TOKYO No.1 SOUL SET、ソロユニット・THE ZOOT16、そして、福島出身のミュージシャンとクリエーターで結成したバンド「猪苗代湖ズ」としても活躍する渡辺俊美。渡辺の故郷は、福島第一原発の事故によりいまだ警戒地区となっている福島県富岡町。20km圏内に故郷を持つ渡辺が様々な想いを抱えながら、みんなの心の中にある想いを風化させないために歌う希望の種とは?
後藤「震災後一年半(この対談取材をしたのは2012年10月頭)が経って、漠然とですけど、原発事故へのみんなの興味がどんどん薄れている感じがするんです。だけど福島に取材に入れば、そこには色褪せずに憤りや戸惑いがそのままあって、もう一度、福島の皆さんの思いを『THE FUTURE TIMES』で伝えたいと思って、今日は俊美さんに会いにきたんです」
渡辺「僕個人の思いとしては、日を追うごとにどんどん複雑になっているんですよね。後から知らされるいろんな情報、“実はこうだった、ああだった”ということを聞くと、なんで早くそれを言わないんだとか、じゃあ今まで僕らが福島を応援してやってきたことは無意味だったのか、福島でやったことはダメなことだったのかとか、自分も反省してしまうし。だけど福島で一生懸命生きている人たちを僕は無視もできない。その狭間で、複雑な想いというのは去年の今よりも大きくなっていますね」
後藤「僕もそう感じます。知れば知るほど、いろんな立場の人がいて、いろんな想いの人がいるので」
渡辺「それでもダメなものはダメだって僕は言いたいんですけどね」
後藤「先日、箭内道彦さんがEテレでやっている『福島をずっと見ているテレビ』を観ていたんですが、福島の方がデモに対する意見をおっしゃっていたんです。『東京でやったって』という思いも実際あるでしょうし、様々な意見があって、どれももっともだなと思いながら見ていたんですが、中でも印象的だったのは、子どもを持つ母親の言葉でした。『福島から子どもを逃がせ』みたいなことを叫ばれると、ここで子育てをしていることに対するすべてを否定されたような気分になると」
渡辺「そうですよね。七尾旅人くんが震災後に書いた『圏内の歌』という歌があって、僕はあの歌が本当に好きで、自分のライブで2回くらい歌ったことがあるんですよ。でもね、やっぱり福島では歌えないんですね。福島にいる人を、福島で子供を育てているお母さんを、見えないナイフで傷つけているような感覚を受けるんですよ。それは旅人くんが悪いわけでもあの歌が悪いわけではなくて、すごくいい歌だし、僕もあの歌にすごく共感しているんだけど、福島では歌えないんですね。だから自分は自分の歌を歌おうと思ったんですが……」
後藤「俊美さんは、福島出身のアーティストたちと組んだ『猪苗代湖ズ』で福島への想いを伝えてはいましたが、ご自身の活動としては、震災後一年が過ぎるまでは言葉を発するのをやめようと思っていたそうですね」
渡辺「そうですね。震災後、周りにはたくさん歌が生まれたけれど、僕自身は何が歌えるんだろうと自問自答していたんです。というのも、僕は被害者でもあるけど、小さい頃からあの町で育った、ある意味、加害者でもあると思っているんです。富岡町というのはほとんどが東電関係ですからね。下手したら、ゴルフ場からゴルフ練習場からホテルも東電の持ち物です。震災後すぐ、避難所になった『ビックパレットふくしま』に行ったんですが、そのとき、消防団長が僕の同級生で話したんです。消防団も東電の管理会社などを夜見回ってお金をもらってるから、そういうみんなの“言えない感じ”を目の当たりにすると、僕は何が言えるのか、東京にいるから批判できるのかといえば、みんなの顔や立場を思ったら一概にはそういう言葉は言えないなと思ったんです」
後藤「そういう中、最初に生まれた歌がアルバム『としみはとしみ』に収録されている『僕はここにいる』という歌だったそうですが」
渡辺「まず、その歌詞の中にある“誰のせいでもないよ”という言葉が出てきたんです。福島に原発を誘致したのも最初はみな良かれと思ってやったことだったし、受け入れてやった部分もあったから、今日からのこと、明日からのことを考えるしかないと思ったんです。だけど、未だに姉が請求したお金が払われなかったり、親父の土地の補償の件が解決してなかったりと、なんか悔しいんですよね。もどかしいというか……。
先月、一週間くらい地方に行っていたので、東京電力のお金を払うの忘れていたんです。そしたら徴収しに来たんですよね。それで払ったんですけど、そのとき、『僕、福島生まれなんですけど、窓口に行けば僕らの補償金も払ってくれるんですか』と言ったら、無言になって。そういうとき、バランスがおかしいなって思ったりもする。とうちゃん、かあちゃん、実際避難している人の気持ちを考えると、僕はそれを代弁したいという想いもあるんです。だけど文句じゃなくて、希望も歌いたい。希望の種も蒔きたい。だから『夜の森』という歌を作ったんですが、こういう想いはずっと続くんじゃないかなと思いますね」
後藤「『夜の森』という歌で、“いつの日かきっと あなたと歩きたい”と歌われている桜のトンネル、綺麗でしょうね」
渡辺「綺麗ですよ。その桜のトンネルの百メートル先くらいに僕が通っていた中学校があるんですよ。この前行ったとき、その中学校の校庭に除染した土が積まれていたんですね。それを見た瞬間に、“あ、帰れないな”と思いました。これは5年、10年の話ではないなというのがあった。本当にいろんな想いが湧いてくるんです。ここから出ていってもらいたいという気持ちとここにいる人たちを応援したいという、その両方の気持ちがあるから。だけどそのときのそういう想いも歌に全部するのが、僕はロックだと思っているので」
後藤「俊美さんの話を聞いていてもそうですが、福島に住む人たちや福島に故郷を持つ人たちの憤りや悲しみを目の当たりにすればするほど、僕は何も言えなくなるんです。どういう言葉をかけていいのかわからなくなる。まして僕はこの街の生まれでもなんでもないわけで……。先日、南相馬に取材に行ったときも、言葉が出てきませんでした」
渡辺「でも嬉しいと思いますよ。僕は嬉しいもん、そうやって話を聞きにきてくれることが」
後藤「ジャーナリストってすごいなと思いましたね。そういう中でも取っ掛かりを見つけていくんですよね。僕は全然ダメで、泣いて終わりましたから(苦笑)」
渡辺「だけど後藤くんのTwitterを見てても、ちゃんと文が書けててうらやましいなって思いますよ。僕はうまく書こうとは思わないけれど、言葉が出てこないんですよね(笑)。この前も『福島リアル』の活動の一貫で、福島への手紙を書いて出したんですけど、却下になったんですよ。もうちょっと表現を柔らかく、ということで。どうしても言葉がキツくなってしまうんですよ。というのは、以前、戦後の沖縄の基地問題の本を読んだときに、『小指の痛みが全身に届くのか』というようなことが書いてあったんです。それは沖縄のことを小指に、全身というのを本土に例えた言葉でしたが、今の福島と日本のことを自分の表現として、僕は『みかんの箱』と例えて、『一個腐ったみかんがあると、みんな腐ってしまうんじゃないか』と書いたんです。『そこを取り除くのか治さない限り、日本全土が腐ってしまう』と。そしたらあまりいいようには受け取られなくて。でも俺、福島の人に『頑張れ、愛してます』って一方的に言うだけではダメだと思っているんですよ。やっぱりそういうこともちゃんと言わない限り、何も変わらないと思っていて」
後藤「僕の実家は浜岡原発の近くなんです。20kmくらいしか離れていない島田市という町で。被災地の瓦礫を初めて受け入れたところです。そのときの気持ちというのが僕の中にずっとあるんですね。というのも、受け入れが決まったときのネット上での島田市へのバッシングがすごくて、『島田市終わった』とか、『島田市の物は食えない』とかいろいろと言われたんです。今までそういうことを福島の人が言われていることに対して、ひどいなという気持ちはあったんですが、自分の生まれ故郷にそういう言葉が注がれたり、ちょっと過激な活動家が自分の地元に来たりとか、そういうことを体験して初めて、これはすごい堪えるなって、心にズシンときました」
渡辺「しかも、それは結局、気持ちの問題よりもお金の問題が絡んでそうで、やっぱりそこが素直に受け入れられないですよね」
後藤「本当にどこから説明していいか、もう呆れちゃうような言説や言葉が飛んできて、一番最初に偏ったレンズが用意されたら、なんとも言い返せないですね」
渡辺「僕は、帰れないんだったら、双葉郡は全部まとめた方がいいと思うんですよね。僕が町長だったらという立場で言えばそう思います。九州に行ったとき、九州でも瓦礫受け入れの話があって、『受け入れ承認の署名にサインした方がいいですか』と言われたから、僕は『しなくていい』って言いました。福島で起きたことをなるべく福島で解決できる方法はないかなと思うんですけど、まだ放射能は出てるからね。切りがないんですよね」
後藤「自分の故郷に対しては、みんなでどこかに別の地域に動いた方がいいと考えていらっしゃるんですか?」
渡辺「リトルイタリーみたいなのがあるみたいに、リトル富岡でもリトル福島でもいいんですけど、放射能が出てるからここに住むのは無理だとか、他の県に投げかけて、ちゃんと国が認定してくれた上でそういう街を作ったらいいと思うんですけどね。福島への風評被害があるのだったら、他の土地で農業をやってるところに福島の人が行って作れば、それは福島のお米だと認定するとか、その人にお金がいくとか、そういう仕組みは考えられると思うんですよね。結局、もっとも大事なのは命なんです。福島の祖先を残すためには、福島にいたらハテナマークなわけですよ。だったら分散してでも福島の遺伝子はずっと残すべきだと思っているんです」
後藤「健康への影響がハテナマークというのが、物事を複雑にしてますよね。様々な人の、心配の種にもなっていて」
渡辺「誰も答えがわかってないから、みんなそのままいたりとかするんですよ」
後藤「取材した南相馬の方がおっしゃっていたのは、この土地に住むってことは、みんなにはわからないかもしれないけれど、俺には意味があるんだと。やっぱり行方不明の家族がまだ見つかっていないと…」
渡辺「そうか……」
後藤「もし僕が同じ立場だったら、その土地に残るだろうなと思いました。たとえば自分の息子や娘が見つからない、父親が見つからないとなったとき、健康への影響がはっきりとわからなくても、ここにいたいと思うだろうなって」
渡辺「それはありますね。だから漠然と“福島”とまとめるよりも、一人ひとりの事情や思いがあると思うので、それを拾い上げていけたらと思うんですけど、あまりにもザックリしすぎるんですよね。30kmも20kmも含めてザックリなんですよ。20km圏内の人はお金もらえても20.1kmの人はもらえないとか、そこの基準は何なんだと思うんです。僕が町長だったら一人ひとりちゃんとその事情を聞いて考えますよ」
渡辺俊美(わたなべ・としみ)
1990年、TOKYO No.1 SOUL SETとしてデビュー。’02年より、ソロユニット・THE ZOOT16としての活動もスタート。’09年、山口隆(サンボマスター)・松田晋二(THE BACK HORN)・箭内道彦(風とロック)と共に、福島出身のミュージシャンとクリエーターでバンド「猪苗代湖ズ」(渡辺俊美はBASS担当)を結成。猪苗代湖ズとして、'11年4月、東日本大震災を受け、福島県復興支援チャリティーソング「I love you & I need you ふくしま」を、タワーレコード限定シングルリリース。CD販売利益全額を福島県災害対策本部に寄付する。'12年6月、渡辺俊美としての1stアルバム『としみはとしみ』をリリースした。