渋谷「上野さんの家の前、今、菜の花が満開なんですね。そこに迷路を作って、子供たちがいっぱい来て遊んでいるんです。それは、子供たちを元気づけたいということもあるけど、上野さんからのメッセージなんですよね。そのことについて、お話ししていただきたいんですが」
上野「後藤さんに来てもらった去年の花火の日も、僕はずっと笑顔でいようと思っていたんです。今回、亡くなった人たちは、天国から僕たち、残った人たちを見て、みんな不安っていうか心配してると思うんです。『こいつら、大丈夫だろうか?』って、みんな不安でずっと見ているだろうなと。そういった人たちを安心させてあげたいなと思って。花火の時も笑顔で、亡くなった方たちに『僕らはもう大丈夫だからゆっくり休んでくれ』って思いで。今回の菜の花畑で迷路を作ったのも、今年で2回目なんですけど同じ思いで。眉間にシワを寄せて花を見る人っていないですよね?」
後藤「そうですね」
上野「みんな、ニコニコして見るので、その笑顔を届けたいなって。もちろん、来てくれる子供にも楽しんでほしいし、そこで笑ってほしいなって。今、菜の花が咲いている場所は、以前なら訪れる人は涙しかしなかった場所です。僕らだって、近所の人と話せばすぐ泣いてしまったり、辛くなってしまう場所だった。そんな場所を笑顔で一杯にしたいなって。GW中に、菜の花の迷路に2千人以上の人が来てくれたんです。子供たち、おじいちゃん、おばあちゃんたちもいて。僕、見てたんですけど、8ヵ月の赤ちゃんをだっこしてたお母さんがいて。そのお母さんのおばあちゃんにあたる94歳の方が、みんなで一緒に迷路に入っていくんですよ。そういうのを見て、よかったなって。上に笑顔を届けられたかなぁって」
安田「今回の震災が起こるまで、自分たちの故郷について考える機会ってほとんどなかったなって思うんですね。先ほど上野さんは“地獄”という言い方をされていたと思うんですけど、たくさんの思い出が詰まっている反面、たくさんの悲しい思いもそこにあって。そこに、どうして上野さんたちは、住み続ける覚悟をされたのかなと。我々の想像力の及ばないところかなとも思うんですけど、そのあたりを少し伺ってみたいんですが」
上野「津波で流されたのに、萱浜にまた家を建てて戻っているということですよね。僕の中ではまったく不思議なことではないんです。当然、自分がいた場所、両親と一緒に、子供と一緒に生活していた場所が宝であるわけで。そこに戻るというのは、自分の中では変わったことではまったくなくて。当たり前だと思っていて。ここは危険だよとか、ここは家を建てちゃダメだよと、線引きがされる中で、なんとか戻ったんですけど。僕は去年の3月に自宅があった場所の隣りに家を建てて、『ひとつ屋根の下にやっとみんな入れたな』って気がしたんですよ。4人のお葬式をした時に、親父と長男はまだ見つかってないですけど、全員分の遺影や骨壺を用意して。仮設住宅は狭くて4人分持っていくことはできなくて、ずっとお寺さんに預かっててもらったんです。そこでやっぱり、ひとつ屋根の下に戻りたいっていう想いがあって。去年、やっと戻れた。そんなふうに自分の中では常に思っています。震災後の9月に生まれた倖吏生(さりい)も含めて、7人で住んでるんだって思ってます」
安田「倖吏生ちゃんは、もうすぐ3歳ですね」
渋谷「上野さんの自宅前に、ターザンロープっていうものをボランティアの人たちが作ってくれて。昨日、倖吏生ちゃんがそのロープデビューをしたんですよね?」
上野「そうですね。ひとりで遊んでました」
渋谷「そういうひとつひとつのことが大事なんだなって、僕は上野さんのもとに通ってて思うんですよね」
安田「萱浜が、倖吏生ちゃんにとっても故郷になっていくわけですね。まだまだ、5年後、10年後というものを思い描くのは難しいと思うんですけど、どういう未来を倖吏生ちゃんに残していきたいなと思われますか?」
上野「うーん。あんまり、先のことを考えることがほとんどないので。どうだろうな。倖吏生は、五体満足で生まれてきてくれて、このまま健康で寿命を全うしてくれればいいなと思っているだけで、他に何かを望むということはないです。倖吏生にはとにかくおばあちゃんになるまで生きてもらって、倖吏生にとっての孫だったりを見て、寿命を全うしてくれたらなって思うくらいで。先に何かを望むっていうのはあんまりないですね。すみません、話しててちょっと泣きそうになっちゃった(笑)」