後藤「KOさんは、早い段階で被災地の状況を目の当たりにしていたんですね」
KO「そうだね。宮城と福島に入ったのが、震災からちょうど一週間くらい。とりあえず大きな道路だけ自衛隊が広げたっていう状態だったかな」
後藤「僕は5月に石巻(※5)に行ったのがはじめてで…。まだ、お墓とお墓の間に乗用車が縦に刺さっているような状況で。恐らく、急性のストレスだと思うんですけど、頭痛がはじまってしまって…」
KO「おかしいもんね、あの光景は。だって、このライブハウスは3階建てなんだけど、これより高い建物に船とか車とかバンバン乗ってたもんね。あれは半年…、一年くらい残ってたかな。南三陸とか、ついこの間まで残ってたと思う」
後藤「気仙沼(※6)には随分と日が経ってから行きましたけど、まだ船が町中に残っていたことを覚えています」
KO「ねえ。船は船でもタンカーみたいな船ね」
後藤「そうですね。滅茶苦茶大きかったですね。民家とかも片付いていなかったですし…」
KO「最初はすごかった、本当に。震災から一週間後に行って…。それからライブがあるから戻ってきて、その間の何日間かで物資をまた集めて、ライブが終わってから積んで、翌日にまた行って。でも、キリがないなと思って…。あまりにも広範囲すぎて」
後藤「最初の頃は宅急便も届かなかったですもんね」
KO「そうそうそう。営業所がやられてしまって。福島は原発事故の影響で、宅急便も行かないってなってたでしょ。全部断られて…。宮城岩手は、何週間後かには復活するところもあったから。最初は営業所留にしてくれってのがあったよね」
後藤「物資が足りないというツイートとかを沢山見かけたんですけど、送っていいのか悪いのかも分からなかったんで、呼びかけとかも難しくて…」
KO「何県がとか何市がとかじゃなくて、受け入れる受け入れないは、その自治体の意見だったんだよね。相当揉めたからね、担当者と(笑)。『送ってもらっても困る』とか散々言われて…。俺たちが物資を持っていっても、入口で何を持ってきたかも聞かないで、歩いて行ったら手で払うように帰れって。ムカつくでしょ(笑)。歩いて行って『どうも!』って言ってるだけなのに。(手で追い払うような仕草をしながら)こうだからね。犬じゃねぇんだぞ、お前って」
後藤「ひどいですね(笑)」
KO「腹立って、俺も。物資持ってきたんですけどって言うと、『ああ、もういい。他行って』みたいなこと言われて。3回くらいキレたかな。何持ってきたかも聞いてないよね、お前って言ってさ。それで『どこの人間なんだ?』って聞いたら、みんな盛岡とか、仙台とか、県庁から派遣されて来てるやつらなのね」
後藤「なるほど」
KO「会議テーブルみたいなのにさ、靴下半分脱いだみたいな感じで座っててさ。最初は被災地だから遠慮してたのよ。だけど、2回目くらいに行ったときに段々腹が立ってきて…。いちいち、そういう態度が悪い場合は聞くことにして。聞いてみたら、大体、県の職員だから、『お前関係ないから引っ込んでろ』って」
後藤「地元の方に用事があるってことですもんね」
KO「そうそう。受け取らせないからさ、俺は勝手に中に入っていって。子供とかつかまえて、お婆ちゃんとかに『お婆ちゃん、ちょっとポカポカ靴下持ってきたんだけど』って言って。寒いじゃん?って聞いたら、『寒い、寒い。ありがたい』ってお婆ちゃんは言うわけ」
後藤「はい(笑)」
KO「お菓子とかもいっぱい持ってきてたから、子供たちにも出て来いって言って。中で配るのはダメみたいだけど、外で配る分には関係ないから。『不平等になるから』って言うから、ハイチュウ5万個くらい持ってきたから絶対に不平等にならないと思うんだよって伝えて(笑)。でも、『やぁ…』って言うの。受けとる気がないの、最初から。だけど、子供とかおやつを食えてないから食いたいでしょう」
後藤「そうですよね」
KO「子供らひとりにハイチュウ20個くらいずつ(笑)。だって5万個どころじゃないもんね、4トントラックの半分くらいはお菓子だったからね」
後藤「行政の事なかれ主義ってあるんですかね…。有事なのに…。何かあったら場合の責任を取りたくないって気持ちもあるんでしょうけど、柔軟性がないなってのは…」
KO「俺は地元の役場の弱さを感じたよね。あとは村社会っていうか…」
後藤「地域によって差があるという話は聞きましたけど。仮設住宅でも、その集まりによってはものすごく良いコミュニティができている場所もあれば、そうでないところもあると」
KO「気仙沼のひとにすごく相談されて、オムツとか送ったのかな…。『どうしましょうか?団体とかにも相談しますよ』って訊いたんだけど、結局、町内会長がイエスって言わないと(物資の受け入れが)ダメなんだっていう…。それで、どこに電話しても(役場は)『下から上がってくれば対処します』って言うんだけど、町内会長とか自治会長から(役場に)話がいかないから、物資が行き届かないんだっていう…。う〜ん…」
後藤「いろいろな行き違いが、いろいろな場所でありましたよね」
KO「何ヶ月かしたら、県庁が受け取らなくなったからね。仕分けができないって言って。宮古に合併された田老(※7)って町があるんだけど、田老のグリンピアってところに体育館があって、もう凄かったんだよね、物資が山積みになっていて…。体育館に入っていくとダンボールで造られた居住スペースがあって、おばちゃんたちと話すと『服でも毛布でも何でもありがたい』って言うんだよ。でも、俺らは行政に『古着も毛布もいらない』って断られるわけ。だから、結局、300枚あるけれど500枚ないから配らない、じゃあ毛布を半分に切れよ、極端な話、ゼロよりはいいだろと、半分の毛布でも膝掛けくらいにはなるだろと、そういう発想ができないんだよね。行政は、おにぎりを半分に割るっていう発想がない」
後藤「どうしてなんでしょうね。もしかしたら、自分たちもいつかは何らかの災害に遭う可能性もあるわけで、同じように食べ物でも着るものでも、あるのに分けられないような状況にならないようにしたいですよね。人との繋がりを温めておかないと」
KO「良い機会だなんて言ったらアレだけどさ…。石原都知事の天罰発言とか、俺は許せなかったけど、だけど、あの本意っていうのは、日本人の思いやる気持ちとか、そういうことを言ってたとも思うわけ。前に出ないとできないじゃない繋がりとか。ほら、手を差し出さなかったら人とは握手ができないわけだから。俺はそういう意味で、あの人は言ったと思うんだけど。石原擁護みたいになってるけど(笑)」
後藤「(笑)だけど、小説家で、何より都知事ですから、もう適切な言葉のチョイスは他にあったと思いますけどね」
KO「時代の変わり目っていうのはあるけどさ、人の付き合いの希薄さっていうかさ、そういうのは都会だけかなって思ったら、田舎も段々そうなってきているところもあるっていうか…。それを露骨に感じたね、被災地でも。50世帯くらいの仮設住宅に物資を持っていって、そこに知り合いがいて、『他の家は?』って聞いたら、全部の世帯に渡すつもりでこっちは来てるのに『知り合いじゃないから』って…。この期に及んでそれですかって…」
後藤「なるほど…」
KO「地元の人とか、『自分たちのところは良いです』、『自分たちのところは間に合ってます』って言うんだけど、俺たちよその町の人間がやってるのに、アンタの町内会は良いかもしれないけれど、それだったら隣りの町内会のことを気遣えよ!っていうかさ」
後藤「それは確かにそうですよね」
KO「こっちは町単位でしか分からないんだから、現地の人が拡げてくれないと支援が詰まっちゃうんだよ。勝手かもしれないけど…」
後藤「同じ市内や町内とかで、『まだあっちは困っているよ』って言ってくれればいいのにってことですよね」
KO「そうそう。ちょっと外れたところにある避難所とかね。『知り合いじゃないから』って言うけど、そこは事情を説明して行ってさ、物資とか送ってくれる人がいるんですけどって話をしに行けばいいだけなのに…」
後藤「そうですよね。余所者が来るよりは話が早いですよね」
KO「だから、南三陸の方とかは、それをやってくれたのよね」
■注釈
(※5)石巻
石巻市。宮城県東部に位置する県内第二の都市。人口約15万2000人。東日本大震災では、市の約13%が浸水。4万4000棟の家屋が全壊。死者3254人、行方不明者462人。
(※6)気仙沼
気仙沼市。人口約6万9000人。宮城県の北東端に位置する。南は南三陸町、北は岩手県の陸前高田市と接している。フカヒレ、サンマ、カツオなど水産業で有名。東日本大震災では、9500世帯が被災。死者1038人、行方不明者259人。
(※7)田老
2005年に宮古市と合併。古くから津波被害の多い地域だという記録が残っている。「津波てんでんこ」をはじめとする防災教育、大きな防潮堤など、「津波防災の町」として有名。