後藤「ただ、災害を語り継いでいくために物語化するということ自体にはすごく意味があるとしても、共有のしやすさという意味では、実体を持った形できちんと残る『桜ライン』みたいな活動のほうが年月に耐えうるんじゃないかっていう気もするんです」
畑中「まあ、具体的な形で残るものだからねぇ」
後藤「それに、例えば陸前高田の海沿いの土地を10メートルほど嵩上げする工事も始まってますけど、人間の手で大地と海岸線を作り変えてしまうっていうような、ある意味で妖怪伝承の方法とは真逆にも思えるベクトルに行政が進んでいるという現実もあるし」
畑中「おっしゃるとおり、妖怪伝承のように津波体験を口碑として残していくことっていうのは力が弱いですよね。それはなぜかというと、科学的じゃないから。非科学的だから。でもね、妖怪伝承というふうなものは、これからもたぶん生まれて来るんじゃなかろうかなと思うんです。というのも、さっきも少し話に出たけど、震災以降、東北では実際に〝お化け〟っていうものがすごく出てるみたいなんですね。誰かが亡くなったときに誰それの幽霊を見たとか、夢枕に立つというような話は平時でも聞かれるわけで、必ずしも特別なことではないと思うんだけど、お化けっていうのはある意味で個人的なものなんですよ。災害で近しい人を失った個人の体験や意識から生まれた存在っていうかね。それを個人の体験にとどめずに、災害の凄まじさや哀しさを集団で語り伝えていこうとしたときに、妖怪のような存在が必要になってくると。妖怪っていうのは言わば、共同体の集合意識みたいなものなんですよ。当然、きちんと形になるには時間が必要だよね。でも、妖怪のようなものが出現したときに初めて、当事者の人々もわだかまりなく災害というものを伝えていくことができるんじゃないかと思うんです」
後藤「なるほど」
畑中「それにね、妖怪っていうのは無理矢理に伝承を作ろうとして生まれたんじゃなくて、自然発生的なのか、もしかしたら言い出しっぺがいたかも知れないけど、河童みたいに〝変形していく可能性を持ったもの〟に災害の記憶を託して伝えていこうっていうのが、本来意図されている部分だったと思うんです。それはなぜかっていうと、災害が起きたときの、身体による体験と心が感じた経験のちょうど〝中間〟にあるような感覚というか……思い出したらドキドキする、胸が震えるっていうような複雑な感覚って、移ろいやすいし、忘れられてしまいがちでしょう? それを歴史や科学の蓄積とかデータに置き換えるのってすごく難しい。そうしたときに、複雑な体験を複雑な体験のままなんとか繋ぎ止めて、後世に語り継いでいくために、妖怪の存在が必要だったんじゃないかなって思うんです」
──複雑な体験や感情を複雑なまま後世に伝える。それが妖怪伝承だと。
畑中「僕はね、妖怪伝承っていうのは、強制的にじゃなくて庶民のあいだから自然と立ち上がってきたものである以上、それは庶民が長い時間をかけて作り上げた芸術みたいなものなんじゃないかなっていうふうにも思うんです。柳田の『遠野物語』に出てくる妖怪伝承は今読んでも面白いし、そこには小説家たちには生み出すことのできない不思議な魅力が宿っているんじゃないかなって。だから、共同体の記憶として、災害に対する人々の想いを映したものとして、これからも語り継いで行く意味は十分あると思うんですよね」
後藤「今後、新たな妖怪伝承が生まれてくる可能性があるにしても、ここまで情報化された社会だと、僕たちがこの震災の記憶や想いを伝えていくための妖怪的な存在を持ちづらくはなってると思うんですよね。一方で、妖怪に代わる何かをインターネットや携帯電話なんかを使いながら口碑として生み出せる可能性もあるのかなって。いわゆる「地震雲」の写真みたいなものをTwitterで共有するのも、思いが抽象化して形として見えるという意味では、妖怪に代わる別の存在といえるのかもしれないし……」
畑中「ああ、なるほどね。でも確かに、語り継ぐ難しさっていうのは昔より現代のほうがあるでしょうね」
後藤「妖怪伝承ではないかもしれないですけど、岩手県・釜石の花露辺っていう地域には、公民館とかに災害の伝承が郷土史料としてしっかり残っていて、震災の被害が少なかったという話を聞いたんです。伝承が防災にうまく活かされてる土地もあるんですよね」
畑中「そうですね。例えば震災後すぐの頃、神社は流されてしまったけど、村の鎮守祭だけは復興させようっていう動きが見られた地域があるじゃないですか。村人が一同に会す行事を、まず取り戻そうっていうね。昔は地域の人が集まって一晩中何か話すっていう寄り合いみたいなこともしょっちゅう行なわれていたけど、やっぱり伝承がちゃんと残っていくかどうかっていうのは、そういう語りの場がある地域とない地域の差はあると思う」
──コミュニティがあることによって、伝承は育まれるというか。
畑中「郷土史とかフォークロアってまんべんなく残ってるわけじゃないんだよね。近代以降、少しでも庶民に残そうという意思が働いたところには集中して残ってるけど、そういう意思がなかったら、もう全然拡散しちゃって残らないっていうね。やっぱり50年周期で訪れる災害なんかの場合は世代も交代しちゃうわけで、どうしても忘れ去られてしまいやすい。そういう意味では、一度生まれた妖怪伝承が消え去ってしまったケースだって中にはあるんじゃないかなと思いますね」
後藤「僕の地元にある大井川は昔からずっと氾濫を繰り返してて、すごく洪水が多かった土地らしいんですね。自分が小学校の時は、郷土史料を読むこともそうだし、遠足がてらに洪水対策として建てられた江戸時代の舟形屋敷跡を見学に行ったり、当時建てられた神社をまわってみたり、そういう災害学習に近いようなことはしたんですね。でも、そういうのって今もちゃんとやってるかどうかわかんないです。まあ、過去百何年も洪水なんてないわけですから」
畑中「授業のカリキュラムから抜け落ちちゃってる可能性もあるよね」
後藤「でも、僕は地元のフォークロアとかをもうちょっと掘ると、その土地で起こる可能性のある災害を未然に防ぐヒントも隠されてるんじゃないかと思うんです。中沢新一さんが『アースダイバー』で縄文地図を片手に現代の東京の街を歩くっていう試みをされてますけど、ああいう形でもっと近所の郷土史料なんかを集めてみると、〝ここは埋め立て地だから地盤が弱い〟とか〝過去に洪水が続いたから嵩上げした〟とか、その土地の成り立ちだったり、人々が災害とどう関わってきたのかがわかるんじゃないかっていう気がするんですね。僕の地元でいえば、東海地震の被害が予測されてる地域で、近くには浜岡原発だってある。だから今のうちに郷土史料にあたって、防災対策に活かす価値はあるんじゃないかと思うんです」
畑中「郷土資料っていうものは、その地方の豪家の盛衰とか誰が活躍したかっていうような歴史はもちろんだけど、民俗学が対象にするような庶民の生活とか感情を書き残すっていう要素もありますからね」
後藤「だからこそ思うんですけど、民俗誌みたいにボヤ〜ッとしたものをボヤ〜ッとしたまま残していくことが大事だなっていうのは、畑中さんと話していて確信しました。それによって取りこぼさない事実や記憶が絶対にあるよなって。身体と精神の記憶の中間の体験っていう、一見あやふやな部分を大事にするっていうのも、本来は日本っぽい考え方なのかなというふうにも思いますし」
畑中「やっぱりヨーロッパ的な身体二元論、つまり人間は心と身体のふたつで成り立っていて、そのバランス、対立、あるいは融和でしか考えないっていう視点に立つと、その中間っていうものはあり得ないからね」
後藤「文化的にどんどん西洋化が進んで、自分たちの本来のアイデンティティみたいなのがよくわかんなくなって来てるなかで、昔の人が持ってた物の考え方とか感じ方に思いを馳せることの重要性というか……。そういうのにもちょっとつながってる気がしますね。昔の民俗誌なんかを読むと気づかされる部分がずいぶんあるんだろうなと思います」
畑中「だからやっぱり後藤さんも言うように、非常に日本的な考え方だとは思うけど、身体的なものと精神の中間にあるものを、非科学的だとかオカルトだって片付けるんじゃなくて、ちゃんと見つめて意識化していく作業は必要だと思いますね。これは民俗学に託された課題でもあるんですけど」
後藤「震災以降、これからの民俗誌、民俗学のあり方ってきっとある気がするんです。おそらく、今の政府のやり方にあらがうにしても、人々の声を記せる時代にちゃんと記しておくことの重要性っていうのは明らかだし。逆にそういうものじゃないと残せないんじゃないかっていう気もする。だって、戦争の話ですらあやふやになってきてるような状況じゃないですか」
畑中「危険なことだよね、それって」
後藤「だからこの新聞も、いわゆる歴史が残さない人々の声を拾い集めていくことによって、本当の意味での歴史を残せるんじゃないかっていう、そんな意識を持って作っていけたらと思います」
畑中章宏(はたなか・あきひろ)
1962年生まれ。著述家・編集者。多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員。日本大学芸術学部写真学科講師。著書に『津波と観音』『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか――新美南吉の小さな世界』『日本の神様』など。柳田国男の妖怪伝承に関するフィールドワークや、『遠野物語』『北国の春』をはじめとした民俗学的な史料に興味をもった人向けに『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』も。
災害と妖怪
〜柳田国男と歩く日本の天変地異
なぜ日本では地震や津波、飢饉や干ばつなどの災害の記憶を、河童や天狗、海坊主、ダイダラ坊といったおどろおどろしい妖怪のイメージと結びつけて語り継いできたのか?民俗学者・柳田国男の『遠野物語』『妖怪談義』といった文献をひも解きながら、遠野(岩手)、志木(埼玉)、辻川(兵庫)、代田(東京)などを歩き、各地に残る“災害伝承”、そして災害に向き合う日本人の心のありようを明らかにする。