原発依存から脱却し、安全で持続可能な社会を目指す人たちがいる。福島県会津で発足された『会津自然エネルギー機構』。設立の場で代表の佐藤弥右衛門(やうえもん)さんは「資源豊かな会津で、エネルギーの自給自足を目指そう」と力強く宣言した。喜多方の地で江戸より続く酒造所の経営者である佐藤さんがエネルギーの道へ踏み出した理由とは。今回は佐藤さんと機構設立メンバーのひとりである工藤清敏さんにお話を伺った。自立の道を選んだ彼らの言葉は、私たちに、これからどう生きていくのかを問いかける。
佐藤さんの語り口は穏やか。
しかし、その意志は非常に明確だ。
—「会津自然エネルギー機構」の発足は、やはり震災がきっかけでしょうか。
佐藤「きっかけは3.11に違いないですよ。あれだけひどい事故になって、どうしようもない事があちこちで発生したわけですからね。それで『会津自然エネルギー機構』の柱である会津電力の構想が出てきたのが、去年の春頃でしたね」
—佐藤さんは、江戸時代から続く造り酒屋の九代目です。地域への想いも人一倍強いかと。
佐藤「高度経済成長が終わって、バブル期に入ると、やれ合理性だ、利便性だ、コストがどうだと、なんていうか、古いものはどんどん壊されていく時代になりました。町の保存もそう。この蔵なんかも、あってもしょうがない、朽ちるだけで大変だって。結局、バブルが崩壊して失われた20年なんてことになってしまうんですがね。経済なんかは成長したかもしれませんが、その一方で、やっぱり地元の歴史や文化を守らなきゃダメだって気づいた人たちもいた時代だと思うんですよ。私は後者で、地域の村おこしや町おこしなんかに積極的に関わってきたほうでしたね。飯舘村の村おこしにも、昭和63年から20年以上、関わっていました」
—飯舘村は、放射能の影響で2011年6月に全村避難を余儀なくされました。
佐藤「そうですね。飯舘村は標高500m位なので、穀物はあまり獲れません。“やませ”という冷たく湿った風も吹く。だから酪農が盛んで、飯舘牛というブランド牛が特産になりました。村おこしにと頼まれて、その牛肉に合うお酒をつくったんです。『どうぞ村におこしください』という想いを込めて、『おこし酒』って名づけましてね。菅野村長が名づけた『愛のうわずみ』なんてのもありました。以来のつきあいで、震災が起こる2ヶ月前の1月には、“までい大使”という観光大使にも任命されましたよ。地震の後、3月15日には一升瓶に水を詰めて、飯舘村に行きました。そのときは放射能が大変なんて言ってなかったんですけどね。でも、実際は爆発してセシウムが飛んでいた。あの日は、雨や雪が降ってたから、飯舘村にセシウムがべったりくっついちゃったんでしょう。雪が降らなかったら、飯舘村もあんなひどいことにならなかったんだろうけど。結局“避難しなきゃダメだ”となり、6月に全村避難。ひどいですよね」
自社ファームも持つ大和川酒造にとって
会津の自然は貴重なもの。
—ひどいです。それから原発や東京電力に対する考え方も変わっていったのでしょうか。
佐藤「原発に関しては、東京電力だけの責任じゃなくて国の責任もあると思っています。核燃料リサイクルなんてできないわけですよ。地中に埋めるしかない。“だったらそんな危ないエネルギーはもういらない、自然のエネルギーで間に合うんじゃないか、電気なんて節約すればいい”と思い始めたんです。福島県はずっと東京電力の植民地と言われてきたんですよ。あげくのはてに事故が起こった後は、どうせこんなことになったんだから、使用済み核燃料のゴミ箱にしちゃえばいいって議論にまでなってるんですから。それが許せないんです」
—使用済み燃料の廃棄など原発が抱える問題はあまりにも多いですが、これまで市民レベルではほとんど議論されてきませんでした。震災以前は、エネルギーに対してはどんなお考えだったのですか。
佐藤「震災までは、あんまり気にしたことはありませんでしたね。電気もバンバン使ってました。原発も安全だと言われていたから、安全だと思ってましたよ。でも震災ですべてが一変しました。ぜんぶ真っ赤なウソだった。何が安全だ。国と電力会社にだまされていたんですよ。大熊町や楢葉町なんて、汚染されて作った米を捨てなくちゃならないんですよ。もう自分だったら国会や東京電力に何しでかすかわかりません。それくらいの想いがあるんですよね、やっぱり」
—そして地元の豊富な自然エネルギーの力にあらためて気付いたわけでしょうか。
佐藤「震災があった2011年の7月の梅雨明け頃に大豪雨がきました。南会津の奥にダムがあるんですが、下流は家や橋が流されたりして大変で停電になったんです。てっきりダムの水力発電が停電したんだと思ったのですが、違っていた。地元が停電したんだから東京も停電しているんだろうと思ったのですが、東京は停電していなかった。東京が使っている目の前の水力発電は停電じゃないんだ。ということは、この電気は全部東京が使っているわけで、一体、私たちはどこの電気を使ってたんだって気付いてね」
—停電がきっかけで、はからずも東京に電気を奪われていたことがわかってしまった。
佐藤「福島県のなかでも、とくに会津あたりは昔から水力が豊富で、安い電気を求めて会津に工場をつくる企業もあった。当初、電力は民間会社が管理していたけれど、国の政策で統合が進み、戦後は東京電力の管轄になった。以来、自分たちの地元でつくられた電気は、みんな売り飛ばされていたわけですよ。東北は、みんなそうです。ヒトモノカネ、地元のものはみんな搾取されてしまう。手塩にかけて育てた子どもも、東京に行ってしまって。いずれ地元に戻り商売をしてくれればいいんですが、ほとんどそうはなりません。食べ物だってそうでしょう。おいしいものが全国から築地に集まり……。東京ばかりが潤っている。市場原理として、人口が多けりゃそうなるでしょうけどね。みんな取られっぱなしです。気がついてみたら、私たちの川の水力発電まで、すべて使われきっていた。水利権まで取られ何も言えない状態になって。やっぱり、これは見直そうよと思ったんです。地元の土地だもの。地元のものは地元で使おうってね」
—その気持ちに応えるように、豪雨があった2011年7月、福島県は脱原発を宣言しました。
佐藤「当然ですよね。調べれば調べるほど、自分はもう原発路線から完全に脱しないとダメだって思いました。本当は、日本全体が脱原発しなきゃいけないと思っています。時間はかかるかもしれないけれど、スタートしないことには始まらないでしょ。では、脱原発を選択した福島県はこれからどうするか。電気を他から買うのか。それじゃこれまでと変わりません。自分のところで使うエネルギーは自分でつくらなきゃダメだと思うんです。原発が無くなるってことは再生可能なエネルギーをつくらなきゃダメだということ。地元の電気の試算をおおよそイメージすると、福島県の1日の電気消費量が約190万キロワット。会津の水力発電でつくれる電気が1日で約240万キロワットです。そう、会津だけで県内消費を上回る電気をつくれるんですよ。なのにこれまで全部、東京に行ってしまってたんですから。頭にきました。うちの川に降った水で何をしてるんだと。猪苗代水系や谷川水系を取り戻そう。奪われたものを取り戻そう。東京電力から買い戻そう。自然エネルギーのことは私たちがやるから、東京電力は膨大な避難民と汚した土地のために尽くしてくれと。もちろん売り買いで解決できるのかは、国も絡んでくるかもしれないですから、そう簡単ではないでしょう。ですが、基本的には買い戻すつもりですよ」
佐藤弥右衛門(さとう・やうえもん)
会津・喜多方の地で江戸時代より続く合資会社『大和川酒造店』の九代目社長。2011年3月の福島第一原子力発電所事故をきっかけに、原発に頼らないエネルギーの地産地消をめざし、地元の自然エネルギーを利用するべく一般社団法人『会津自然エネルギー機構』を立ち上げ、理事に就任。
工藤清敏(くどう・きよとし)
株式会社『プロジェクト会津』取締役社長。『会津自然エネルギー機構』設立メンバーのひとり。現在は喜多方市内で『ガーデンホテル喜多方』を経営する。経営再建などのコンサルタントとしても活躍。