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5年目の三陸海岸を歩く 対談:赤坂憲雄×後藤正文

〝身の丈〟を積み重ねていく

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午前8時。釜石港では、忙しなく工事車両の往来が続いていた。周辺を歩くと、すでに完成した防潮堤に、約5メートルの間隔でアクリル板の〝窓〟が取り付けられているのが目に付く。海が見えるよう景観に配慮したものだというが、1メートル平方の窓からのぞき込む海には、とても不思議な感覚を覚える。
 釜石では震災翌年の5月、30代、40代の若手経営者や商業者が集まって、まちづくり団体『NEXT KAMAISHI』を発足させた。これまで、震災で途絶えていた夏祭り『釜石よいさ』を復活させるなど、地域に密着した活動を続けている。そこで委員長を務めるのが、ホタテの卸業を営む、『ヤマキイチ商店』の君ケ洞剛一(きみがほらたけいち)さんだ。水揚げされたばかりのホタテが出荷を待つ生け簀の前で話を聞かせてもらった。


後藤「釜石の復興は順調に進んでいますか?」

君ケ洞「工事などに関しては計画通りにはいかない部分もありますね。今も復興の途中というか、それだけ大きな災害だったのは事実ですし。釜石を訪れた人から〝あまり状況は変わってないね〟と言われることもあって悩ましいところですが、ただ、建設業界はフル回転でやっています。なので復興は進んでいないとはあまり言いたくないんです」

赤坂「漁業についてはどうですか?」

君ケ洞「ホタテの水揚げ量は震災前の7割くらいまで戻ってきています。質もいいんですよ。釜石にはもともと魚市場がふたつあって、現在は第2魚市場だけが稼動している状況なんですが、2017年に第1魚市場のほうも再開する予定です。とはいえ、建物が元通りになるだけではダメですからね。大事なのは、そこで何をするかなので」

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三陸沿岸の防潮堤建設の総延長は約400キロ。予算総額で9000億円にものぼるといわれている釜石港周辺でも工事が急ピッチで進んでいた。

後藤「そうですよね」

君ケ洞「実は今、海産物の浜値は上がっていて、漁業関係者の金回りもそこそこいいんです。ただし、浜値が上がっている理由は、中国などに向けた輸出が好調で、北海道産の海産物への需要が高まっている影響が三陸産にも波及しているだけ。三陸の海産物だから売れているわけじゃないんです。だからこの状況がいつまでも続くとは考えられない。それに今の時点では漁業関係者に補助金(『がんばる漁業復興支援事業』)が入っていて、漁業が給料制みたいになってる面もあって。それはもちろんありがたいことだし、補助が必要な部分もあるんですが、やはり漁師などは個人事業主で、獲れたぶんだけ儲かるというのが基本ですから」

赤坂「補助金の期限はいつまで?」

君ケ洞「2016年3月31日までのあいだに国が認定した計画が対象なので、あとちょっとです。そこからが本番というか、危機感を持たなければと思っています。さもないと、震災当初から言われていた〝漁業従事者は4割しか残らない〟という予測が大げさな話ではなくなってしまうので」

赤坂「そこはまちづくり団体(『NEXT~』)の活動と連携させたりして、なんとか盛り上げていってほしいですね」

君ケ洞「そうですね。実は『NEXT~』の会長が建設業の人間なんですが、今は建設業界の金回りもよくて、従業員数は震災前の倍になったそうです。でも、会長は数年先のことを考えて危機感を持っています。果たして自分は従業員たちの生活を守り切れるんだろうかって。そのために今の時点から建設業以外の仕事も始めなくてはいけないと、頭をひねってます」

後藤「先々を見据えてるわけですね」

君ケ洞「ええ。ただ、やはりそういう危機感を持つ人は稀で…。じゃあ自分には何ができるのかっていうことを考えさせられるんですけど、たとえばホタテの卸業について言えば、最近その品質を認めてもらって、香港に向けて輸出ができるようになったんです。現地の中華料理店などで振る舞われているんですが、今後も販路を開拓していきたいなと思っていて」

赤坂「なるほど」

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1960年代から新日本製鉄の企業城下町として栄えた釜石。沿岸部に保管されている火力発電用の石炭の山は、奇跡的に津波被害をまぬがれたという。

君ケ洞「僕はそういう小さな成功例をどんどん作って積み重ねていくのが大事なんじゃないかなぁと思うんです。もちろん一個一個を手間ひまかけて売るのは大事ですが、目先の売り上げだけに囚われていては先細りが目に見えているので。そういった感覚をみんなで共有できるよう、誰かがちょっとでもわかりやすい成功例を築いていく。それが業界全体、ひいては釜石全体の活性化に繋がるんじゃないでしょうか」

赤坂「よくわかります。私も福島で復興に関わる様々な取り組みをしてきましたが、本当に失敗ばかりで、だからこそ事実として成功モデルを作っていくことが大事だというのを痛感しています。もはや誰も大きな復興の理念なんて語らないじゃないですか。小さくてもいいから誰かが成功モデルを示すことで、みんながついてくるようになる」

君ケ洞「そうなんですよね。まあ、だからといってうちらは三陸から新しい何かを発信していくというより、三陸のあるべき姿、あるべきものをきちんと伝えるだけでいいんじゃないかっていうのも一方で思うんです。もちろん新しい取り組みは大切です。でも、すでにあるものが宝物だから」

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君ケ洞剛一さん(左)は、震災から1年でホタテの出荷を再開させた。身と貝殻が大きくて新鮮なホタテが、常時1万枚以上、生簀で出荷を待つ。

後藤「それを活かさない手はないですね」

君ケ洞「東北は歴史的にみれば中央に搾取されてきた土地ではあるけど、同時に、中央へ依存してきた土地でもあると思うんです。でも、本来は相互信頼の関係というか、中央と東北、どっちが上とか下ではないはずなんですよ。それって海産物に関しても一緒で。漁師が獲って、卸業者が管理して、百貨店が売る、お客さんは食べる。誰が上で、誰が下じゃないんです。そもそも海は漁師のものではなくて、みんなのものですから。漁師が代表して海の恵みを獲っているだけの話で。そういう感覚をなくさないようにやっていきたいです」

赤坂「〝海はみんなのもの〟っていう考え方、本当にそうだと思います」

君ケ洞「だから今、震災から5年ですけど、足元を見つめ直すのが大事だなっていうのを改めて感じます。震災当初は僕も仲間たちと大きなことをやろうとしてたんですけど、結局何ひとつモノにできなくて。試行錯誤を経て、やっぱり身の丈でできることから始めるしかないということに気づいたんです。2013年に夏祭り(『釜石よいさ』)を復活させたんですけど、それだって〝地域のみんなに笑顔になってもらおう〟とか〝若い仲間たちが集う場をつくろう〟とか、できることから手をつけていった結果なんです。でも、そうやって小さくてもいいからとにかく積み重ねていくことが実は一番尊いんじゃないかなって」

赤坂「まさに、身の丈が大事なんだよね。お互い、これからもがんばりましょう。ホタテの生簀を覗けるかな?」

君ケ洞「もちろんです。本当に活きのいいホタテなのでぜひ食べてみてください。今まで食べたどんなホタテよりおいしいですよ!」

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赤坂憲雄

赤坂憲雄(あかさか•のりお)

1953年生まれ。学習院大学文学部教授。福島県立博物館館長、遠野文化研究センター所長。主著・編著に『東北学/忘れられた東北』『司馬遼太郎 東北を行く』『会津物語』など。現在の三陸沿岸の復興状況とその問題に関するレポートは『ゴーストタウンに死者は出ない 東北復興の経路依存』(小熊英二との共編著)で読むことができる。本紙5号(「震災を語り継ぐ」2013年7月発行)では、東北の歴史と復興のビジョンについての対談(「東北から50年後の日本を描く」)を行なった。