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豊かさと未来——人と人がつながることで、未来は切り拓かれる。 | 山崎亮

困っている人を楽にするのが働くことの原点

後藤「理想を語るとするならば、未来図をどう思い描いていますか」

山崎「日本の中で好きな都市はありますかって聞かれると、福岡が好きなんですね。都市としてのサイズがいいと思います。そんなに不便じゃなくてわりと大きなデパートもあって商業施設もあります。ちょっと行けばすぐに自然もあります。あれぐらいのサイズが日本で一番大きな町でも、そんなに問題はないような気がしますね。福岡が一番大きくて、それ以外の地方都市がまばらにいくつかあって、そのグリッドがあんまりグローバルにつながりすぎていない。地域の中にお店があってそこにちゃんとお金を落としながら買い物ができるっていう環境が整っているような人口10万から20万くらいの地方都市がある。それを支えるくらいの食料を供給できる後背地がちゃんとある。そんな仕組みがあるといいような気がするんですけど」

後藤「真ん中に都市っていうマーケットがあって、周りに自然もあってってことですよね」

山崎「そうです。どこまでいっても都市が連なっているのはちょっと無理している気がしますね」

後藤「確かに僕もツアーで全国を回っていて、たとえば仙台みたいな都市が好きなんですよ。あれぐらいのちょっと行ったら農地があるし、自然があるしみたいな町が点在してればいいんじゃないかなと思うんですよね」

山崎「うんうん。飛行機がこれから降りますよって時に“ああここがちょうど町か”って思えるくらいがいいですよね。“降りますよ”って言った時にもう町の端が全然見えないって、やっぱりちょっと大きすぎると思います」

後藤「地方の町とかでも僕だったらしっかりした図書館と、たとえば小さな映画館と、あと音楽堂が一つあれば満足だなと」

山崎「文化人ですね(笑)」

後藤「そんなことないですよ(笑)」

山崎「いいなぁ」

後藤「あとお祭りも一つくらいあってほしいですね」

山崎「町ごとに個性があって、“隣の祭りよりもうちの方がいいに決まってる”っていうプライドを持っていたりですね。多くの人たちが“いいね”って思う町を一度可視化してみるといいと思っています。ただ、これまでもそれをエコビレッジ(※4)とか、かつてはコミューン(※5)と呼ばれたりとかして、常にみんなやろうとはしてきたんでしょうけどね、なかなかうまくいっていません」

後藤「東京ずるいっすもん。世間的にマイナーでも面白いミュージシャンが沢山いるじゃないですか。映画も面白いのやってるし、演劇もやってる」

山崎「東京ないと回らないですもんね」

後藤「地方じゃお客さん入らないですし」

山崎「そこは難しいところですよね」

後藤「そこをどう我慢するかってのもあって、今ならウェブキャストとかで見れたりできますからね」

山崎「そうですよ、それが何かを変える可能性はあるんでしょうね」

後藤「レコード会社は東京にあるし、大きな音楽スタジオも東京にしかないので録音するときは関東圏に出てこなきゃならない事情があるんですけど、たとえば僕が物書きだったら東京に住む必要って全くない」

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山崎「事実、僕はあんまり東京で書くことないですね。ある時“青森行くわ”って3日くらい青森行ってあとがき書き上げちゃったり(笑)。物書きだったらほんとに東京や大阪にいる必要はないですよね」

後藤「一方で普通に会社勤めをしている方たちにとっては仕事もあるし、切実な問題です。僕らみたいな、特に音楽家みたいな人間は、地域分散型だとか簡単に言いますけど…。どうしたらいいのかな」

山崎「会社勤めしている人たちが、そういうふうにするのはちょっと重いのかな、と思います」

後藤「そうですね」

山崎「暴論かもしれないけれど、もっと多くの人が独立してもいいと思うんですよね。企業と契約して個人事業主として外注を受けるとか」

後藤「なるほど」

山崎「“雇われている”という言い方が、結構色々なものをねじ曲げちゃっているかもしれないと思います。そこをちょっとずらすだけで、人生観はかなり変わると思います。そもそも雇われる働き方自体も実はここ80年ぐらいの特殊な働き方なんですよ。江戸時代は、96%が個人事業主ですからね。坂本竜馬たちが薩長同盟(※6)を作ったり、岩崎弥太郎(※7)らが会社みたいなものを大きくしてきた150年、200年前でも、人口の90%くらいは個人事業主でしょう。だから就職が厳しい僕ら世代のことを上の世代は“かわいそうだね”って言うけど、その上の上の世代の頃は、ほとんど個人事業主だった可能性もあります」

後藤「雇用する側や権力の側は、会社が大きくなったり、グローバル化すればするほど『従業員たちに顔がないほうが言うこと聞くから便利だ』と思ってる節がある気がするんですよね。誰でもいいような仕事が増えてるって言うか。顔のなさを要求されている現場の人たちが、“自分じゃないとできないこと”をどんどん増やしてくっていうのは一つの抗い方かなと」

山崎「そうですね。その時に重要なのは、人が何に困っているかを学ぶことでしょうね、きっと。いろいろ困っていることはあるわけだけれども、“これだったら俺はできる”っていうものを見つけていくのが、自分じゃないとできないことを発見するプロセスだと思うんですね。“これだ”と決めて突き進んでも、社会にニーズがなければ、なかなか突き進んでいくことができません。そういう意味では端(はた)にいる人たちが何で困っているかをちゃんと察知して、それを楽(らく)にしていくことを続けていくと、“働く(はたらく)”ということになると思います。たとえば、“落ち込んでいる人を音楽で元気にしたい”とか、“兵士に銃を置かせたい”とか、何をすれば、困っている人たちの気持ちや行動を変えることができるのかっていうことを考えていくこと。そこから働くという行為が生み出されてくるんですね。大きな会社の創業者たちは、みなそれを思っていたはずですよ」

後藤「奉仕というか社会貢献の精神だったんでしょうね」

山崎「元々はそうだと思いますね。たとえばトヨタでも松下でもきっとそうでしょう。台所でアカギレに困っているお母さんの姿を見て、“洗濯機がいるんじゃないか”とか“食洗機があった方がいいんじゃないか”とか。困っている人たちを楽にしてあげたいという気持ちから働くっていう行為ができていたはずなのに、大きな企業体になってしまうと就職した人たちにその志みたいなものがあまり伝わっていない。そうなってしまうと、言われたことをうまくこなしていくことがミッションになっちゃうんでしょうね」

後藤「その気持ち、なんかわかります。僕も普通に会社入ったら出世したい、成功したいと思うでしょうから」

山崎「誰のために何をしているかとは別にして、やっぱり“出世したい”ってことにどうしてもなっちゃいますもんね。話の本質はずっと同じで、地域であっても会社であっても、グリッドを大きくしていった時におかしくなってくることに気付いたのがまさに僕らの仕事なんですね。大きくなることによっていい点もいっぱいあった、それは確かなんです。だけど同時に悪い点も生まれてきているのに、そこに目をつぶってきた。“もう目をつぶれないよね”っていうのが、僕らが取り組むべき課題なんだと気づきました」

東北からコミュニティデザイナーが生まれて欲しい

山崎「阪神淡路大震災の時もそうでしたが、復興のプロセスはやっぱりそこにもともと住んでいた人たちの手で行われなければなりません。怒っている人もいるし、泣いている人もいるし、呆然としている人もいます。けれど、未来に希望を持っている人がいるという状態にするために、みんなで話し合い、合意形成をとって、この町をどうしていくかを考える。そして意見を出すだけじゃなくて、自分たち自身が復興に向けて動き出す。西日本では1995年以来、18年間まちづくりやコミュニティをうまくまとめて、みんなで前へ進んでいこうという気運を高めていくっていうことをじっくりとやってきた。コミュニティデザインの事務所が関西から生まれてきたのは、偶然じゃないんです。ある種の必然なんです。だからこれからは、東日本に期待しています。東日本大震災がおきて、否が応でも励まし合わなきゃいけない。未来に対するいろいろな意見があるけれども、誰かが主体となって進めていかなければならないわけで、これからめきめきとコミュニティデザイナーが力を伸ばしてくるはずです。それは東日本だと思いますね」

後藤「人々も一体になって町づくりに参加しないといけなくなっていますしね」

山崎「そうです、そうです。コミュニティデザインをできる人が一人でも増えて、どんどん困っている地域を助けに行ってほしい。そういう人材を育てるなら、今は東北だと思っています。だから東北芸術工科大学にコミュニティデザイン学科を作ることにしました。自分たちの故郷を良くしたいと思う人たちを集めたいですね。彼らには4年間、東北の復興の現場に派遣しながら実地で勉強して、東北をはじめ日本全国の限界集落や苦しんでいる商店街に入っていってほしい。東北で鍛えられた学生たちは、きっと卒業後は全国で活躍するでしょう。東北の人たちは、無口で我慢強い。どうですかと聞いても、“私はいい”って言いますから。そこで意見を聞き出して合意形成できるようになった人達は全国で活躍できるんじゃないかなと思います。東北芸術工科大学でコミュニティデザインを学ぶ学科を作っていこうと、ちょうど今、文科省に申請しているところなんですよ」

後藤「どんどんお弟子さん作ってください」

山崎「それをやらないとそれこそ一極集中の流れは止まらないですもんね。コミュニティデザインなら、studio-Lだってばかりではよくないと思います。うちのような事務所が東日本にもどんどんできていくべきでしょう」

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後藤「東日本にRをつくって、ステレオにしたらいいんじゃないですか」

山崎「お、かっこいい!もう文化人は言うことが違うなぁ。それいただいていいですか(笑)」

後藤「文化人ではないですけど(笑)」

山崎「音が微妙に違わないと立体感が出ないわけで、同じことをしても仕方ない。だから西日本のLのやり方と東日本のRのやり方は微妙に違うべきでしょうし。すっごい、それ。なるほど、今日は勉強になったなぁ。できちゃうな、studio-R事務所」

(2013.1.30)
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山崎亮

山崎亮(やまざき・りょう)

1973年愛知県生まれ。コミュニティデザイナー。株式会社studio-L代表。京都造形芸術大学教授。人と人とのつながりを基本に、地域の課題を地域に住む人たちが解決し、一人ひとりが豊かに生きるためのコミュニティデザインを実践。まちづくりのワークショップ、市民参加型のパークマネジメントなど、多数のプロジェクトに取り組んでいる。著書に『コミュニティデザイン』、『まちの幸福論』、『コミュニティデザインの時代』など多数。

(※4)『エコビレッジ』

持続可能性を目標とした町づくりや社会づくりのコンセプト、またそのコミュニティ。「お互いが支え合う社会づくり」と「環境に負荷の少ない暮らし方」を求める人のコミュニティ

(※5)『コミューン』

フランス中世の自治都市。本来、市民相互間の扶助を誓い合った平和誓約社団を意味する。また、1970年代から広まった、生活基盤を共有しつつ生活する複数の家族のあり方のこと。

(※6)『薩長同盟』

1866年に薩摩藩と長州藩が江戸幕府を倒すために結んだ同盟。

(※7)『岩崎弥太郎』

三菱財閥の創始者。