ASIAN KUNG-FU GENRATIONと同世代のバンドであるACIDMAN。彼らは、デビュー時から一貫して、“生と死”を歌ってきたバンドだ。また、震災以降、イベント『NO NUKES』に参加するなど、今自分達が何をすべきか、何を考えるべきか? 意思表示をはっきりとしている。ACIDMANのフロントマンであり、楽曲のほとんどを手掛ける大木伸夫さんは、何を指針に活動し、未来にどんな想いを描いているのか?
後藤「まず震災当時のことから聞きたいんだけど、あのとき、ACIDMANはツアーをやめなかったでしょ? 俺たちはツアーが中止になっちゃったからさ。いったいどういう気持ちで続けたのかというのを、今一度話してほしいんだけど」
大木「そうだね……震災の時はツアー中で福岡に移動してる最中で、“とんでもないことが起きたんだな”と思った。次の日のライブはスタッフから延期しようと言われたんだけど、『今、来る人がめちゃくちゃ不安だし、俺たちみたいな歌を唄ってる人間は、そこでやれる環境があるんだから、やらなきゃおかしい』と言って、やったんだ」
後藤「うんうん」
大木「その日のライブは本当に印象的だったね。全然ワーッなんてならなくて、もう異様な空気感が満ちてたんだけど、3曲目ぐらいに『みんなの気持ちはすげえわかるし、俺も不安でいっぱいだけど。俺たちは“結局人は死ぬ”ってことをずっと唄ってるから、今を生きなきゃいけないんだよ』『今のこの一瞬を、自分の命を楽しもう』って言ったら、めちゃくちゃ盛り上がった」
後藤「うん、なるほど」
大木「もう初めてぐらい、あんなみんなが興奮してるのを目の当たりにして。美しい光景だったし、自分自身も助けられたね」
後藤「つまり、そこで唄うことがふさわしい表現を続けてきてたってことだよね、ずっと。当時、俺はACIDMANはすごいなと思ったんだよ。“ああ、やるんだ”と思って」
大木「全然! すごいっていうより、それはバカの発想というか……もう子供の発想ですよ。俺自身もどうすりゃいいか、わかんなかったし。ただ、ツアー中だったから良かったかもしれない。もうファンしか見えてなかった。亡くなった方に失礼かもしれないけど、“助けに行かなきゃ”とか、そういう発想は全然なかったからね。ゴッチはそういうところにちゃんと脳が行くから素晴らしいと思う」
後藤「でも俺は途方に暮れたタイプだよ(笑)」
大木「でも、だからこそ、そういうことへの熱量があったんだと思うんだよ。俺たちのツアーは仙台と新潟が延期になっちゃったんだけど、そのときも振替公演は必ずやると……“必ず”という文言を付けてくれと言ったの。不安な時ってウソでもいいから“絶対助ける”とか“必ずやる”っていう強い言葉がすごく助けになるなと思ってるのね。だからそういう文言を入れました」
後藤「ACIDMANって、自分たちの世代ではあまりいない、『NO NUKES』なんかにも真っ先に出るバンドだよね。35、36歳のバンドでそういう社会的なところに出ているのはACIDMANとアジカンぐらいだと思うの。で、あそこで大木くんがMCで言ったとおり、『俺らが言わなくて誰が言うんだ』ってことだと思うんだよね。この言葉は坂本(龍一)さんとかもいろんな場所で『素晴らしい』って言ってくれてるけど。そういう気持ちになっていったのは、どういうことがきっかけだったの?」
大木「いや、もう単純なことですよ。チェルノブイリのことは知ってたし、そのドキュメンタリーの『アレクセイと泉』という映画が大好きで、“こんなことが起きたんだ?”と思ってはいたんだよね。だから、どんなに危険なものかというのは頭の中にあったけど、やっぱり遠かった。それが今回の震災ではっきりしたんだよね。俺、化学の学校出てるくせに、原発がこんなにも危険なものだったっていうのを知らなくて、あまりにも無知だったことを反省してさ。そこから、“原発とはどういうものだったのか? 日本に50基以上もあり、ゴミの問題もまだ片付いてないのは何でなんだろう?”っていうことをちょっと調べたら、それだけでいろいろな概念がボロボロッと崩れていったの。“自分たちはあまりにもしっかりしてなかった”“こんなエネルギーを俺たちは使ってたんだ”と。とくに福島の電気を使ってレコーディングしたりライブしたりしてたんだと思うと……これは申し訳ないな、と思った。もちろん原発がなかったら今のエネルギーが回らないというのもわかるけど……これもMCでも言ったけど、生き物はまず土の上に生きてナンボだと思うのね。その土が汚れてしまうのは、どう考えてもおかしい。だから開発や研究は続けるべきだと思うけど、今はまだ使っちゃいけない技術なんだなということを痛感させられたの」
後藤「うんうん、なるほど」
大木「とはいえ、(脱原発)デモには、俺は参加してないんだけどね。“政治を変えてやる、何とかしてやる”というエネルギーはちょっと薄いかもしれない。ただ、せめて一人ひとりの気持ちを変える努力はしたいなと思ってる」
後藤「なるほどね。デモに参加するしないは個人の自由だから、それはそれでいいと思うし。でも知ってしまった以上、黙っているのは、自分の中の正しさや規範に反するよね」
大木「そうそう。あと、“怖い”というのが、まず最初に来るかな。それこそ浜岡(原発)が次にやられてしまって、その時の風向きでほんとに東京に住めなくなったことのシミュレーションをすると、ゾッとするからさ……」
後藤「そうだよね、うん」
大木「そのときは、どこに逃げて、何食って、どんな水を飲んで生きるんだろう? それがこれから数十年も?……ってね。俺は“怖いものはなるべく少ないほうがいい”というシンプルな発想なんだけどさ。で、そういうことを避けることだってできるはずなのに、やらない理由が利権だとかお金だということを聞くと、『いや、それはちょっと納得できないよ』となっちゃう」
後藤「そうだよね。お金だもんね。基本的には」
大木「お金かよ!って。だって、まず土の上に住んだ上でのお金の価値だと思うからさ。順番が逆じゃないかなと思う」
大木伸夫(おおき・のぶお)
1977年埼玉県生まれ。“静”と”動”を行き来する幅広いサウンドで3ピースの可能性を広げ続けるロックバンド、ACIDMANのボーカル&ギター。1997年ACIDMANを結成。以後、ACIDMANの楽曲の全ての曲の作詞を手掛る。2002年10月、デビュー・アルバム『創』を発表。2013年2月、9枚目のオリジナル・アルバム『新世界』をリリース。同作を携え、6月から韓国・台湾公演を含む全18本の全国ツアーを展開。ファイナルは、7月26日日本武道館に登場。この武道館公演の模様を収めたライブDVD/Blu-ray『LIVE TOUR“新世界”in日本武道館』を12月18日(水)にリリース。また6月より、自らの楽曲名を掲げた新たな事務所『FREESTAR』を立ち上げた。