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続・あっちこっちと未来-前編-——デモと煮物とイマジネーション | 後藤正文×いとうせいこう

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祝島で30年間続く原発建設反対デモと島民の生活が、私たちに問いかけているものとは何か?
そして、ノイズを排除する社会に抗い、想像力と多様性を取り戻すために今、何ができるのか?
島を歩き、対岸の原発建設予定地を訪れた、いとうせいこうと後藤正文が語る

構成:水野光博/撮影:名越啓介

抗議行動を続けることの重み

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後藤「昨晩、祝島のデモに参加させていただいて、いとうさんはどんなことを感じられました?」

いとう「まず、とにかく30年間続けてきたという現状だよね。たとえば、今、官邸前でやってるデモが収束していっちゃうんじゃないかとか、この先何年も続かないんじゃないかとか、もちろんそれはそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だけど、祝島のデモに参加して、人数とか規模とか関係ないじゃんって思ったな」

後藤「なるほど」

いとう「まず続けてる人がいるってこと自体の重みというか。中沢新一(※1)さんに、“とにかく民俗芸能に近いものになってるから一度見たほうがいい”って以前から言われてて。狭い道を、声かけながらみんなで行くじゃないですか。途中でさ、なんか昔で言ったら鬼やらい(※2)とか、節分の行事に参加してる気分になっちゃったもん」

後藤「そうですね、確かに。思っていた以上に、みなさん普通に集まって、普通に歩いていましたね。食後の散歩みたいな。デモに参加させてもらった後に、“デモが始まった頃はもっと激しくて、それこそ推進派の家まで押しかけたんだ”って話を民宿の方から聞きましたけれど、さらに重みというか、深みというか、そういうものを感じました。僕たちはたまたまこの日に来て、簡単な感想を持ちますけど、そういうインスタントなものじゃないんだなって」

いとう「デモだけじゃなくて、同時に今も24時間、対岸を監視したりしてね。上関原発が建たないようにするために、おばさんたちが命がけで海の中に入って中国電力の船に手を掛けて岸に近づけないようにしたり、海上保安庁に排除されながら抗議活動をやってもいると。一方で、ああいう風に明るいデモもやっているってことの両立っていうのが、たまたまできちゃったわけじゃないですか。たとえば、60年代、70年代の安保闘争みたいに、デモのイメージを悪くさせちゃうような、内ゲバにつながっていくようなデモの場合、激しさの方はあったけど、優しさのほうはなかったと思うんですよ」

後藤「そうかもしれませんね」

いとう「成田闘争(※3)は、優しさのほうも多分あったんだろうって、農民たちはそんなに暴力的ではない抗議行動も村単位ではやっていたんだろうなって今回初めて実感しましたけど、少なくとも現在はあんまりないわけで。祝島のデモは、年数を掛けて、よく練られた抗議の幅の広さみたいなものを見せていただいたなって」

後藤「その結果、実際に30年間、原発が建っていないって事実がすごいですよ」

いとう「よくこれだけ頑張ったよね」

後藤「山口県民の中には、福島の事故以降、原発が建つことを不安に思っている人もいると思うんです。でも、祝島の人たちが30年間頑張らなければ、もう既に上関原発が建っていたかもしれないっていう」

いとう「デモは効果がないって言う人も多いし、本当に効果はないものなのかもしれない。でも、少なくとも大飯原発の再稼動については、遅れに遅れた。それはやっぱり、各地でデモがあったからだっていうのは、どうしたって事実だと思うわけですよ。そういう意味でも、抗議行動をすることに意味がないなんてことは、とてもじゃないけど祝島の彼らを見たら言えないです」

後藤「そうですよね」

いとう「何らかの効果がある、絶対的な効果じゃないにせよね。それに、人数のことにしたって、もちろん多いほうがいいし、どんどん増えていくほうがいいとは思います。だけど、そうならなくたってガッカリする必要はない。“キープオンでしょ”っていう気がしました」

失われてしまうものは何か

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後藤「僕が実際に祝島に来てみて思ったのは、本当に原子力発電所が建った場合に、失われるものが何かっていうこと。本当に海が綺麗だし、建設予定地の対岸には普通の人が暮らしている。事故があった場合、この島からどうやって逃げるんだろうっていう疑問も持ちました。東京や都会に住んでいる人が来て“ああ、自然っていいね”って帰っていくのも、なんだなって自戒していますけど。それにしても、こういう豊かな場所を埋め立てて何かを造る。それまでの環境は一生元には戻らない。そういう不可逆性に対しては、もっと多くの人が考えを巡らせたほうがいいですよね」

いとう「よくゲームをやってるような子供たちを『リセット世代(※4)』だとか言ってるけど、50歳より上の人の方が、よりリセット世代というかさ。リセットができると思っちゃってるわけ。何か開発して、それがダメだったとしても、取り除いちゃえば、また環境も戻るだろみたいな。そんな簡単なものじゃなくて。生態系っていうのは、もっと複雑にできていて、一度、輪っかを切っちゃうと、もう、なかなか結び目が見つからない」

後藤「そうなんですよね」

いとう「だから、まず原発を造るということは、そういう環境を決定的に破壊してしまう。もしも稼動すれば、温水が1時間に何トンも海に出続けるわけじゃないですか。もちろん、事故になれば放射能が出る。で、原発ができることで、もうひとつ何を破壊してるかっていうと、電気をより使わせようとして、人々がこれで十分だと思っているライフスタイルを壊していく。もっと使え、もっと使えと。いらないもん、あの島に。デモだって、ほとんど街灯もないとこでやってんだよ。誰も別に転ばないし、ケガもしない。そこで参加者は、懐中電灯を照らそうとも思っていない。彼らのライフスタイルっていうのは、原発建設に反対してくなかで、同時に守られてきたと思うんですよ。そこはすごく重要だったし、行って見てみなければわからないものだった。もっと明るい街灯がついてるところでやってるのかなって思ってたから」

後藤「本当に真っ暗でしたね」

いとう「真っ暗だった」

後藤「写真の撮影にも困るくらいの暗さで、面白かったですね」

いとう「だから余計に、民俗芸能的なことを思っちゃったのかもしれないけどね。夜の魔物を払うっていう。でも、やってることは、魔物を払うっていう意味では同じだもんね」

後藤「そうですね。あと、いろいろ話を聞くなかで思ったのは、建設予定地がある対岸の町とは軋轢が生じているわけで。原発を造ることで、地域のコミュニティっていうのがバラバラになっちゃうんだなって。それもすごいですよね。どうして住民たちがこれほど戸惑わなければいけないのか。不条理だなとも思うし。もちろん、地場産業や地域振興の話をされたら、部外者としてはなんとも言えないですけど……。でも、他に何か考えられないのかなって気持ちも、外から訪れた人間としては持ちました」

いとう「漁業やってる人たちにとっては、もう海岸を埋め立てられちゃったら決定的な影響があるわけで。その保障金として、漁業関係者にひとり頭約1千万円払われるとかいうことなわけじゃないですか。でも、1千万ってね。そん時は色めきたつかもしれないですけど、年に100万使っても10年でなくなっちゃうんですよ。4人家族だったら、ひとり当たり年間25万の計算になる。一見、すごい額だけど、それと引き替えにものすごい簡単に何代にもわたる生業を奪われてるわけで。それはもう、比較されるべき金額でもないよね」

後藤「長い目で見たらそうですね」

いとう「どう考えても、島の魚は豊かじゃない? 昨日の民宿の晩ご飯だって、鯛の煮付けがひとり一匹出てきちゃうんだから、すごいよね」

後藤「それなのに、“今日は漁協が休日なんで、お刺身がなくてすみません”って言われましたからね」

いとう「既にものすごい豪華なのにね」

後藤「ホント、すごかったです」

いとう「でも、そこなんですよ。漁業なんてさ、ものすごい古い時代から、言ったら狩猟採集民族、稲作よりも前から続いてきてるものじゃないですか。原発を造るっていうことは、そういうものをブツっと切っちゃうことなわけで。それは100年、200年経った後、その地域にとって本当に幸せかってことをよく考えないと」

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後藤「そうですよね。祝島の農地、ほとんど石垣だったじゃないですか。いったい何年掛けて築いたんだっていう話ですよね。島の人の住んできた証というか。あれ自体が石碑みたいなもので。ずっと刻み続けてる。そういうスパンで考えるとやっぱり、一時のために原発を建ててしまっていいのかなって思いますね」

いとう「だから、後は雇用の問題で。さっきゴッチが地場産業や地域振興って言ったけど、つまり、地元と外部から入ってくる人たちが落とすお金の話だよね。これってさ、雇用を生み出して、外部から人が入ってくるっていう構造だけを考えれば、原発以外にも、アイデアはいくらだってあるはずなんですよ」

後藤「本来はそうなんですよね」

いとう「結局、そこに公的資金が下りて、別案を誰も何も考えなくてすむっていうシステムにされちゃったから、誰も考えなくなってしまったわけでしょ」

後藤「そうですね」

いとう「公共事業で何か建てる場合、全国一律のマニュアルにしたがって、現地住民を対立させて、中に入って金をばら撒いていくっていう。田中角栄時代、日本列島改造計画の頃から、そういうシステムになっちゃったんだよね。僕のおばあちゃんは、角栄の改造論に怒って眠れなくなったりしてたんだけどさ。おばあちゃんが言ってた怒りはこれだったのかって。“このままでは日本はダメになる”って、何の力もない人なのに怒ってたんですよ。結局、公共事業でゼネコンとか建築会社は潤う。もちろん便利なことは大事だと思います。だけど、ある程度便利になっても、その構造がそのまま続いちゃうから、どうでもいいところをコンクリート漬けにする。もっとどうでもいい所に原発を造る。もう電気は必要なくても、それをやる。日本という車が止まれなくなっちゃってる」

後藤「そうなんですよね。中国電力の電力需要は減少傾向なのに…。本当に構造だけ、システムだけが暴走しているように感じます。コンクリートの建造物を建てなきゃ、ビルド、ビルドってなってる」

いとう「なんでそれを止められないのか、俺には理解できないというか。この国の官僚って、そんなにバカじゃないはずだしね。だから、いかに利権が美味しいものかってことでしょうね。やっぱり。そこに落ちてくる利権が美味しいから、こうなっちゃってるんだろうけど」

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後藤正文×いとうせいこう

いとうせいこう

1961年生まれ。小説『ノーライフ・キング』をはじめ、数多くの著書を発表。作家、作詞家、映像、音楽、舞台など幅広い表現活動を展開している。日本のヒップホップのオリジネイターでもあり80年代にはラッパーとして活動。09年には、□□□にメンバーとして加入。また、台東区「したまちコメディ映画祭in台東」総合プロデューサー、「たいとう観光大使」も務める。ベランダで植物を楽しむ「ベランダー」としても知られる存在。

■注釈

(※1)『中沢新一』

思想家、人類学者。明治大学・野生の科学研究所所長。主な著書に『アースダイバー』『日本の文脈』(内田樹との共著)。本紙03号で、後藤正文と対談(「農業音楽論」)

(※2)『鬼やらい』

疫病をもたらす悪い鬼を払う伝統行事で、現在は「節分の豆まき」のような形で一般に伝わる

(※3)『成田闘争』

1966年7月、成田空港の建設計画が地域住民との合意抜きで閣議決定されたことに端を発する、戦後最大級の建設反対運動。住民や活動家と国が全面対決する事態となり、数千人規模での衝突が繰り返された。現在も一部の反対派による抗議活動が続いている

(※4)『リセット世代』

1997年の新入社員につけられた〝あだ名〟。テレビゲームのように、ボタンを押して一旦データを消せば、何でもやり直しが利くと思い込んでいるような人を指す