THE FUTURE TIMES第3号の特集は、『農業のゆくえ』です。農業というレンズで現在の社会をのぞき見ようというのが、今回の特集のテーマ。
——日本人の主食である、米。国内に300以上あるとされる品種の中から、昨年、
“日本一”に選ばれたのが『つや姫』だ。本当の美味しさとは、いかにして生まれるか。
そこには、ある“落ちこぼれ農家”の半世紀にわたる物語があった——
「元々は落ちこぼれです」
〝日本一おいしい米〞を作った八鍬修一さん(62歳)は、そう言ってはにかんだ。
昨年11月に開催された、『第5回あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト』。八鍬さんの『つや姫』は、約400点、43都道府県から応募のあったお米の中から、一般部門で最優秀賞に輝いた。
山形県最上郡鮭川村。県北に位置する日本有数の豪雪地帯。盆地のため一日の寒暖の差が大きく、年間を通じ日照時間は短い。緑の絨毯のような田を背に、八鍬さんは、「小さい頃は、牛馬が耕していました」と、米作りに捧げた半世紀を振り返った。
1968年、春。農業高校を卒業し家業を継いだ。
「本当は理論物理の学者になりたかったんですけどね。世襲で家業を継いだ最後の世代です。でも、継いだからには責任がありますから」
時代は減反政策以前。農家同士で、とにかく収量を競った。一反(10アール)の収量が750kgを超えるような農家は、〝神様〞と呼ばれたという。八鍬さんをはじめ、多くの農家は、技術習得のため時間を作っては、神様の元に出向いて教えを請い勉強した。だが、他の農家が成果を挙げるなか、八鍬さんは、なかなか成果を出せずにいた。
「直接は言いません。でも父がボソッと、『隣りの人は10俵取れた。うちは8俵かあ』とお袋に言うのを聞いてしまったりして。悔しかったし、情けなかったですね」
技術を学ぶため、学術書や専門書を貪るように読んだ。それでも、すぐには結果に結びつかない。
「私、森羅万象摩訶不思議な人間なんです。不思議だなと思うと、失敗するかもしれないとわかっていても、納得いくまでやってみたくなるんです。よく、素直じゃないと言われます」
ある年は、ウンカの被害を受けたこともある。
「農業共済制度(※1)に加入していると、被害に遭うと保証してもらえます。損害評価をする人が計量に来るんです。水害で田んぼが埋没しても、掘り起こせば30kgくらいは取れる。でも、私の田んぼの評価は〝皆無〞でした。全滅ってことです。滅多にあることじゃないんです。あの時のことは、今でも忘れられません」
成果が出せなかった日々を、八鍬さんは「設計図も引かず家を建てるようなものだった」と言う。
「収量の多かった人の話をいくら聞いても、学術書をいくら読んでも、本質を理解していなければ上っ面なんです。もちろん、条件が偶然揃って上手くいくかもしれません。でも、それでは、その年限りです。私は、ササニシキ、ひとめぼれ、あきたこまちなどを作ってきました。どの品種でも、肥料をいつ、どれくらいやればいいって話じゃない。気温を基本に、タンパク質の量が味を左右するので、植物の生理や形態を学ぶ必要もある。地力を知る必要もあります。二酸化炭素濃度など化学の知識もいる。要は、目の前の苗が、稲が、田が、今どんな状態にあるか見極め、適切な対応をすることが大切なんです」
徐々に成果を上げられるようになってからも、八鍬さんは研究を続けた。80年代半ばには、「これからは品質が求められる時代になる」と、有機栽培に挑んだ。しかし、その技術は確立されておらず、他県で成功した方法を導入しても、気候、土地柄が違うため通用しなかった。除草機もない時代、手作業で行う草取りだけで数日を費やした。
「棚田なこともあり、1日中草取りをすると腰が痛くなる。収量だけじゃなく、昔から草一本なく綺麗に田んぼを作るのが、農家の自慢のひとつで。隣近所と競争して自分の田んぼを綺麗にしたものです」
病気とも戦った。10年弱もの歳月を、有機栽培に懸けた。しかし――。
「草に負けました」
だが、その経験は今に生きている。
「現在、つや姫は特別栽培(※2)を行っています。病気や雑草が少しぐらい発生しても農薬は使いたくないわけですから、いつ、どのくらいまでならば大丈夫。そういったことに関しての見極めは、有機栽培の時の失敗からわかること、学んだことが多いです。無農薬とまではいきませんが、慣行栽培よりもはるかに安全。やるべきことはやって、安全にも安心にも、細心の注意を払っています」
(※1)農業共済制度
農家が掛金を出し合って共同準備財産をつくり、災害 が発生したときに共済金の支払いを受けて農業経営を守る、農家の相互扶助を基本とした「共済保険」の制度。
(※2)特別栽培
農産物を生産するときに使用される農薬の使用回数がその地域の同時期に慣行的に行われている使用回数の5割以下であること。化学肥料の窒素成分量が、栽培地が属する地域の5割以下である栽培方法。