震災後の5月、陸前高田と大船渡の高校でライブを行ったスピッツ。そこに集まった人々の笑顔を見て、“ちょっとの間でも楽しい気分になってくれるんだったら、それだけでも音楽には意味があるのかな”と思ったという草野マサムネさん。スピッツとしては、9月11日に前作から約3年ぶりとなるオリジナル・アルバム『小さな生き物』をリリースした。その時々の状況や社会のことが、作品に無意識に反映されるという草野さんが考える未来について、音楽を鳴らすことについて話を聞いた。
後藤「マサムネさんと初めてお会いしたのは、たぶんラジオですね。僕らの番組にゲストで来てくれて。俺が『ナンプラー日和』という曲を『チャンプルー日和』って言っちゃって、真っ赤になって……“すみません!”って」
草野「(笑)ああ~、そっか。あの日、喜多くんとかとはよくしゃべったんだけど、“ボーカルの人はおとなしいのかな”と思ったの。それはそういう背景もあったんだ?」
後藤「はい、すごいショックでヘコんだんですよ(笑)。そのあとは『ロックロックこんにちは!in 仙台』(スピッツ主催イベント。アジカンは過去2回出演。現在は、『ロックのほそ道』。)に出させてもらったんです。野外ですごく楽しかったですね。あのときのスピッツのライブも良かったです。あと『NANO-MUGEN FES.』にも出ていただいて」
草野「あ、そうだそうだ。あれは2009年かな?」
後藤「2009年ですね。それに草野さん、たまにメールくれますよね」
草野「そうそう、前にメアド交換をした時に、プロフィールまで俺の携帯に入ってて。“後藤さんのお誕生日です”って出てくるのね。“あ、そうなんだ?”と思って、12月にはメールしとこうと」
後藤「(笑)あつかましいヤツみたいで、すみません」
草野「あと、後藤くんはブログがすごく読み応えがあるから。面白いなと思って、たまに見てて」
後藤「そうですね。僕が自民党の改憲案を良くないと書いたときに、マサムネさんから“えらいよ”みたいなメールいただいて」
草野「そうそう、“がんばって”って(笑)」
後藤「僕がその件でネットのニュースで変な見出しが付いたりして、ボロクソに叩かれてヘコんでたときだったから、そのマサムネさんのメールはすごくうれしかったです」
草野「俺とか、発言をちょっとためらっちゃうことがあるんですよ。政治的な発言とか賛否両論ある発言は一瞬ためらったりするわけです。でも後藤くんはわりとためらわずに発信してるので、すげえなあと思ってね」
後藤「それで、今回はマサムネさんに震災以降の話を聞きたいと思うんですけれど、まずあの震災の当日、スピッツは何をされてたんですか?」
草野「当日はスタジオにいて、東京にいる人たちと同じように揺れを感じてました。ちょうど『とげまる』というアルバムのツアー直前の時期だったんですけど……アルバム作った時期とツアーの時期の間に震災があったので、ステージで歌いながら、震災前に作った歌詞にちょっと違和感があったりしましたね。“この歌詞どうなんだろう?”と。普通の日常だからこそ遊べた言葉があるんだけど、そうじゃなくなったときに全然リアルじゃなくなるというか。もちろんそういうムダな言葉遊びもすごく大事だと思うんだけど、とくに2011年後半とかは歌ってる内容に違和感を持つ曲もあったりして……微妙な時期でしたね」
後藤「ツアー日程自体は影響を受けたんですか? 行けない場所もあったでしょうし」
草野「そうですね、郡山は会場が壊れたりしてね。でもそこぐらいかな、行かなかったのは。あと俺が体調崩したりとかも、あの年は3回ぐらいあったんで、それで延期になったのもあったけど、郡山以外はいちおう全部やり終えたかな。2012年まで、年はまたいじゃったけど」
後藤「僕らもツアーの後半は、まるっきりキャンセルになってしまったので。ホール・ツアー用にストリングスとか管楽器のスコアまで書いてたのに、全部なくなっちゃいましたね」
草野「ああ、ほんと? それはガッカリだね」
後藤「まあでも、仕方ないなと。マサムネさんはそのときどうだったんですか? “ツアーをどうしよう”とか悩んだりしませんでしたか?」
草野「それ以前にね、震災のあと、精神的ショックでメシがまったく食えなくなっちゃったんですよ。それで“復帰するまでちょっと時間かかるかも”っていうのもあったんだけど、でも4月に入ってから復帰して、なんとかメシも食えるようになったかな」
後藤「そうだったんですね」
草野「俺はそのへん弱いというか……9.11のときもそうなったんですよね。あと、その頃は“音楽やるって意味あんのかな?”みたいに考えたりもしましたね。情熱を見出せなくなっちゃうというか……考え過ぎなのかもしれないけど。よく映画とかであった、空爆の下でピアノ弾き続けるとか、そういうことできないタイプ(笑)」
後藤「僕もムリだと思います(笑)。でも“音楽って何の意味があるのかな?”みたいなことを、みなさん言いますよね。そこで戸惑ったっていう」
草野「あのときは、みんな考えたんじゃないのかな」
後藤「僕はわりと早く音楽を作ろうと思いました。本当に意地でしたけど、“誰かが書き留めないとダメなんじゃないか”と勝手に使命感に駆られて。でもあれだけの人が被災して、停電している場所もあったし、届くに届けられないじゃないですか。それについてはやっぱり無力感みたいなものをすごく感じましたね。“うわぁ……”って思いました」
草野「ああ……そうだね」
後藤「あとニュースで見たんですけど、スピッツは陸前高田かどこかの高校に行きませんでしたっけ? 被災地の」
草野「そうそう、お忍び的な感じで、たまたま縁があったので、陸前高田と大船渡の高校にちょっと行って、歌を聴いてもらおうと思ったんです。まあ自分の中でも、被災地を見ないと気持ちの決着みたいなのがつかない感じもあったので。それが5月後半ぐらいかな」
後藤「わりと早いですよね。そうやって考えると」
草野「うん。それで聴いてくれてた高校生たちも、それぞれいろんなツラい体験をしてるんだろうけど、けっこうみんな喜んでくれてたんで、行って良かったなと思ったな。ちょっとの間でも楽しい気分になってくれるんだったら、それだけでも音楽には意味があるのかなと思って」
後藤「僕は最初ギターを持って行ったときとか、“石を投げたいぐらいの気持ちの人がいるんじゃないか”って、深読みして悩んだこともあったんですけど」
草野「ああ、考え過ぎちゃってね。いろんな人いると思う、それは」
後藤「“ミュージシャンなんかが来やがって”とか思うかな、と思って行ったら、意外と『よく来てくれました』という反応の人が多くてビックリしたんですよね。あと、初めて思ったんですけど……ふだん街中で声掛けられるの、すごくイヤなんですけど(笑)」
草野「(笑)俺もあまり好きじゃないな」
後藤「でもそういう地域では、自分の偶像性みたいなところを喜んでもらえるのもいいかな、と思ったんです。たとえば“スピッツが来た!”“うわあ、アジカンが!”みたいなことで気分が上がってくれるんだったら、それはまっとうしよう、みたいな」
草野「そうだね。役割だと思ってね、それは。ミュージシャンとしては“あっ!”と言ってもらえるうちが、花なんじゃないかという気もするし(笑)」
草野マサムネ(くさの・まさむね)
1967年福岡生まれ。日本の音楽シーンの最前線を走り続けているスピッツのボーカル&ギター。1987年の夏にスピッツを結成。1991年3月シングル『ヒバリのこころ』でメジャー・デビュー。スピッツの全ての曲の作詞、ほとんどの作曲を手掛ける。また、他アーティストへの楽曲提供も行う。今年の夏は、スピッツ主催のイベント「ロックのほそ道」を、8月13日・岩手県民会館大ホール、8月15日・仙台サンプラザホールで開催した。9月11日には、前作から約3年ぶりとなるオリジナル・アルバム『小さな生き物』をリリース。また、9月14日(土)には、16年ぶりとなる単独野外ライヴを横浜・赤レンガパーク野外特設会場で行う。