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『THE FUTURE TIMES』Gallery & Live 2014レポート

左から、後藤正文、安田菜津紀、佐藤慧、渋谷敦志、上野敬幸

Talk Live

■『THE FUTURE TIMES』Gallery & Live 2014レポート〔前編〕はこちら

2014年4月29日より5月11日まで、タワーレコード渋谷店で“『THE FUTURE TIMES』Gallery & Live 2014”と銘打たれたイベントを開催。期間中、8階フロアでは東日本大震災以降の被災地の姿を見つめ続けてきたフォトジャーナリストの渋谷敦志、佐藤慧、安田菜津紀の写真展を実施。5月11日には13時30分と18時から、編集長の後藤正文と渋谷、佐藤、安田の4人に、特別ゲストを迎え、Live&Talkイベントも行われた。“3年後の現在地”について語り合う、トークショーの模様をリポート――

取材・文:水野光博

5月11日18:00~ 午後の部TALK

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後藤「さっそくパネリストをお呼びしたいと思うんですが、フォトジャーナリストの渋谷さん、佐藤さん、安田さん。そして南相馬から、上野敬幸さんをゲストにお迎えしています。よろしくお願いします」

上野「よろしくお願いします」

後藤「カメラマンの皆さんとは、震災から1年経った時に、“1年後の現在地”というテーマで記事を一緒に作りまして、原宿で写真展もやらせていただきました。僕は展示された写真を見て、鼻水がダラダラ出るほど泣いてしまったんですけど。その後、実際に上野さんの自宅に伺って。一生忘れないと思います。凄く風の強い日でした。僕はその日、一言くらいしか口をきけなかったんですけど……。その後、昨年の夏の花火大会に呼んでいただきまして」

渋谷「上野さんの自宅があるのは萱浜という地区なんですけど、津波で77人の犠牲者が出た地域で。その中には、上野さんのご家族も含まれています。その萱浜で、上野さんは花火大会を毎年やっているんです」

上野「昨年が3回目でした。今年もやろうと思っています」

後藤「花火も本当に綺麗で。しかも、ものすごく豪華でした。2千発でしたよね?花火が終わった後も人の輪が残って。皆さんでお肉を焼きながら、ワイワイされていて。この新聞を介して出会った人と再会もできて、すごくいい場所だなと思いました。あの場で、今日のトークライブの昼の部に出ていただいた木村さんと渋谷さんが出会われたということでしたね」

渋谷「上野さんが導いてくださったというか。今日も、木村さんにはゲストで来ていただき、上野さんまで来ていただけた。奇跡だなって思ってます」

後藤「僕も、南相馬にわりと早いタイミングで歌いに行ったんです。駐車場で歌って。その日のことも忘れないと思います。最前列でお婆さんがずっと耳をふさいでいて、うつむいてらっしゃって。で、リクエストを最後に受け付けたら、そのお婆さんが真っ先にリクエストされたんですね。ああ、ちゃんと聴いてくださってたんだと。よかったなって(笑)」

「ハハハハハ」

後藤「そんな縁で、南相馬は何度も訪れている町です。その後も、復興会議を取材させていただきました。渋谷さんは奇跡とおっしゃいましたけど、色々な活動を通して、僕は『やっぱり人なんだな』と思うようになっていきました。人の顔が見えたほうがいいなって感じるようになりましたね。世の中、頭だけで考えることが増えているのかもしれないですけど、人間を置き去りにしてはいけないなって。そういうことを僕は南相馬に通いながら勉強させていただきました。感謝しています。  今回は“3年後の現在地”というトークテーマなんですけど、あれから3年経って、東京のスピード感っていうのは、東京を中心に活動している自分たちでもちょっと違和感があるっていうか。 “復興”っていう言葉すらも置き去りするかのような速度を感じるんですね。誰かが儲けるための話だったり、そういうところに人々の興味も移っている気がして。そんなことないのかもしれないけれど、全体的には、その流れを否定出来るような流れを市民たちが作れていない気がするんです」

安田「今日は、福島の南相馬から東京の渋谷に来られたわけですが、どんな感想を上野さんは持たれましたか?」

上野「ええ、人がいっぱいいるなというのが率直なところですね(笑)」

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佐藤「南相馬で後藤さんがライブをやった時に、大勢の人がいらっしゃったじゃないですか。でもライブの前日と翌日も知ったら、やっぱりギャップに驚くと思うんですね。上野さんの家のまわりって本当に何もないですし、人もいないですし」

渋谷「萱浜は大きい地区なんですけど、津波の際に、1階は骨組みだけになってしまったんですけど、上野さんの家だけが残ったんですよね。僕は、震災から3週間経った時に、陸前高田で取材をしていたんです。その次に南相馬に行って。僕が最初に思ったのは、南相馬に来るまで、放射能のことで頭がいっぱいだったんです。福島といえば、原発、放射能というイメージで。でも、萱浜という浜に出た時に、『アッ!』て思ったんですよね。ここも陸前高田と変わらない、津波の被害があったんだという事実にあらためて気づき、愕然として。そう感じていたら、遠くを歩いている人がいて、それが上野さんだったんです。あの時に会った上野さんの目が怖くて忘れられなくて。それが忘れられなくて、今日まで上野さんや東北の写真を撮り続けている気がするんです。上野さん、ずいぶん変わりましたね、表情が。こうやって話せるのが不思議なくらいです」

上野「渋谷さんに最初に会った時は、警察や自衛隊ですら捜索活動にほとんど誰も来ていなくて。地元の人だけで捜索をやっていたので、外部の人に関しては、当時は敵に見えているくらいの感覚。それでも、今はこうやって笑えることが出来て。これも、僕ひとりで笑えるようになったわけではないと思うんですよ。地元に残った若い奴らだったり、その後、福興浜団という団体を作って、遺体の捜索や被災家屋の清掃などの活動していく中で、大勢の人たちが僕のところに来てくれて、一緒に作業してくれて。少しずつ表情が緩んだというか、笑顔が増えていったと思うんです。今、僕がこうやって笑っているのは、みんなのおかげだと思います」

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