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1年後の現在地(岩手)

この桜並木は津波のことを忘れない。

 震災後の街のシンボルとして、人々の脳裏に刻まれた〝奇跡の一本松〟。その存在は、どれほど人々の心の支えになっただろう。震災前の風景を切り取った写真集を見ても、それが周囲の松よりもひとまわり大きかったのがわかる。しかし、その根は長く海水にさらされたため、間もなく枯れてしまうという。
 その命のバトンを受け渡すように、新しく木を植える活動が始まっている。きっかけは、戸羽太(とばふとし)市長の著書。陸前高田に桜を植えたい――この思いを汲んだ陸前高田市青年団体協議会と『SAVE TAKATA』、現地で活動するNPO法人『難民支援協会』によって、実行委員会が組織された。桜の木をどこに植えるか検討した際に「震災の記憶を後世に受け継ぐ」案が採用され、津波の到達地点に沿って植樹することが決まった。これが『桜ライン311』だ。事務局長を務める浅井麻結さんは言う。
「雪が積もる前の昨年11月に、第一回の植樹を行いました。第二回の植樹は2月11日から3月11日の計五回、約230本を植えるのが最初のゴールでした。陸前高田の桜は4月下旬から5月に開花を迎えます。今年の秋までに支援を募って、第三回の植樹をする予定です」

 浅井さんは今回の取材で会った方々のうち唯一、地元出身者ではなかった。現地に入るきっかけも偶然のタイミングが重なったようだ。
「東京での会社員勤めを昨年3月に終えた後、海外で数年間のボランティア活動に従事する予定でした。そこにあの地震が起こったため、予定を変更して何人かのグループで陸前高田に入ったんです」
 長期に渡って被災地で活動することで見えたものはあるだろうか。読者へ伝えたいメッセージを最後に伺った。
「被災した方々やボランティアなどで現地で活動している人達が、どこかテレビ画面の向こう側、紙の向こうの世界のことに思えるかもしれません。でも、他愛のない話で笑ったり、一緒に楽しくお酒を飲んだりもしています。震災という出来事はあったけれど、皆さんと同じような人が、同じような暮らしをしようとしている、私はそのお手伝いをしているだけです。色々な思いを抱えながらも、特別じゃない活動をしていると感じてほしいですね」
 被災していない場所と被災をした場所、どちらも同じ2012年の現在地にある。離れた土地にいる人々の心の動きを、フィルターを通さずに、まっすぐ受け止めてみよう。距離を飛び越えて、彼ら、彼女らを身近に感じるはずだから。

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(2012.4.26)
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浅井 麻結

浅井 麻結(あさい•まゆ)

『桜ライン311』実行委員会事務局長。25歳。三重県出身。東京・いたばし災害支援ネットワークより陸前高田市に派遣され、米崎小学校内にある仮設住宅の集会所に拠点を置いて活動をしている。午前中は陸前高田市災害ボランティアセンターのスタッフとして活動をする多忙な日々だ。
桜ライン311