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「郷里を取り戻すために」川内村・遠藤雄幸村長インタビュー

戻れない理由が問いかけるもの

山林が総面積の9割を占める川内村。家屋から20mの範囲が除染の対象となり、今も急ピッチで作業が進む

—帰村宣言の中で予定されていた通り、2012年3月26日には役場が郡山市から元の庁舎へ戻り、村の機能が回復しました。帰村の直後、まだ避難されている方に対して取られたアンケートの結果がすごく印象的で。「戻りたい」「戻りたくない」「わからない」っていう意見が、完全に3つに割れているんですよね。

遠藤「4月の頭の時点で540人くらいは戻っていたんですが、避難している住民たちが不安に思う気持ちはすごく理解できました。雇用の問題にしたって、帰村宣言の時点では1社が村内に進出すると言ってくれていただけで、それも確約が取れていたわけじゃない。それに10月頃からスタートしていた除染も、1月〜3月は雪の影響でストップしていたので、本当に作業が進んでいるのかって疑問に思っていた人も多くいるはずですから」

—いま、除染はどれくらい進んでいるんですか?

遠藤「川内村では家屋から20mが除染の範囲になっているんですけど、村が担当した旧警戒区域以外の除染は、すべて終わりました。農地も70%が完了してます。国が直轄でやってくれている旧警戒区域の除染も、約80%が終わってますね(2013年2月20日時点)」

—なるほど。それだけ除染が進んでくると、避難している住民たちの帰村に対する意識にも少しずつ変化が見えはじめるんじゃないですか。

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遠藤「………………ところがね、必ずしもそういうわけにはいかないんです。戻れないのは、線量の問題だけじゃないんですよ。つまりね、郡山市とかいわき市とか、あるいは県外の大きな都市に避難した人が多いわけです。そこでは、一歩街にでると大きな病院もあれば、専門病院もある。でも、川内村には診療所しかありません。買い物をするにしたって、選択肢がいっぱいある。文化的なふれあいを身近に感じることが出来る施設だってある。この1年ちょっとで、川内村の住民たちはこういった都市の利便性を強く感じることになった。だからね、戻りたいけれど、その都会の利便性も手放したくない……多くの住人の気持ちがそこでせめぎ合いをしてるわけです」

—インフラに関して、あまりに落差があると。

遠藤「同じように、現在、川内村には高校がありません。震災以前、高校生は富岡町とか双葉とか大熊の高校にバスで通学していたんです。いま沿岸部は壊滅状態で、それすらも難しくなってしまった。郡山市とかいわき市はいろんな高校があるんで、いま中学生を抱えている家庭は、高校進学を考えるとなかなか戻れないという状況でしょう。教育の問題って、とても大きいんです。小さい子供にしたって、それぞれ避難先の学校や保育園でお世話になってますけど、時間が経つに連れて、新たにできた友達や先生たちと馴染んできてるんです。おのずと、離れるのが辛くなってくる」

—仮に子供たちが戻ったとしても、結局クラスメイトが数人っていう状況だと……。

遠藤「寂しいよね。実際、村に子供が少ないから戻れないっていう親もいますし。ただ僕はね、震災前の暮らしはどうだったかなっていうことをよく考えるんです。実はね、3月11日までは僕ら、そうした村の不便さを共有してきたんですよ。不便だけれども、こういう豊かな自然環境の中で癒されたり、時間がゆっくり回っていう、そういうことを喜びとして受けていたんですよね。だからまぁ、よくよく考えるとですね…………やはり、戻れない理由はもう少し違うところにあるんじゃないかなって思う。復興していく、全員が戻るためにはもちろんインフラの整備とかが重要ですけれども、本当に必要なのはひょっとしたら気持ち、心の問題なんじゃないかなって。病院を作ったり、高校を作ったり、不便だといわれてるような要素を村の中で全部解決できるようにしたら、それは多分、川内村じゃなくなっちゃいますよ。便利さと引き換えに、もともと自分たちが大切にしていた幸福観をなくしてしまうような気がするんですよね」

ふるさとを取り戻す そのためにできること

—住民たちの望みと、村長が生まれ育った村の姿は表裏であると……。

遠藤「ふるさとに戻りたい気持ちっていうのは、最終的には理屈じゃないと思うんです。人間にはきっと、“ふるさと回帰”っていう遺伝子がインプットされてるんじゃないですか。自分の生まれたところには自分の歴史があるし、人生もあるんだから、戻りたいと思う。それって自然なことでしょう。コレがあるから戻る、アレがないから戻らないっていう次元の話じゃなくて、ふるさとって無条件にいいものだと思うんです」

—その人のアイデンティティそのものというか。

遠藤「そう思いますね。もちろん、今回の震災でふるさとに戻らないことを決めた人もいると思うんです。じゃあ、その人たちにとってふるさとは必要ないのかっていうと、そうじゃない。そういう人たちのためにも、ふるさとは存在し続けるべきだと思いますね。“あなたのふるさとはどこですか?”って聞かれて、“私のふるさとはもうありません”って、そんな哀しいことはないじゃないですか。チェルノブイリにはそういうところがいっぱいあるんですよ」

—私も実家が浜岡原発から20kmくらいのところにあって、福島で事故が起きたすぐあとに両親と話をしました。やっぱり何があっても、生まれ故郷で死にたいって。そうだよなって思うんですよね、みんな。

遠藤「よくわかります。いま、川内村に新たにできた仮設住宅に入ってる人たちはほとんどが高齢者なんです。彼らは自分が最期を迎える場所はここだって、本能でわかってるんじゃないですかね。だから僕は…………今は除染が進まないとか雇用の場がないとか、戻らない理由を並べてためらっている人たちも、最終的には戻ってくると信じています」

—なるほど。

遠藤「それと同時に、震災で川内村は確かにいろいろ辛い思いをしましたけどね、不平不満や被害者意識にからめ取られていては、何ら解決しないということも痛感しています。国も県も東電も、お金の援助はしてくれるけど、実際には助けてくれません。結局、自分の村や地域が本当に安心して住めるような状態を作ることができるのは誰かといったら、それは一番村のことを知っている僕たちなんですよ。だから、自分たちでできることを一歩進めていく、それが何より大切だなって感じますよね。戻れない理由をいっぱい並べるより、そうやって戻るためにどうしたらいいかっていうのを一緒に考える方が楽しいじゃないですか」

—いまの段階で村に戻ってきているのは、震災前の約4割の1200人(2013年2月20日時点)。「まだまだこれから」という数字だとは思うのですが、だからこそ、少しでも前を見据える気持ちを持とうと……。

遠藤「僕はね、避難してる人たちの、村に戻りたという気持ちを絶対に萎えさせてはいけないって思うんです。それが一番怖い。そのために何ができるかなっていうことをいつも考えてますよ。やっぱり先に戻った僕たちが楽しそうに生きる、少しでも心にゆとりを持って生活してく、そして笑顔を見せていく。それが大切なのかなって思います。自分の家に戻ると楽しいとか、子供たちも生き生きしてるとか、そういう姿を避難してる人たちに示しながら、われわれ自身がここで力強く生活を続けること、それに尽きると思いますね。村で労働して汗を流しながら、きちんと対価を得てるっていうことも示していきたいですしね」

—実際、新たな雇用を創出するために企業誘致が進んでいたり、4月に村内で〝野菜工場〟も稼動予定だということで、具体的な動きも少しずつ出てきているわけですよね。

遠藤「そういう部分も村に戻るかどうかを判断する、ひとつの材料にしてもらえばいいと思います。そりゃ、一気に戻れと言われても無理ですよ。少しずつソフトランディングしてく、それで十分だと思いますよね。街の仮設住宅と村の生家を行き来しながら、少しずつ村で生活する時間を長くしていく。段階を踏んでいけばいいんじゃないかって思います」

—自分のペースで、元の生活に馴染んでいってくれればいいと。

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遠藤「そうそう。それでね、元の生活を取り戻していく中で、いま生きている喜びとか、家族が一緒にいる幸せとか、そういった感情を子供たちに教えていきたいなって思ってるんです。子供たちが不安の中で育てられるっていうことは、この村の将来のためにも不幸なことですから。原発の事故くらいで、未来の子供たちにとってのふるさとを失くしちゃっていいのかって思うわけですよ。震災があって川内村はダメになっちゃったって言われたくない。震災があったからこそ川内村は元気になった、前向きになったって言われたいじゃないですか。今がその時だなって、僕は思いますね」

(2013.3.1)
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