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ボーダーラインを越えて 〜福島県双葉郡と沖縄を巡る対話〜

コピーやスローガンに身を委ねない自分たちの言葉を持つこと

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名護市辺野古の海岸。普天間飛行場の移設が計画されている。

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糸満市にある平和祈念公園の「平和の礎」。国籍や軍人、民間人の区別なく、 沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ祈念碑。

後藤「平和の礎に一人ひとり刻まれた名前を見て、書くことの力強さを思い知らされました。自分たが普段やっている〝書く〟ってことよりも、ラディカルで力強い〝書く〟って行為があそこにぶわっと広がっていて、何度来ても決意が新たになります。もっとしっかり書かなきゃいけないなって。平和の礎の並び方って、本のページのようでもあり、絵巻のようでもあるんですよね」

古川「オープンだよね。俺はもっと関係者以外入りにくい場所なのかなって思ってたんだけど、〝どうぞページとページの間を行き来してください〟っていう誘いがあって、それにびっくりした」

後藤「〝沖縄のことは本土の人たちには関係ない〟という排他的な空気がまったくないですよね」

古川「例えば〝英霊〟って言われちゃうと、英霊と一般の人の間にヒエラルキーができちゃうけど、平和の礎は〝そんなものはないんだ〟って言ってくれてる気がする」

後藤「すぐにスローガンにしたがることとすごく対比的で、〝生きて虜囚の辱を受けず〟っていう言葉が持っている性質とは真逆の残し方をしている。一人ひとりの名前や、名もなき人間の言葉を残すっていう民俗史的なやり方じゃないと、権力的な強いスローガンには太刀打ちできないことを表しているように感じて、そういう意味では、すごくヒントを与えてくれるというか」

古川「口承で話を聞ければいいんだけど、直接話を聞きに行くっていうのはちょっとハードルが高い。でも、書いてくれれば、誰でも入っていける。あの礎はそういうフレームを作ってくれてるんだなって。しかも、ちゃんとある方角に向かって礎が広がっていて、本州はどういう位置にあって、大陸はどういう位置にあってっていう、方角をきっちり考えながら、すごくオープンに、書きつけられた言葉がある。それはある意味自分がやってる文学と非常に等しいものだなって感じがした。場所とか方角がわかると、それも想像力のための仲立ちになってくれる」

後藤「迷いながらでも、いま一度、いろいろなことを正しくマッピングしていかないといけないのかなって思います。マップがめちゃくちゃになっているから、ある日突然“そんな史実はなかった”みたいなことを言い出す人がいるわけで…。でも、そういう言葉の方がネットでは我が物顔でふるまって、それを低いリテラシーで受け取って、問題がよりこじれているように感じます。そういうことがずっと起こっていますよね」

古川「政治家がよく言うのは“国民の皆様”ってサービス過剰な言葉だけど、ホントは一人一人なわけで、そんな言葉でまとめられないために、我々は複雑な言葉に向かわないといけないのかなって」

後藤「みんなが読めるし書けるという状況は、権力の側からすると、どんな時代でも怖かったんじゃないかと思います」

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古川「そう、文盲を作りたい。その方がコントロールが効くから。言ってみれば、読める環境があるっていうのは、権力を握ってる側からするととても困るわけで、だからこそ俺らは俺らの言葉をちゃんと持つべき。でも、それってすごく大変なことでもあるから、わかりやすいコピーに身を委ねたくなっちゃうんだろうな。その流れをなんとか止めないといけないなって思う。水木しげるの『出征前手記』を読むと、太字の言葉ばかりが覆ってる世界の中で、読める力を持ってる人は複雑に悩み続けて、七転八倒し続けるでしょ? あれはまさに八方塞がりの典型だけど、それをやった人間だけが、本当に悲惨な状況の中でも、その後に何かを掴んで、この現実世界に帰ってきたわけで」

後藤「当時の若い人たちのリテラシーの高さがわかりますよね。ボキャブラリーもすごい。それと比べると、今は自分も含めてずいぶん反省しないといけないというか。もっと読まなきゃいけないし、もっと書かなきゃいけないんだって。やっぱり、スローガンやコピーみたいな言葉は怖いなって思いますね。ある種のイメージを全部巻き取って持って行ってしまう。慰霊にしても、実際はどこででもできると思うんですよ。祈りっていうのはどんな時や場所でも立ち上げられるはずで。ひとつやふたつのメモリアルな場所とか日付にだけに集まるのも、怖いなって思うんですよね。その日を忘れるなって意味では大事だと思うんですけど」

古川「でも、それ以外の日は忘れてもいいっていうエクスキューズにもなってる」

後藤「そうなんですよね。その難しさがあるなって思います。象徴みたいなものも、何かをとどめておくためには必要かもしれないけれど、それに寄りかかった瞬間に、他のものをバサッと忘れるメカニズムが立ち上がったりするので、両側からジワジワ考えないといけない」

古川「メモリアルな日にやることって、時間が経てば経つほどティピカルになってくる。今度の3月11日も、5年目だからって放送される番組とかは大体目に見えてる。そういう中で『THE FUTURE TIMES』をぶつけて、全然違う豊かさを見せるっていうのは、戦い方のひとつだと思う」

後藤「無理に俯瞰する必要はない気がしていて、ひとつの視点から書き続ければいいのかなって考えています。どうしても、俯瞰して、全てを網羅しなきゃって気持ちになってしまいがちだと思うんですけど、『THE FUTURE TIMES』のような小さなメディアにそれは無理なので、その代わり定点観測みたいに、同じ人に何度も会ったり、同じ場所に何度も行ってみる。古川さんがおっしゃった通り、5年目の3月11日には大体似たような、その日だけを立ち上げたような報道が増えるとは思うんですけど、もう少し滑らかに、地続きであることを示したいんですよね。そのページだけをパッと開くようなものじゃなくて、延々と続いてるんだっていう。時間という縦軸は絶対に忘れちゃいけないし、その一方で、横にはアメーバ状でありたいんです。点在するように見えるものが、実はネバネバと繋がりがあるって考えるのが面白い。さらに方向や方角をきちんと定めれば、いろいろなものがより立体的になるということを、今回古川さんに教えてもらいました。ふわふわとしていたイメージにピシっと杭が打たれて、マッピングし直されて行くような」

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古川「自分の歴史に対する考え方が他の人より個性的なのかなって思うのは、いろんな事件や人々の配置を自分で考えるってことでね。みんな決まった配置を暗記しなさいって言われるから、歴史を覚えても、そこから手に入れられるものがないんだけど、俺はその配置を並べ替えてみたり、位置付けをし直したりする。隣に並んでるように見えるけど、ホントは斜めで、ネバッとくっついてたんじゃないかとか、そういうことを考えて、そうやって手に入れたものを、小説を通じて読者にも共有してほしいと思って発表してる気がする」

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暮らしかた冒険家

古川 日出男(ふるかわ・ひでお)

1966年福島県郡山市生まれ。小説家。著作に20世紀の軍用犬たちの叙事詩『ベルカ、吠えないのか?』、世紀末の東京でのテロ事件に手向けられた鎮魂曲『南無ロックンロール二十一部経』など。昨年発表の『女たち三百人の裏切りの書』では野間文芸新人賞と読売文学賞をダブル受賞した。震災直後のドキュメンタリーでもある『馬たちよ、それでも光は無垢で』は仏語訳とアルバニア語訳も刊行され、この3月にはコロンビア大学出版より英訳が発売になる。'13年から郷里の郡山に『ただようまなびや 文学の学校』を開校し、学校長も務める。