますね」

赤坂「このままだとそれが日本の未来図だから。かなり高い確率で」

後藤「僕は今36歳なんですけど、同世代では〝なんかおかしいぞ〟っていう空気を共有しているという直感があります。なぜあらかじめ造ることが決まっているかのような、予算を消費するためにあるかのようなものを造るんだろうって」

赤坂「そうだね、若い世代ではすでに価値観の転換が始まっている気がする。日本の戦後経済っていうのは、公共事業依存型で作られてきたでしょ。森の木を伐採して、また植林して自然公園を造るみたいなムダなことを一生懸命やって仕事を増やして、日本の経済力だと言い張ってきた。それを高度経済成長期やバブルの成功体験として引きずってる人たちが〝バブルよ、もう一度〟みたいな想いで引っ掻き回している。でもね、そんなのじきに終わるから。人口も減って経済力も落ちて公共事業では回っていかなくなるのが目に見えてる。なのにさ、国土強靭化(※9)だっけ? ちょっとね、笑うよね。もうそんなことやってる暇ないのに。だからそれに気づいた人たちが、どれほど厳しい現実であれ覚悟を決めて引き受けるところからしか、何も始まらないんだと思う」

後藤「そうですね。僕が今一番怖いのは、早く自分たちの世代がなんとかしないと、結局、答え合わせができるのって20年後くらいだと思うんです。そのとき僕は56歳で、そこから動き出そうとしても遅いんです。だからもっと早く動きたい。社会の新陳代謝っていうんですかね、ものの考え方とか、思想とか、早く改めないと手遅れになるんじゃないかって危機感がずっとあって。早くこのやり方、旧態依然とした方法を追い出さないと、おじいさんになった時に、とんでもないツケが残ってるというか……」

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赤坂「僕はついこのあいだ60歳になったんです。そうすると、自分が働ける残りの年数はどのくらいなのかなって、後藤さんよりもっとヒリヒリ感じているわけです。原発に依存してその恩恵をたっぷり受けながらここまできてしまった反省とか、悔いとか、そういったものもいよいよ募る。だから、残りの時間の中でせめて自分に何ができるかを考えていきたい。そんななかで僕が今、福島で何をやろうとしているか、それをいくつかお話ししたいと思います」

後藤「お願いします」

赤坂「まずひとつ、僕は会津若松にある福島県立博物館の館長をしているんですが、会津は原発の汚染がそれほど届かなかった土地なので、会津から福島のために、東北のために動こうっていう議論を、震災後のかなり早い時期から始めていたんです。11年の7月20日に開かれた、『福島の未来を考える会』のテーマは自然エネルギーの可能性を問いかけることでした。自然エネルギーを拠りどころにして、どのように地域の自治や自立をデザインしていくかを議論したんです。それから勉強会が延々と繰り返されました。そのなかで気づいたことがあるんです」

後藤「なるほど」

赤坂「ある時にね、みんなで模造紙を広げて、福島が抱えている問題をマジックで書き出していたんです。そこにはね、風力発電に反対する運動をしている人たちがいる。逆に自然エネルギーを広めたいと思っている人たちがいる。子育てについて考えている人たちがいる。あるいは野生動物の保護について考えている人たちがいる。野鳥の会の人たちもいる。あるいは……というように、てんでんばらばらな人たちが集まっていたわけです。そして、てんでんばらばらなことを模造紙に書いていきました。それを眺めていた時に、僕だけじゃなくて、みんながほとんど同時に気づいたんです」

後藤「同時にですか?」

赤坂「そうでした。てんでんばらばらだと思っていた人たちが、これからの福島で生きていこうとした場合、ばらばらな存在ではなかった。ひとつの見えないブラックボックスを取り巻く、群れのように見えた。要するにね、模造紙のどこか見えない中心あたりに、原発が隠れていたんです。原発というものを拒絶した時には、ケンカなんかしていられないんですよ。象徴的にいうとね、風力発電を推進する人と野鳥の会の人って、本来は犬猿の仲なんですね」

後藤「鳥が風車に突っ込んでしまう、バードストライクの問題がありますよね」

赤坂「そう、天敵なの。野鳥の会の人は一羽でも鳥が犠牲になるのはいやだと言う。風力の人はそれくらいの犠牲はやむを得ないと言う。過去には、まともな会話が成立したことなんてないでしょう。でもね、犬猿の仲でいられたのは、原発があったからなんですよ。つまり、僕は〝原発モラトリアム〟と呼んでいるんだけど、原発がそこにブラックボックスのようにあって、嫌悪しつつも巨大なエネルギーを作ってくれていたから、両者は延々と対立していられたのです」

後藤「ところが、原発事故によって対立する大義名分がなくなったと」

赤坂「そう、もう原発と共存できないとなったら、どこかで折り合いを付けていくしかないんでしょう。われわれは電気のない、原始人のような生活になんて戻れやしないでしょ。同じように、鳥を一羽も犠牲にしないで生きていくことなんて、たぶんできない。われわれは自然を傷つけ、少しだけ侵すことによってしか生きていけない存在なんですよ」

後藤「改めてそれを突きつけられたと」

赤坂「じゃあ、どうしたらいいのか。その模造紙からいろんなものが見えてきた。今、われわれはバラバラのように見えているけれども、実は同じ時代を共有している、次の社会をここからデザインしていかなければいけない、折り合いを付けることを学ばなければいけない。〝原発モラトリアム〟に別れを告げることが必要だ。そのとき、バラバラの問題がひとつに繋がったんです」

後藤「すばらしいことだと思います」

赤坂「その集まりは20人とか30人の集まりなんですけど、何度も議論を繰り返して、〝会津から自然エネルギーの会社を作ろう。自分たちでエネルギーを作ろう〟というところまで来ました。その過程で出会ったのが、ドイツの『シェーナウの想い』という映画なんです。シェーナウという町の人たちが、原発を拒絶して自分たちで電力会社を作るという記録映画なんですけど、その作品の副題が〝子供たちの未来のために、今自分たちは何ができるか〟なんです。これはそのまま僕らの想いでもある。今、ここから何ができるのか。自分の、自分たちの子供たち、孫たち、まだ生まれていない未来の子供たちのために何ができるのか。今何を選ぶことが、子供たちの未来のために役に立つのか。突き詰めるとそうした問いだけが残るんです。それ以上に大切な問いなんてあるはずがない。福島の現実を前にしては、目先の利害なんてどうでもいい。30年後、50年後の福島に暮らしている人々のために今何をなすべきか、それだけを考えようと」

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後藤「なるほど。僕はこの前ドイツにツアーで行ったとき、エネルギー事情の見学をしてきたんです。ドイツは発送電も分離されているし、やっぱり国がそれぞれの自然エネルギーに対して、上手に資金を融通させたりしてるんですよね。もちろんまだうまくいってない部分もあるんですけど。でもそれって当たり前だと思うんです。新しいことを始めるんだから、うまくいかないことがあって当然。失敗して初めて調整したり、修正したりしながら進んでいくわけだから」

赤坂「そのとおりですよね」

後藤「それをネガティブに捉えるんじゃなくて、ポジティブに受け止める。どう考えたってラディカルなチャレンジだと思うんです、再生が可能っていうのは」

赤坂「日本は、原発を永久機関にしようとして失敗したわけですね。でも今や自然エネルギーが技術の進歩によってそれに取って代わる可能性を持った、実用的なものとして動かせる時代に入っているんですよ。もし震災が10年前に起きていたら絶望的だった。でも、今ここで途方もない困難にぶつかったがゆえに、選択肢として真っすぐに再生可能エネルギーを名指しすることができた。われわれは少なくとも新しいステージに立つことができる可能性だけは、すでに手に入れていたわけです」

後藤「そう思いますね」

赤坂「最終的に僕らは、再生可能エネルギーをこの福島からいろんな形で広めていこうという想いをひとつにして、動き出しました。この8月に旗揚げをした会津電力(※10)もそのひとつです。そこで中心になっているのは、女の人たち。やはり子育てとかを考えてゆくと原発との共存だけはありえない。でも、〝嫌だ嫌だ〟と言っているだけでは前に進めない。だから自分たちが多様な形で、再生可能エネルギーを広めて、草の根で自立や自治の拠りどころにするような方向に育てていこうと考えました」

後藤「まさに、福島がはじまりの地になるという考えですね」

赤坂「そう。面白いことにね、会津電力のプロジェクトを進める中で、金融の問題にもぶつかったんです」

後藤「金融ですか?」

赤坂「うん、これまではね、地方や地域っていうのは国や県の助成金をもらうことで仕事をしてきたんですよ。自立的な地域だと称讃されてきたような自治体でも、80%から90%が助成金に頼っている。助成金を上手にもらってうまく回すっていうのが優等生的な〝地方自治〟のあり方だったのです。でもね、そうじゃない方法もあるんじゃないか。地域の信用金庫を動かして、自然エネルギーに融資してもらうようなシステムを作るとか、あるいは志で繋がる市民が多様なファンドを作って運営するとかね」

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後藤「グローバルな金融市場に繋がるような、中央集権的な金融システムとはまったく別のあり方ですよね」

赤坂「そうですね、まさに顔の見える関係の中で、お金も顔の見えるものにしていこうっていう考え方ですよね。発想の転換をしたときに初めて、新しい考え方も生まれてくる。だからね、草の根の自由民権運動じゃないけど、あえて地方や地域から、新しい思いや志を持った世代が発言権を得ていくことが必要だし、そこから少しずつ変えていくしかないんじゃないかと思います」

後藤「それが50年後にはスタンダードになっているかもしれない」

赤坂「ひとりひとりが50年後の未来を思い描きながら、主体的に〝今・ここ〟からできることを始めるという覚悟を決める、それ以外にないと思いますね」

(2013.10.2)
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赤坂憲雄(あかさか・のりお)

赤坂憲雄(あかさか・のりお)

1953年生まれ。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。昨年発足した『ふくしま会議』、ウェブサイト『ふくしまの声』の運営にも携わる。主著に『東北学/忘れられた東北』『柳田國男を読む』など。震災以降の東北を訪ね歩いたフィールドワークの記録は『3・11から考える「この国のかたち」東北学を再建する』で読むことができる。

(※9)国土強靭化

安倍内閣の主要政策のひとつ。インフラの老朽化対策や耐震化などの対策を推進し、産業・生活基盤の強化を図るというもの。10年間で200兆円規模を公共事業に投じる計画で、バラマキ的な性格が強いものとして批判を集めている。

(※10)会津電力

設立の狙いや経緯についての詳細は、今号に代表者のインタビューが掲載されている。