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覚悟と未来——希望を語らざるを得ない時代、踏み出す一歩。 | 園子温

希望を求める気持ちは、絶望した末に出てくる

後藤「何が“希望”なんだろうって、『希望の国』を見ながら考えたんですよ。きっと考えろ、って言われてるんだろうなって」

「希望について考えざるを得ない、“いい時代”になったと思うんですよね。僕は、あの3月11日以前は『ブレードランナー』(1982年)(※3)なんかも好きだったし、核戦争以降の荒廃した未来を描いた、放射能の雨が降るイメージをかっこいいと思ってました。廃墟感が洒落てると感じた。それが、そのまま現実になってしまうと、そうは言っていられなくなる。核戦争以降を描いた『ザ・ロード』(2009年)(※4)という映画が日本でも昨年公開されていて見たんですが、『いいなぁ、この人たちはまだこのムードに浸ってられるんだなぁ』と思ったし」

後藤「ああ、それわかります」

「もう、絶望とか、デカダンな雰囲気に浸れなくなったんですよ。『ヒミズ』のときも、最初は2001年に描かれたマンガ(原作:古谷実)をそのまま映画にするつもりで、主人公が最後に命を絶ってもいいと思っていたんですが、ロケ中に震災があったことで、主人公を生かしたんです。僕は『希望に負けた』と説明したんですが、希望に白旗を揚げて『参りました、もうこれからアホなことは言いません』と。『恋なんてさ…』とカッコつけてた若者が、急に恋に落ちて『スイマセンでしたッ、今まで!』っていうような敗北感ですかね。希望に向かって土下座して『お前に負けたよ』と言ってる感じですよ、今は」

後藤「はははは(笑)」

「(笑)。ただ、恋だったら対象があるんですけど、『ヒミズ』や『希望の国』では対象となるものがない。とにかく、希望を探し続けることになりました。もしかしたら、希望を求める気持ちは、絶望した末に出てくる感情であって、これまでと同じように生きていられたら考えなくても良かったんですよ。これは、絶望の中の良かった部分かもしれない。少なくとも、自分にとってはそうです」

娯楽に徹することが映画の機能とは思ってない

後藤「NHKのドキュメンタリー(ETV特集『映画にできること 園子温と大震災』)を見たんですが、モデルとなった南相馬の家族の前で、完成した『希望の国』を上映するところの、なんとも言えない緊張感が伝わってきて。自分もひとりの表現に携わる人間として、スゴい覚悟だなと率直に思ったんです」

「あの企画が始まったのはNHKの人と飲みながらの時だったんです。酒も入ってたし安易に企画を通しちゃって。しばらくして、大変なことだと思って『やめようよ』と言ったんですが、カメラもすでに回ってて『何言ってるんですか』と怒られちゃいました(苦笑)」

後藤「そうだったんですか」

「あの映画は、福島でそのとき何が起きたか味わったことがない人に味わせるために作った映画なんだけど。それをもう1回あの人たちに体験させるというのは趣旨とまるで違うから、それも嫌だった」

後藤「ええ」

「上映中に皆さんの背中を見てると、東京の劇場で公開してるのなんかとは温度が違う、ヒートアップした背中なんですよね。もう直視できなくて、部屋の外に出てしまって。上映の後には話さなきゃいけないし、そのときは『もう、ぶん殴られてもいいな』と覚悟して」

後藤「番組でもそう仰ってましたよね」

「それで『違う、私たちが体験したことはこんなんじゃなかった』と言われたら、もうこの映画はダメだろうと思って……でも、自分たちが味わったままが描かれていたと言っていただけたことで、なんとかですね。上手く言葉に表せないですが、まぁ、ふぅ…という感じでした」

後藤「良かったなぁ、というのとは少し違う」

「そうですね。気仙沼で上映会をやったときも、最後までごゆっくりなんて紹介はできないから、全然さっぱりしないですし。上映中も反応が気が気じゃない。その回は自分の家を流されたお母さんが、娘さんに連れられていらして。そのお母さんは『自分の家が流された後の土地は歩けない』と引きこもりがちになっていたんですが、帰りがけに『この映画を観たことで歩けるようになった気がする』と言ってもらえたんですよ。この言葉には随分救われました」

後藤「自分にそういう覚悟がないかと言ったら難しいところなんですが、たとえば、『瓦礫』という言葉が出てくる曲(『夜を越えて』)を作ったんです。その瓦礫って言葉を書くのに何ヵ月も悩んで、実際に書こうとやっと決めて、書いたんですが。それを覚悟と言えるのか……それまでは津波の被災地を訪ねても、震災そのものについては唄えなかったんです」

「僕も被災地で撮影していると瓦礫を撮っているわけで、それは『ヒミズ』のときに覚悟しました。報道とかドキュメンタリーと違って、そういうものを赤裸々に撮影したり、歌詞にすることに僕らが控え目になってしまうのは、それがある種のエンターテインメントに括られているからだと思うんです。僕のやっているような日本映画は、ポップコーンとコーラを持って映画館で観るもので。そこに被災地の映像を入れるというのは不謹慎じゃないか、ということになるんですよね」

後藤「しかし、誰が言い出すんですかね。不謹慎って」

「ポップコーンなんて似合わない日本映画があってもむしろいいんですよ。娯楽に徹することが映画の機能とは思ってないので、いろいろ自分に言い聞かせながら撮ってるわけですけどね。この題材との出会いは、言ってみれば捨てられた仔猫に出会ったようなものなんです。ここで知らんぷりしたら、家へ帰ってもアイツのことを思い出して後悔してしまう。じゃ、自分が拾わなきゃダメだろうと。何度も現地へ通ううちに、その仔猫と日常で一緒に暮らすことが自分の人生になったという感じです」

後藤「NHKのドキュメンタリーで読まれた、あの『数』という園監督の詩、すごく良かったです」

「さっき後藤さん、歌だと歌い切れない、こぼしてしまうって言ったじゃない。僕も『こんな映画の1本や2本撮っただけでは何も終わらないし、取材したことの数分の一も盛り込めない。自分が見たものを正確に現せるんだろうか』と落ち込みかけたことがある。そのとき、飯舘村で桜の花を見たんですね。『この桜の花びらを全て数えることだったら、必死に頑張ればできるだろう』と。そのときは真剣でした。この経験は『お前ごときに現せるわけじゃないんだぞ、そのことはしっかり覚えとけ!』という自分への戒めとして詩にしましたが、同時に決意でもありました。でもやるんだ、と。久しぶりに散文詩と言うか、気持ちを書いてみたんですよ」

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園子温

園子温(その・しおん)

愛知生まれ。映画監督。87年『男の花道』でぴあフィルムフェスティバル(PFF)グランプリ受賞。PFFスカラシップ作品『自転車吐息』はベルリン国際映画祭正式招待。以後、世界の映画祭で高い評価を得る。代表作に『愛のむきだし』(09年)、『冷たい熱帯魚』(11年)など。『恋の罪』(11年)はカンヌ国際映画祭監督週間正式出品。2012年10月『希望の国』公開。12年は「非道に生きる」(朝日出版社)、「希望の国」(リトルモア)などを執筆。最新作『地獄でなぜ悪い』が13年公開。

■注釈

(※3)『ブレードランナー』(1982年)

監督:リドリー・スコット、原作:フィリップ・K・ディック、美術:シド・ミードとSF映画を代表する3人が、P・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をもとに鮮烈なイメージを創造した2020年の世界。近未来を舞台に展開するアンドロイドたちの物語を描いたSFサスペンスで、その卓越した近未来描写により、多くのファンを持つカルト作品。

(※4)『ザ・ロード』(2009年)

監督:ジョン・ヒルコート、原作:コーマック・マッカーシー。『血と暴力の国』『ブラッド・メリディアン』など数多くの著作で知られる米国人作家コーマック・マッカシーのピューリッツァー賞受賞小説を、ヴィゴ・モーテンセンを主演に迎えて映画化。ほとんどの生物が死に絶え、文明が崩壊した近未来のアメリカを舞台に、希望を求めて南へと旅する父と子の過酷な道行きを描く。