『The Future Times』編集長の後藤正文と作家の乙武洋匡さんは、同じ1976年生まれ。Twitterでのやり取りがきっかけで、かねてから対談を希望していた。2011年5月、同時期に被災地へ入った2人は、あのときどんなことを考えたのか。また、現代社会への違和感とそれを打ち破るユーモアの力とは。
乙武「こんにちは。対談がようやく実現しましたね!」
後藤「これまでも、近い場所では何度かすれ違っていたんですよね」
乙武「あとは、Twitterのやり取りで」
後藤「そう。乙武さんはTwitterが本当におもしろくて」
乙武「ウッハッハ(笑)。ありがとうございます!!」
後藤「わりとフォロワーの皆さんとやり合うじゃないですか。端から見てて、僕はどこまで笑っていいか悩むというか。あっけらかんと自虐的なツイートもバンバンするし、エロいこともバンバン言うし(笑)」
乙武「後藤さんが『これって笑っていいの? 乙武さん的にはアリかもしれないけど、俺、素直に笑えねーし…』って考えるじゃないですか。僕の狙いもまさにそこにあるんです。その『考える』ということが大事で、別にその答えはどちらでもいいんですよ。笑っていいんだなと思う人もいるかもしれないし、やっぱり俺は笑えねーよ、って人もいるかもしれない。その答えを僕は強制したくないんです」
後藤「それはツイートからも伝わってきます」
乙武「この前、僕のボケに対して、『乙武さん、手ねーじゃん!』って、キレのいいツッコミを入れてきた子のツイートをリツイート(転載)したんです。そしたら彼、真面目な人に噛み付かれちゃったんですね。『乙武さんに対して手がないとは何事か、不謹慎だ!』みたいな。これもどっちが正解というのではなく、もともと僕とフォロワーさんの間では“ノリ”を共有している会話じゃないですか。でも、手のない人に対して失礼だ、と思う感覚も一般的かもしれない。そういう摩擦を僕は起こしてしまっています。もしかしたら、不快な思いというか、なんだろうな…あえてデコボコみたいなものを作り出してるのかもしれない。それは必要なことだと思うんです」
—— なぜ、あえて乙武さんはデコボコを作るんですか?
乙武「それは、世の中には目を向けなくても済んでしまうこと、考えずに素通りできてしまうことが山ほどあるから。でも、本当は解決しなきゃいけなかったり、自分なりの答えを出していかなきゃいけないことだったりする。それぞれの現場にいる様々な分野の人たちが、どうしたら解決する手法を創り出せるかが大事だと思うんです。そういう意味で、後藤さんの出している『The Future Times』と僕のTwitter、性質が似ていると思うんですよ。後藤さんがこの新聞を創刊したいと思ったのは、『震災のこと、原発のこと、それぞれみんな考えなきゃいけないのに、なんとなく素通りしちゃってるし、考えなくて済んじゃってる。考えないとマズくね? 俺ら社会人なんだし』というのが経緯だと感じたんです。そういう意味では似てるのかなと」
後藤「そうですね」
乙武「僕は障害のある人に対して、一人ひとりがどういう視線を向けたらいいのかとか、その答えまでは強制しないけど、そうやって考えてもらうきっかけをつくるのが大事だと思っています。それを模索していった結果、ああいうくだらないことをネタにつぶやいていくということになりました」
後藤「僕はもう見事にその作戦にハマっているというか、いい意味で影響を受けてます」
後藤「乙武さんのTwitterを見ていて、たまにフォロワーの方の『“障害者”を差別するな』という言説自体が、かえって差別的に感じるときがありました」
乙武「障害者というと『清廉潔白で、ひたむきに頑張っている人』というイメージが、メディアを通じて植え付けられてますけれど、実際にはそういう人ばかりじゃないですから。コワモテの人、だらしない人、飲んだくれの人、エロい人、いろんな人がいて当然ですよ」
後藤「何ごとも、一般的なイメージや簡単な言葉でパッと言っちゃえば、そこに集約しちゃいますから。『被災者』という言葉だって同じかもしれません。被災地にだって、いい人も悪い人も元からいるだろうし。そういうのって、本当にみんな“ひと言”にまとめて、フタをしちゃう感じはあるんですよね」
乙武「いろんな人たちがいる。それがたまたま障害を持っていたり、持っていなかったり、被災していたり、していなかったりと、それだけのことだと思うんです」
後藤「乙武さんは、“言葉狩り”のようなツイートにも反論しますよね。僕も言葉そのものって、本質的な問題ではないと思っていて。以前、乙武さんは『カタワ』という言葉で自分を呼んだことがあるじゃないですか(※注:乙武洋匡「僕は、カタワです」)。この言葉は、いわゆる放送禁止用語にもなってるはずなんだけど、ある言葉に乗せている感覚というのは、使っている人によって全然違う。だから、その言葉が辿ってきた背景を学ぶことは大事だと思います」
乙武「今は『障害者』の『害』の字をひらく(平仮名で表記する)という潮流がありますね。それは勝手にしてくれればいいんですけど、よく『それについてどう思いますか?』って聞かれるんです。どうとも思っていないというか、どうでもいいと思っているというのが答えなんですけど。つまり、文字面だけ変えたって意味ねーだろ、というのが僕の思いです」
後藤「これって『子供』の『供』の話と一緒ですね」
乙武「そう。じゃ、なんで元々『カタワ』が差別用語になり、放送禁止用語とされたのか。障害のある人に対して、やはり差別的な思いがあり、それが良くないから、その『カタワ』という言葉をやめて『障害者』にしようとしたんですね。そうしたら、今度は『害』の字がなんかの害になっていそうだから、平仮名にしようと。するときっとね、5年後か10年後には『障がい者』の『障』の字は、差し障りがあるという文字だからやめようって、全部平仮名になるんじゃないのかな。バッカじゃねーの!と思ってて。表面的に言葉を変えるんじゃなくて、障害のある人への意識や考え方、そこを変えていかなければ、いたちごっこで延々と言葉狩りが続くだけ。だったら、さかのぼって『カタワ』で良かったんじゃないの? とあえて挑発的な問いかけをしたんですね。不快な思いをされる方もいるのを承知の上で、それくらい先鋭的に、挑発的にやっていくことで、広く考えてもらうことをしていかなくちゃいけないな、と思います。まぁ、僕がわざとそんな言葉を使って波風を起こしていると、いろいろ言われるわけですけどね」
乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)
1976年東京生まれ。大学在学中に出版された『五体不満足』がベストセラーに。卒業後はスポーツライターとして活動。2007年から3年間、杉並区立杉並第四小学校教諭。著書に『オトことば。』、小説『だいじょうぶ3組』や続編『ありがとう3組』など多数。自身をモデルにした赤尾を自ら演じた映画『だいじょうぶ3組』が、3月23日(土)より全国にて公開される。また、今年3月から東京都教育委員に就任。自己肯定感をテーマにした最新刊『自分を愛する力』(講談社現代新書)が好評発売中。