内田「せっかくなので音楽の話をすると、コピーライト(著作権)は音楽をダメにしてる。大滝詠一さんのラジオ『アメリカン・ポップス伝』なんかを聴くとすぐわかるけど、50年代のポップスはほとんど〝パクり〟でできています。誤解されないように言うと、音楽的着想やメロディをパブリック・ドメインと考えて、みんなが少しずつ自分なりにアレンジし、解釈を加えて、新曲として発表してきたわけです。ビートルズだって結成当初はコピーバンドだった。チャック・ベリーとかバディ・ホリーのコピーがうまくて、おかげで本家が世界的に注目されたりもしてね(笑)」
後藤「昔はヒップホップにしても、たとえ ば〝リスペクト ジェームス・ブラウン〟と書きさえすれば、サンプリングしたとしても権利問題は発生しなかったそうです。でも今はほんの何小節かでも黙ってサンプリングすると、あとから膨大な請求がきちゃいますからね」
内田「音楽が商品になっちゃった。そもそも〝この曲は俺のものだ〟って所有権を主張すること自体バカげてますよ。所詮、空気の振動でしかないのに(笑)」
釈「確かに(笑)。内田さんはネット上で公に開されたご自分の文章について、著作権フリーの立場を取られていますよね?」
内田「そうですね。なんならブログに書いた僕の意見を、自分の名前で発表してもらってもかまいません。僕と同じ考えを持った人が増えると思えば、ボランティアの伝道師として、こちらからお小遣いをあげたいぐらいだもん」
後藤「その話は本当におもしろくて、僕も音楽で同じことを考えています。オリジナリティと権利をみんなが主張し過ぎることで、カットアップ、コラージュ、サンプリングといった手法が死んでしまった。それってポップミュージックの歴史自体を否定することだと思うんです。だから僕は、共有っていう概念を新たに浸透させたい。そうすればまたワケのわからない、おもしろい音楽が出てくるはずなので」
内田「コピーライトがうるさく言われ始めたのは80年代からなのかな。ミュージシャンや音楽を愛さない人間が音楽ビジネスを仕切り始めて、状況がガラッと変わってしまった。たとえば著作物に歌詞を引用する場合、いちいちJASRACに許可を得なければなりませんよね。 すると人は手続きが面倒だから語ることをやめてしまう。語られる機会を失った文化が発展していくとは思えません」
釈「権利が守られることは大事ですが、それが業界を硬直させていないか、見直す目も必要ってことですね」
後藤「ミュージシャンの側も黙って権利を預けたのが良くなかったなと、僕自身も反省することがあります。でも音楽をやりたい人間が、まず著作権の勉強から始めるなんてことはありえないじゃないですか。みんなが不勉強で、レコード会社の提示する条件を鵜呑みにしていたとしても仕方がない側面もある。でも今後は、クリエイティブ・コモンズ(※2)のような、ある一定の条件を守れば著作権フリーという流れが進むような気がします。僕はそこでも〝贈与〟っていう概念が役に立つんじゃないかという直感があって」
内田「贈与って聞くと、多く持っている者が少なく持つ者に分け与えるというような偉そうなイメージを持たれるかもしれませんが、違います。贈与は〝自分は何もしていないのに先行者から贈り物をもらっちゃった〟というところから始まるんです。もらったままだと負債感を覚えるので、次にパスしたくなる。これが基本的な流れです。何を贈与されたものと感じるかは人それぞれ。自分の身体髪膚(しんたいはっぷ)、何千年もかけて体系づけられた日本語、文学、音楽……。身の回りのすべてが贈与されたものに思える人は幸福なんですよ」
後藤「自分はこんなにもらったんだから、他の誰かにもあげたいなって、自然に感じられるということですよね」
内田「そう。被贈与感って、自分が誰かに承認されて愛されていることの説明にもなりますよね。何しろもらえるわけですから。大きなものをもらえばもらうほど、人にもあげたいという〝反対給付〟の義務が発生する。これが人間の本質です。もらいっぱなしで平気な人は、本当は人間じゃない(笑)。あげたいという心の動きを持つことで、人間は初めて経済活動をスタートさせ、共同体を形成できます。風でたまたま飛んできたゴミかもしれないけど、宛先を自分だと思ってそれに感謝し、代わりの何かを置く。商品であれば自分がエンドユーザーになることは可能ですが、贈与されたものはそもそも商品ではないので、パッサーにしかなれないんです」
釈「ユーザーとパッサーの違いというふうに考えるとわかりやすいですね」
内田「贈与って、実は時間の流れがないと成立しえないものです。先行者からもらったものを次世代にパスし、長く継続させるのは、実は宗教共同体内で行われることそのものなんですよね。宗祖による宗教的な教理や儀礼を自分が下に伝えていく。道場のような教育共同体でも同様に、師から受け継いだ教えを自分の解釈を加えて伝承します」
釈「それはさっきの話とも繋がってきますね。贈与という考え方を通して、今後我々がいかに肌感覚を〝今・ここ〟から伸ばす装置を作れるか? 先祖や未来の子供たち、隣人、他国の人々……想像力を高める訓練は重要ですね」
後藤「釈さんにお聞きしたいんですけど、仏教では贈与という概念はどのように捉えられているんですか?」
釈「仏教では教義の基本として喜びであれ苦しみであれ、自分の気持ちをものにべったり貼り付けるのは具合が悪いんですよ。執着っていう言葉があるでしょ? 一般的には〝しゅうちゃく〟ですが、仏教では〝しゅうじゃく〟と読みます。ではなぜ貼り付けてはいけないか能というと、それによって認識や判断が歪んでしまうから。理想的な心の形は、鏡のように〝もの〟そのままの姿を映し出すことなんです。しかし執着心があると、実際より大きく映したり色をつけたり、すでになくなっているのにその姿を映し続けたりする。そうした固着をなくすトレーニングとして、お布施があると考えます。手放していく。つまり贈与です」
後藤「なるほど」
釈「布施は、大きく〝財施(ざいせ)〟〝法施(ほうせ)〟〝無畏施(むいせ)〟の3つに分けられます。〝財施〟とは持ち物をシェアすることで、固着を起こさないトレーニングです。分配によって、自分を強くしない。〝法施〟は、教えやよりよい生き方を語ること自体が布施になるという考えです。たとえば内田さんの講演会に行った誰かが〝ええ話聴けたわ〟といってものの見方を変えたとしたら、内田さんは立派なお布施をしたことになります。〝無畏施〟は文字通り相手に畏(おそ)れを与えないことです。何も持たずともこの布施はできます。柔らかな表情で相手を思いやる言葉を発し、快適な場所を準備する。それだけです」
内田「素敵ですねぇ、無畏施」
釈「仏教には〝無財の七施〟という、たとえ一文なしでもできるお布施が示されています。和顔(わがん)、愛語(あいご)、慈眼(じげん)、捨身(しゃしん)、心慮(しんりょ)、床座(しょうざ)、房舎(ぼうじゃ)の7つですが、このなかでもっとも有名なのは〝愛語〟です。仏教において、言葉というものは非常に重要であると同時に警戒すべきものだという考え方をとります。最古のお経『スッタニパータ』にも〝人は口に斧を持って生まれてくる〟とあります。つまり、言葉は使い方を間違えると相手のみならず自分も傷つけるので、言葉が暴れないよう日々心がける。これが愛語です」
後藤「簡単なようで難しそうですね」
釈「後藤さんは、もう亡くなられましたがコロムビア・ライトさんという漫才師をご存じですか? コロムビア・トップ・ライトというコンビで活躍されていたんですが、トップさんが議員になり政治活動が忙しくなって、ライトさんは司会業に転身されました。ところが咽頭癌になってしまい、声帯を摘出する手術を受けることになった。機械の声ではと悩んだとき、食道を振動させて発声する方法があると聞きます。難しいし、毎日のトレーニングが欠かせない。奥さんに八つ当たりもしながら、苦労して苦労してやっと習得したとき、こう思ったそうです。〝この第二の声は、妻と私の血と涙と努力のたまものだから、汚い言葉や人を傷つける言葉を発したくない〟。私、この話をご本人にうかがって、これぞ愛語だなと思いました」
内田「いい話ですねぇ。愛語、覚えておこう。今ふと思いつきましたが、筆で字を書くことが少なくなって以降、言葉が荒れてきた気がします。僕の父親は、毛筆で巻紙に手紙を書くような人だったんだけど、すごく字が上手かった。見ていると、とってもゆっくり字を書くんですね。あれほどゆっくり書けば、人を攻撃する言葉なんか出てこないと思います。〝ば・か・や・ろ・う〟なんてね(笑)」
後藤「書く間にイライラした気持ちも収まるでしょうしね」
内田「ゆっくりしか書けないことが、言語運用のひとつの規制になる。昔の人の知恵ですよ。書かれた内容(コンテンツ)と同時に、どう書かれるかの外側も整える。すると、メッセージが総合的に整っていくわけです。Twitterやネットに氾濫する、キーボードで打たれた言葉の醜さ、激しさを見てください。それとはまったく別ものですよ」
釈「速さって、時に感情をむき出しにしますからね」
後藤「橋下さんも、いったん全部筆で書いてみたら、内容が変わってくるのかもしれませんね。もっと慎重になるんじゃないかな」
内田「その通りですね」
内田樹(うちだ・たつる)
1950年生まれ。思想家。神戸女学院大学名誉教授。武道と哲学のための学塾『凱風館』館長。フランス現代思想、映画論、武道論を中心に著述、発言を行う。主著に『私家版・ユダヤ文化論』、『日本辺境論』、『現代霊性論』(釈徹宗との共著)など。鼎談で触れられたグローバル経済や贈与については『評価と贈与の経済学』(岡田斗司夫との共著)などに詳しい。
釈徹宗(しゃく・てっしゅう)
1961年生まれ。浄土真宗本願寺派如来寺住職。相愛大学人文学部教授。認知症高齢者のためのグループホーム『むつみ庵』を運営。主著に『不干斎ハビアン―神も仏も棄てた宗教者―』、『仏教ではこう考える』など。仏教的な思想についてわかりやすく解説したものとして、『いきなりはじめる仏教入門』『はじめたばかりの浄土真宗』(ともに内田樹との共著)などがある。
(※2)クリエイティブ・コモンズ
インターネット時代の新しい著作権ルールの普及を目指す、国際的な非営利組織とそのプロジェクトの総称。作者が「一定の条件を守れば自分の作品を自由に使ってよい」という意思表示をすることで、著作権を保持したまま作品を自由に流通させることができ、受け手はライセンス条件の範囲内で再配布やリミックスなどをすることができる。