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ゼロセンター Part.2

作りたいのは、思考のための余白

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坂口 「住まいっていうのは家じゃないんですよ。僕が面白いと思ったのは、住まいとは何かって規定されていませんからね。モバイルハウスを駐車場に置いたとき、“住まないですよね?”って駐車場の貸し主に聞かれた。でも、そこで仮眠はけっこう取るわけですよ、朝まで(笑)。でも、住まうってわけじゃない。しかし家であれば固定資産税とかかかってくる…。結局、それでしかないんですよ。損得をうまく配分したり、もしくは、損得でもめ事が起きないように誰かがうまくいくように設定していくっていうのが、法律ってことですよね。僕が興味あるのは、その法律では定まっていない“住まい”っていうのが何なのか。それを規定したい。もちろんそれは、カチカチになった決まりじゃないですよ。でも、住まうっていうのは一体どういうことかを考えたい。土地とは何か、家とは何かを考えるように、シフトチェンジしていかないと。まあでも、家というものからスタートしつつ、つきつめれば“生きるとは何か”なんですよ。僕は、それを考えられるような余白を作りたいんですよね。でも今、考えられないんですよね。むしろ僕、怒られそうですもん(笑)。もう、“ここで労働しなくなったら、働かなくなったら、自分達は何すりゃいいんだよ?”って。…これがまさに、社会を変えようと思う瞬間なんですよ」

後藤 「今、みんな勝手に自分で境目をひいて、自分は問題の圏外にいると思っている人が多いのは確かですよね。例えば、放射能の問題はみんな当事者なんだけど、当事者意識のない人もいる。日本に限らず、転換期でしょうね。僕は、全世界的に資本主義の火葬場を見ているんだって思う。でも日本を変えようと思ったら、難しい。震災を経ても、日本てめちゃくちゃなんだなあとしか思えないですよね。なんともなってないし、何も始まっていない」

坂口 「ヴィジョンがないでしょう? あったら、僕が動いて何かをやる必要ないですもん。でも、“無いのはおかしい、じゃあ自分でやろう”と思うと、これがおそろしく大変。僕が驚いたのは、本当に表現しようとして、一緒にやっていた作家たちと改めて話してみても、やっぱりこいつら全然変えようとしてないって思った。つまり、変えようとすると、それまでの世界が ——“この本出して、次、この本だそうと思っているんですよ”っていう流れの中にあった世界が、分断されるでしょ? でも、そういう空間の中でしか芸術って生まれないの。芸術が生まれる瞬間を逃していると思う。でも、面白いことをしている人は出てきていると思う。『素人の乱』とかね」

ポップに、みんなが持っている“前提”の奥を探る

坂口 「僕が興味あるのは目に見えないもの。音や音楽。あとは空間自体。それがなんなのか把握できないし、そういうものでいつもひっかかっちゃうから、今までの建築の世界では、俺は仕事にならなかったわけですよ。なんで三畳間こんなに広いんだっけっていう。四畳半だった僕の家より狭い隅田川の鈴木さんの家って、入ってみるとなぜか広いんですよ。鈴木さんの家に勝てない。“なぜ、空間って伸びたり縮んだりするのかな”という感覚。建築の設計図の上では、点と点を結ぶとはっきりとした面積が出ちゃうんですけど、現実にはそうじゃない。しかもそれが切り売りされているわけでしょ? 不思議だなって。最初の話にも出したけれど“所有”っていうことが何かを考えている人があまりいないんです。図書館に行っても類書はゼロ。マルクスぐらいです。そこまでいかないと、“所有”について出てこない」

後藤 「はい」

坂口 「あとヘンリー・ジョージっていう人が面白い。『進歩と貧困』っていう本を書いているんですけど、進歩すると貧富の差が広がるっていうことを唱えている人。あとは『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』という本を書いているシルビオ・ゲゼル。この人は、土地の所有という問題について考えたのと、あと一つは地域通貨。地域通貨を実践した元祖のような人です。でも、おそらくそれ以降に誰もこの問題をちゃんと考えてないから、遡って彼らの著作を読むしかない訳です。あとは例えば、台湾の孫文の思想の根元には“土地はみんなのものだ”というのがありますね。そういう考え方って中国の一部にもあるし、台湾にもある。あと、沖縄の久高島だけが住民全員が土地を所有していないんですよね。そういうものを探っていったら面白いんじゃないかなと」

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後藤 「なるほど」

坂口 「今回の避難のことのような手前のこともやっていきますけど、もっともっと根源的なものを探って行った方が面白いはずで。もう中途半端に方向性を変えたりしても仕方なくて、震災が起こる前からみんなが悩んでいたことこそを解決しないといけないんだと思う。自分がおかしいと思っていたことを、今こそちゃんと正してみる。そうすると有効に機能してくるんじゃないかと思います。でも僕はあくまでも、芸術としてこれをやりたい。そして表現としてはアンダーグラウンドになっちゃだめで、ポップでいるっていうことが凄く重要なこと」

後藤 「はい」

坂口 「僕がやっていることは結果的にはアンダーグラウンドかもしれないけれど、でも例えば新聞掲載は“ぜひカラーページで書かせてください!”って言うし、テレビの仕事も断らない。どんなに詰まらなそうな構成持ってこられても、“ここだけは変えていいですか?”という交渉をして出演はする。今、ポップでやるしか道はないです。やりたいこと自体は万人に理解できるものでなくてもいいから、それをポップに変換できるという手腕が必要だと思ってる。なぜなら、土地ってポップじゃないですか。全員がそこに乗っているわけですから。俺は“君や俺全員、誰しもが乗っているプレート”というのが“ポップ”だと思っている。例えば、原発っていう言葉にみんなが一斉に反応するのは、それが“ポップ”であるがゆえ。原発って結局のところ、局地的な話じゃなくて、誰もが乗っている大きなプレートなんです。だから、何事かやろうしたら、ポップになるしかないんですよ。たとえば、音楽で直接的なメッセージなんかしても面白くないでしょ?」

後藤 「そうですね。ポップって怖いことでもある。僕は、バブリーな顔をしているものの方が狂気を感じてしまうし。だから意外と、局地的に愛されるものの方が容易いんじゃないかって」

坂口 「そう、オブラートに包んでない直接的な表現ていうのは、容易いと思う。僕の考える芸術的表現って“直接的に言っちゃだめよ”ってことだから。人の求めていることに対して直接的に答えるというやり方は、芸術のやり方じゃない。ポップはそれだと思われているけど、僕はエンターテインメントとポップは少し違うって思っていて。みんなにあめ玉あげて、うわーっと盛り上がるのがエンターテインメント。ポップであるっていうのはちょっと違う。なんというか、もう、近所のおじさんに挨拶するしかないんですよ。ゼロセンターの近所の運動会に参加して一等賞とらなきゃいけないっていう。そうすると、ちょっとずつ受け入れられて、面白いことができる。だから近所の小学生達ともいろいろ作ろうとしているんですよ。でもそれとは別に、具体的に問題を解決しようと思ったら、さらに複数の人が協力してやっていくってことが必要だと思うんです。後藤さんが音楽やってたら、僕は建築だし、お互いにアイデア出し合うとか。とにかく今、僕の中では、なんでも試したいと気持ちが大きいです」

後藤 「僕は田舎の出身なんですけど、昔から国家が手がける建築っていうか、ずっと“本当に必要なのかなこれ?”っていうものを造り続けていることを不思議に思っていたんです。東京でもそうだけれど。結局、意味がなくて、お金を動かすためだけだったら、もう同じ場所で“建てては壊し建てては壊し”って、ずっとやっときゃいいんじゃないかって思ってしまうんですけど。だって、公共事業の論理でいえばそうじゃないですか。富の再分配ということならね」

坂口 「そこに“労働”ってものが介在しないと、この世の中では意味がないから。それは、昔の大工さんがやっていた“生きるための建築”ではなくて“稼ぐための建築”なんですよ。かといって、全部それを生きるための構造に置き換えればいいのかっていうと、それはわからないんだけど…。僕は完全に理想論者だから、無駄なことって世の中にはあるし、そういうものがあるのが必ずしも悪いことじゃないっていうことは分かるといえば分かるんですけど。僕は、そこでバランスをとろうと。“稼ぐ”ってことだけじゃない世界を作るということが重要だと。だから例えば85階建てのタワーマンション作ったっていいんですよ。でも、その横の何もない土地に、ちょろちょろってキャンピングカーとかが見えればいい。それだけで、見た人がふたつの可能性ってものをちゃんとイメージできるようになるから、そういう可能性を提示することが大切だと思ってる。だって、逃げない人がなぜ逃げないかって言ったら、逃げた人を見ていないからなんです。だったらその可能性を見た人が今度は伝えられるようにしないと」

定まっていない環境だからこそ、動く

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後藤 「今回の福島からの避難者受け入れは、地方の過疎の自治体からすれば、大きなチャンスと捉えられるかもしれません。もっと積極的に“おいでよ”っていう町があってもいいですよね」

坂口 「定まっていない状況の中で協力しあうっていう訓練ができていないんですよ。音楽でもそうだとは思うんですけど、ばっちりセッティングされて、そこで音出すっていう訓練はできているけれど、何もない場所で、その人が誰かもわからない状況で音を出すっていうことが、やっぱりなくなってきてるから」

後藤 「僕は、被災地に呼んでいただいたときもそうですけど、避難所になっていた体育館で弾き語りをしたときが一番緊張しましたね。マイク一本で、聴いているのはおじいちゃんとおばあちゃん。紅白に出る歌手しか知らないでしょうし。僕ら、ほとんどテレビには出てないので。それで、やっぱり僕らみたいなミュージシャンって“なめてんだな”って思いました。さっき坂口さんが言ったように、いつも用意されたところでやっているから。“これは、持ち曲の中で一番いいと思う曲を目一杯の感情でやるしかない”って、その時に思いました。ここで必要なのはミュージシャンとして良い悪いかだけだなあって。でもその体験からは、どこへ行ってもあんまり緊張しなくなって」

坂口 「それ、すごくいい。自分も最近ここにいて“僕、何やっているんだっけ?”って思うもんね(笑)。“自分、何の人なんだっけ? 『0円ハウス』とかやってたよね? 何がどうなってこうなったんだっけ?”って。でも、在野精神でやるしかないんですよ」

後藤 「さらに、ユニークな若い奴が増えてくれたらいいなあと思いますけどね。もう、僕らぐらいの年齢がやってもだめだとも思っていて。負けたくない気持ちもありますけど」

坂口 「昨日もね、25歳くらいの若い奴がきて盛り上がって話していて、それを聞いていたら、こちらの気持ちも盛り上がってきた。だから、これ、既存の作家とか芸術家じゃだめだと思っていて。“何がなんだかわからないけどやります!”っていっているような人間とやってみたら面白いのかなって。どうですか、まわりのミュージシャンにいますか?」

後藤 「同世代ではあまりいないですね。上の世代のパンクミュージシャンとかは、やっぱり積極的ですけど。もう若い子育てるしかないんじゃないですかね」

坂口 「僕はむしろ、若い子に“発見していただきたい”という感じです。僕が教えるとかは無理だから。絶対これはおかしい、だからこうやったらいい!って、僕が声高に叫んでも、みんなピンときてなくて自分だけ叫んでるんじゃないかって感じがして。なんでしょうね、このやりにくさは…。日本に特有なのかな」

後藤 「積極的に知ろうとか考えようとかしていない雰囲気はありますね。でも自分達の中でこれまでやってきて、もっとも身になったと感じるのは、外国のミュージシャンを呼んで開催しているロックフェス。例えば、僕らみたいなバンドを聴く人って、当時は日本のロックしか聴かなかったんですよ。だから、洋楽と邦楽どちらも一緒にやるステージを作って、どちらも聴く層——音楽好きを増やそうと思って始めたんです。そして、10年やり続けたら、確かに増えたんですよ。当時中学生だったリスナーがそのまま持ち上がって。そういうやり方で少しずつ新しい考え方を受け入れる人を増やしていくしかないのかなって」

坂口 「確かに。僕は若いとき建築をやっていて、建物を建てる気が全然なくてすごく浮いてたけど、今は建物を建てたいっていうのではないけれど建築やっている若い人達が確かに増えている。僕、初めてやったのが2001年。だから僕も丁度10年やっているんだ」

後藤 「坂口さんのやっていることや考え方は、変わらないけど、世の中自体が変わって、坂口さんの考えていることが、むしろスタンダードなものになっていくように感じます。座標軸が動いて、坂口さんという点が真ん中に近づいているような」

坂口 「みんながそうするとつまんなくなっちゃうから、こんなことをしてしまうのかな(笑)。でも、もうちょっと踏み込みたいですよね。本気で土地が0円の地域を作りたい。どうやったらできるんだろうな…。いや、土地を地主からもらってやればいいんですけどね。町中でやりたいんですよね。町のど真ん中でやらないとダメな気がするんです。まあ、天の邪鬼なんですよ(笑)。僕の場合、みんながあっち向いてるからこっち向かせたいってとこがあるんですよ」

後藤 「0円ハウスが実現して、それと真逆のことを言い始めたら面白いですけどね」

坂口 「そうですね、みんながこっちを向けば、全部解決で人生バラ色とかっていうことを僕は思っていないんですよ。大切なのは、みんなが右向きすぎているときに、ちょっと左向きそうな人がいたら、もっと左向かせるように活動すること。何か特定のものに“つかまらない”ってことはすごく大事。どこにも所属はしない、けれど“あなたたちのことが嫌いではありません”という形にしたいんです。“夕食は一緒に食べましょうよ”と。そういうのは持っていたいんですよ、感覚としても。福島の人たちに対しても、動かないというならその意思は尊重したい。でも、困っている人がいたら助けたい。そして、これからはもっと綿密に進めたい。でも、もうちょっと増えてもいいですよね、本気で変えませんかっていう人が」

後藤 「そうそう。それは、そう思います」

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坂口 「変に政治の中でやりくりするだけでは、やっぱり変わらない。時間がかかりすぎる。もちろん政治を変えるのは重要でちゃんとやっていかなきゃならない。でも一方で“こうすればいいんじゃない?”というのをやってみることは、ひとつの手ではあるんじゃないかな。ちょっとこっち(熊本)でも仕事ができるような仕組みをどうやって作っていくとかね。僕はやっぱりそれをこっちの企業が作るよりは、“仕事を作る”という作業をもうちょっとみんなプロジェクトでやって、福島の人たちだけじゃなく、あらゆる人たちに向けて存在させればあり得るかなあと。別に根なし草じゃなくて、移動した先にも人間関係があるから。そういうことをしていってみたいですね」

(2012.4.11)

<今後、坂口さんの動きに注目したい方はコチラ>

*関連映画が2本公開になります!
■堤幸彦監督が坂口さんの著書をもとに作り上げた『MY HOUSE
■本田孝義監督が坂口さんを追ったドキュメンタリー『モバイルハウスのつくりかた
■2012年5月4&5日、坂口さんが教授となる『0円ハウス学』自由大学で開講決定!
■発売中の『ecocolo』最新号では『モバイルガーデンハウス』が表紙に。
■“新政府”では“領土”も募集しています!『ZERO PUBLIC
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兼松佳宏

坂口恭平(さかぐち・きょうへい)

1978年熊本生まれ。建築家、作家、アーティスト。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を刊行。06年にカナダのバンクーバー美術館にて初個展。07年にはケニアのナイロビで世界会議フォーラムに参加。著書に『TOKYO 0円HOUSE 0円生活』『隅田川のエジソン』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』ほか。東日本大震災後に熊本市へ移住。自ら「新政府初代内閣総理大臣」を名乗り、同市内坪井町に「ゼロセンター」を5月に設立した。