後藤「大津君はどうでしたか?」
大津 「震災からの経験を話したこと自体が初めてで。誰にもそうやって話す機会もなく、自分の話を20分とか30分とか聞いてくれる人がそんなにいなかったし、別に話すこともなかったなって。けれど、5月13日に話したことで、深層心理ではずっと話したかったけど話せなかったっていう想いが前面に出てきて。それが本当に止まらなくて。で、そのときに泣いちゃって……」
後藤「泣いちゃいますよね、本当。僕も震災当時のこと思い出したら、泣いちゃいますもん、いまだに。好きですよ、泣いちゃう人」
一同「(笑)」
大津 「そうなんです。泣いちゃって、なんで泣いたんだろうかなって思って、帰ってみたらやっぱりそういう場を提供してくれた、本当に、こういう機会を与えてくださったフューチャータイムズに……」
後藤「いや、僕が用意したんじゃないですよ。みんなが真剣に考えて、話し合って、この企画にしたんですから」
大津 「本当にこういう場がなかったら、仲間がいなかったら絶対こういうこと話せなかったっていうのが本当にあって…。やっぱり根底には感謝があって、それで泣いてしまって…。取材に関しては自分の中でも結構すっきりしたし、(インタビュアー役の)ふたりもすっきりいったって話してくれたんですけど、個人的にそのあとがあって……。次の日から結構ボディーブローな感じがあって、なんか心が病んできてしまって……」
大高「それは話したから?」
大津 「そう」
後藤「どういうふうに落ち込んでしまったの?」
大津 「話したことでどうなるのかなとか、この影響が自分に跳ね返ってくるとか、いろんなところに影響を及ぼすのかなとかっていうことを考えたりして……。あと本当に “感謝” で割り切っていいのかなと、ちょっと疑いはじめたりとか、考えれば考えるほど泥沼化してきて…」
後藤「考えすぎだと思いますよ。でも、聞いてくれる仲間がいてよかったですね」
大津 「そうなんですけど…。ずっとこんな感じで…。自分で記事に書いておきながら有言実行できてないなと思って、これは違うと思って…。とりあえず身体を動かすことをメインにして、そうするとやっぱりある程度すっきりできるところがあって、そのおかげで回復してきましたけど」
後藤「大津君は、自分のことを話しても話さなくても、ドヨンとしたんじゃないかな。大津君が記事で話してくれた優越感の話はとても興味深かったです」
大津 「あれはそうですね。自分は一浪してるんで、志望校に入れなくてっていう想いもあって。やっぱり、素直な気持ちで入学できなかったんです。あそこの大学目指したかったのに、現実は今ここにいるし…。だけど、周りの学生と同じにはなりたくないなっていう……」
後藤「俺はもうちょっと高いところにいるんだというような?」
大津 「陳腐ですけど、 “高いところ” っていうのは本心で…。そういうところから、学内でっていうよりは学外のフィールドに結構指針を置いて…。きっかけはその台湾での活動だったんです。本当に学外にばかり行ってたんですけど、よくよく学内に目を向けてみると、いろんな人がいて。交流してみると本当にいろんなことが、——“あ!コイツこういう一面持ってるんだ” っていうのがすごく分かったりして。陳腐な自尊心だったなって……」
後藤「学生の時は “勉強できる/できない” という物差しが確かに大きいですよね。でも、それってただのひとつの物差しですからね。偏差値の高い大学出身の愚か者もいますから。学業の偏差値と職能は関係ないことが多いんですけど、一体化してるように勘違いされている。僕が言うのもなんですけど、そういうコンプレックスって悪くないっていうか、そういう想いがバネになって課外活動に繋がるんだったらいいなと思います。そういう想いからいろんなものって生まれると思うんです」
後藤「阿部さんはどうでしたか。阿部さんは “何もしてなかった” って書いてありましたけれど」
阿部「そうです。ここのチームに誘われた時も、そもそも大高さんから “アジカン好きだったよね” みたいな感じで声を掛けてもらって。『THE FUTURE TIMES』を読んだこともあったけれども、自分では動いてなくて…。自分よりも、意識の高い人たちとちゃんと話しがしたいというか、そういう機会を求めてたところはあって。でも、そういう機会になって、どんな記事にするかっていう案出しとかも全然できなくて…。 “何してた?” みたいな内容の時は話ができて、彼女たちが聞いて他の4人が話すってなった時に、何もやってない私には何が話せるんだろうと思って…。私は恥ずかしいと思ったんです。それで考えに考えてこのノートを買って、いろいろ書き出して」
後藤「それは何もしていないから恥ずかしかったんですか?」
阿部「はい。何もしてないからです。ですけど、話せて、それはそれで一枚皮がむけたというか何か今までとはちょっと違った感じで、今考えたり動けたりしているかなっていう気はしていて」
後藤「たまに思うのは、頑張っている人たちのことを揶揄するじゃないですか、何もしていない人たちって。 “意識高い系” みたいな、変な言葉でくくってみたり」
阿部「そんな言い方します」
後藤「あとは、 “偽善者” と呼んだりもしますよね。周りにもそういう人います?」
阿部「いますね。確かに」
後藤「みんなも多分、こういう記事作りに参加して言われるんじゃないですか? そういうことをどう思いますか、そういう人たちに対して」
板井 「どっちも別に間違ってなくて…」
後藤「ええ!!!間違ってますよ、何もやってないのに “偽善者” なんて人のことを呼ぶヤツは(笑)」
板井 「でも、その人も、なんだろう、本心から関わっていけない場合は(自分が) “偽善者” になってしまうから中途半端な関わり方はしたくないっていうふうに思っている人かもしれないですし。逆に団体に所属しているっていうだけで安心しちゃう人とか、具体的に、何か主体的なアクションがないのに “俺は別に何かやっているからお前らとは違う” っていうスタンスの人も、悪い例としてありますけど、別にそれもあって悪くはないところでもありますし。そういう何かをしなければならない圧力っていうのがやっぱりあって」
後藤「そういう圧があるのは分かります」
板井 「それが結構辛くて。僕が印象に残っているのは、あるイベントのスタッフをやったときに、(自分のことについて入力する)フォームがあるんですけど、そこに “震災以降何をしましたか” って欄があって、何かをしたことが前提になっているのが僕には不思議で」
後藤「なるほど。でも、そういう同調圧力への反発もあるけれど、誰かを “偽善者” と呼んでしまうのは、他人への攻撃がある種の自己肯定になっているんだと思うんです。何もしなくたっていいだろってことを言うために、何かをしている人に “偽善者” って言う人が多いように感じます。自分を守るためというか。一方で、板井君が言うように、社会全体で “何やったの? 何やってるの?” みたいな雰囲気もあるし、 “どんなボランティアしましたか” みたいに直接聞かれることも多いですよね。でも、僕が今大学生だったらボランティアをしに行かなかったと思う。自分の昔を想像してみると……」
國井「なんでですか?」
後藤「まずね、お金がなかったっていうのがある。実家から家賃しかもらってなくて、学費も自分で働いて払ってたから、毎月、月末の所持金が20円くらい(笑)。だから、たぶん行かなかったんじゃないかなって。とにかく何もしないで、ギターとか弾いてたんじゃないのかなっていう気持ちあるから、僕はみんなのことすごいなと思います」
板井 「それを言うなら僕も実は瓦礫の撤去とか泥かきとか、身体を動かすボランティアっていうのをほとんどしてなくて。参加している団体の活動は、どちらかというとパソコンに向かって、横文字並べたミーティングをしながら、被災地のコンテンツを発信する、みたいな。活動もボランティアっていうイメージはなくて、自分のスキルアップっていうところ、どうしてもそこから分離できていなくて、それに対しても罪悪感みたいなものはあります」
後藤「板井君が “罪悪感持ってるんですよ” っていうのが、すごく生々しくて響きました。そういうことを言う人、なかなかいないと思うんです。何の悪気もなしに善意でやってることでも、 “俺、これキャリアアップに使ってるんじゃないの?” みたいなことを思ってしまう感性があることって、人間らしくていいなと思いました」