大宮「僕の後輩は泣きながら…。初めての経験だし、遺体とかを見てしまうと…。部隊によっても、ひとつの部隊で数百体とか収容したっていう地域もあって…。それこそ、空挺部隊ですかね。彼らの心境っていったらもう…、同じ自衛官ですけど、計り知れない、想像もつかないですね…。彼らはどんな気持ちで立ち向かっていたのか」
後藤「そうですか。う〜ん…」
大宮「目つきが違いましたから。僕らとはこの第一原発で合流できたと思うんですよ。着いたらまず、空挺団の方々が誘導とか、現地のいろいろなことを、——入ってくる部隊の受け入れとかをやっていたんですけど。目つきが鋭かったように思います」
後藤「いろいろな光景を見てきたってことですよね」
大宮「それをすごく感じられるくらい、研ぎすまされている雰囲気が見ていてありました」
後藤「空挺団っていうのは、早めに現地に入られた部隊なんですか」
大宮「多分、一番最初に入っていたんじゃないですかね。空挺団っていうのはパラシュートとかを使う戦闘部隊なので、かなりサヴァイバルな訓練をしているんですよ。だから、彼らが捜索などをするとゴミひとつ落ちていないんです。そういう、自衛隊のなかでも、ものすごい精鋭の、精強な部隊なんです」
後藤「大宮さんとしては、一連の活動が終わって引き上げてきたときの気分というか…、精神的に落ち込んだりしなかったですか?」
大宮「落ち込みましたね。僕は福島出身じゃないんですけど、地元の人たちのツイートなどを見ると、普通のつぶやきをしているじゃないですか。それは当然なんですけど、当時はそれを見てすごく落ちていたというか…。なんで日本がこんな状況になっているのに、被災地に言葉とか気持ちを寄せられないのかって思ってたんですよね。本当は思っていても言えない人もいたのは分かるんですけど…。でも、温度差は確かにあって、それを感じつつ、まだまだ行方不明者が完全に見つからないうちに、——僕らも自分たちの地域を守ってないとけないっていう任務もあるので、やっぱりどこかしらで引かなければいけない時期があって、瓦礫も含め、この後被災地はどうなっていくんだろうと思いながら、6月に撤退しました。大丈夫なのかと思いながら…。もうすでに僕は福島には特別な感情を持っていたので。第二の故郷じゃないですけど。新潟もそうだったし、長く活動すると、その土地の人たちの想いが入り込んでいたし。もう大丈夫!ってところで引き上げてくるんだったら、安心できましたけど…」
後藤「まだまだだろうって想いがありながら…。自衛隊の方の想いもそうですけど、もっといろいろな方の心情に想像力を皆が働かせられたらと思うんですよね。実際に今も住んで、行方不明の方を捜索している方たちのことだったり。完全に理解することはできなくても、想いを寄せることはできるじゃないですか。そういうこともなく、早くも被災された方たちのことを忘れようとしている風潮があるとするなら、ちょっと怖いなと思います。ハイ!次!みたいな。やれ政局だ、経済成長だ、みたいな…。まだ困っている方もいますから」