HOME < ボーダーラインを越えて 〜福島県双葉郡と沖縄を巡る対話〜

ボーダーラインを越えて 〜福島県双葉郡と沖縄を巡る対話〜

東日本の住人だなんて思っている人はどこにもいない

後藤「帰還困難区域の風景はじっとりと重たかったですね。小学校の教室を覗くと、子供たちが地震によってバッと体をこわばらせた瞬間が、ランドセルと、後ろに引いた椅子と、そういうところに詰まっていて、圧倒的な展示としてあそこにある」

古川「時間が止まってることは予期してたし、それは映像でも文字でも見てたんだけど、実際に行ってみると、止まった瞬間がちゃんと腐食して、朽ちていってる。ガラスの向こう側に見てる教室は3月11日のあの時間のままなんだけど、外側にいる自分たちはそこに戻されるんじゃなく、5年分を一気に目の前で腐らされるというか、タイムカプセルにフリーズされてるはずなのに、腐って、朽ちていく、あの感じがすごく重かった。〝時間が止まってる〟なんて言い方は嘘で、止まってない」

後藤「重たかったですよね。富岡町では復興に向けての気概を感じました。それは人の力が大きいと思うんですけど、そこから内側に入って行くほど、言葉が出てこなくなっていって、黙るしかなくなってしまいましたね。自分が大熊町の人間だったら、富岡町のことがまぶしく見えるだろうなって」

img001

双葉郡富岡町の帰還困難区域。一時帰宅の住民以外に人影はない。

img001

帰宅困難区域へと続く道路。これ以外にも様々な場所でバリケードが設置されている。

img001

双葉郡大熊町の小学校。避難当時の風景がそのままになっている。

古川「俺らが黙れば黙るほど、線量計はうるさく鳴り続けて、そっちの音が高まっていく。その入れ替わりがリアルだなって思った」

後藤「国道6号線の上はずっと線量が低くて、バリケードを越えた先に入っていくと、ビービー音が大きくなり始める。でも、本来はジャクソン・ポロックの絵画みたいな感じで、まだら状にいろいろなものが張りついていて、いわゆるボーダーとは関係ないと思うんですけどね。ただ、常磐線の線路が東京に続いてるんだってことを、どうやってみんなに意識してもらえばいいのかっていうのは、難しい問題ですね」

古川「常磐線の線路が東京にものを運ばなくなった途端に、忘れられてしまう。東京と接触してないと、〝忘れていいんだ〟って、簡単に切り離されてしまうわけだよね。沖縄の問題も、結局沖縄は遠いし、しかも海が間にあるのが問題で、繋がってたらもっと気にするかもしれないけど、繋がってないから忘れていいやってなっちゃう。バックヤードの問題って、そういうことなのかなって。帰還困難区域に入るのって、何度も何度も迂回しないと入れなかったでしょ? それが分断を象徴してる気がした」

後藤「あるときまで常磐線は石炭を運び、それが終わったら送電線で電気を運び、どちらも途絶えた瞬間に、ブツッとそこだけブラックアウトするみたいな、そういう感じに思えてしまいますよね。もちろん、そんな簡単な話ではないんですけど。比喩としては」

古川「こんな言い方はおかしいけど、スパリゾートハワイアンズ(※3)っていうのも、言ってみれば娯楽っていうエネルギーの供給源で、石炭や電気と同じように、供給してるものがあるからこそ、存在を許されてるのかなって。沖縄の基地で言うと〝防衛〟を供給してるわけだけど、でもそれが供給されてる実感は持てなくて、だったら、とくに意識しなくてもいいやっていう、そういうことに思える。だから、顔の見えるアウトソーシングっていうのを考えていったときに、初めて押しつけられてる側もちゃんとプラスの立場になれるのかなって。〝東京の下半身〟じゃやっぱりダメで、顔がふたつになるようなアウトソーシングじゃないと」

後藤「確かに、顔が徹底的に消されているんですよね。フレコンバッグにしても、積み上げられた一つひとつは圧倒的な情報として入ってくるのに、その山をシートで覆ってしまうと、複雑なものをたったひと言で表すときのような乱暴さが立ち上がるように感じます」

古川「原発の問題が何で複雑になったかって、〝福島第一原発〟っていう名前だったのがすごく大きいと思う。もしあれが〝大熊原発〟とか〝双葉原発〟だったら、その地域の問題になったのが、福島全体の問題になって、〝福島の人は何を考えてるんだ?〟ってなるけど、浜通り・中通り・会津の三地方で考えてることは全然違うから、一個の目標が掲げられない。言葉を読み直すのは重要で、たとえば、Jヴィレッジって〝日本村〟でしょ? 日本村を拠点にして、廃炉のために頑張ってるんだって思うと、前向きな感じがする。翻訳するというか、意味をもう一回読み直すと、希望が見えてくるのかなって」

後藤「なるほど、日本村か…。どうせ包むなら、それくらい大きなシートで包むことも必要ですね。都合よく〝フクシマ〟みたいなシートで包むと、〝僕はシートの外側だ〟ってなってしまう。そう考えると、〝福島第一原発〟じゃなくて、〝日本第一号商業原子炉〟みたいな、そういう名前の方がよかったかもしれないですね。自分たちもシートにくるまれろよって」

古川「逆に言うと、〝東日本大震災〟って名前は全部を巻き込む振りをしてるだけというか。震災から最初の数日間は〝東北・北関東大震災〟っていう報道もあったのに、その名前が消えちゃって、茨城の被害に誰も触れなくなった。中途半端に広げたことで、漠然として、無関係にしてしまった」

後藤「僕も含めたいわゆる〝東京〟の人にとっては、〝私も被災した〟って言えるアリバイみたいになってしまったのかもしれません。今や何事もなかったかのように、深夜まで煌々と明かりが灯っていて、やれオリンピックだ、安保法案だって、もはや被災地の話をするなんて年一度くらいでしょう? でも、ちょっと待ってと。大熊の小学生たちが身体をこわばらせた教室は、今でもそのままだよと」

古川「一回被災者の仲間入りをしてしまえば、それで許されるっていう、それは〝東日本大震災〟っていう名前のせいだよね。実際、東日本の住人だなんて思ってる人はどこにもいない。そう考えると、あの名前は最悪だった。だから、読むとか書くっていうのは、まず名前のレベルから考えないといけないかもしれない。そこに書かれているものは本当にそのまま読んでいいのか。そのシートをはがすと隠れてる袋があるんじゃないか。別のシートを被せた方がいいんじゃないか。どんなシートを被せるかを考え直して、書き直さないと、間違った方向に行ってしまうんじゃないかな」

img_s001 img_s001 img_s001 img_s001
img_s001 img_s001 img_s001 img_s001
cover
暮らしかた冒険家

古川 日出男(ふるかわ・ひでお)

1966年福島県郡山市生まれ。小説家。著作に20世紀の軍用犬たちの叙事詩『ベルカ、吠えないのか?』、世紀末の東京でのテロ事件に手向けられた鎮魂曲『南無ロックンロール二十一部経』など。昨年発表の『女たち三百人の裏切りの書』では野間文芸新人賞と読売文学賞をダブル受賞した。震災直後のドキュメンタリーでもある『馬たちよ、それでも光は無垢で』は仏語訳とアルバニア語訳も刊行され、この3月にはコロンビア大学出版より英訳が発売になる。'13年から郷里の郡山に『ただようまなびや 文学の学校』を開校し、学校長も務める。

■注釈

(※3)スパリゾートハワイアンズ

常磐炭鉱の地下湧水の温泉を利用したリゾート施設。映画『フラガール』の舞台としても有名。