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『THE FUTURE TIMES』Gallery & Live 2014レポート

Talk Live
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後藤「僕も今回の取材で初めて、普通の人が連れていってもらえるギリギリの地点、双葉郡の富岡町という町まで案内してもらったんです。そこには、『ここからは入れません』という不条理が目前にあって……。突然、住宅街にバリケードが現れて、バリケードの向こうには新築の家がありました。きっと誰かの新しい生活が始まったばかりだったのに、あの日から、避難せよということで立ち入ることが出来なくなってしまった」

佐藤「物理的には越えられない高さのバリケードではないんですよね。でも、そこにバリケードがあることで、僕たちはの目には見えないけど確実に感じてしまう何か、行く度に隔絶感を感じますね」

後藤「『どうしてこのラインなんだろう?』ということも感じましたね。区画というか、道路などで便宜的に区切ってあるだけなので。さらに、避難の原因となっている物質は見えないじゃないですか、まったく。地元の方がガイガーカウンターを見せてくださって、『あっちは今線量が高いから、ちょっと待ってて。君たちは来ないほうがいい』って案内してくださったりしましたけど」

安田「私は岩手に通っていると、福島の沿岸と岩手の沿岸にものすごくギャップみたいなものを感じることがあって。たとえば岩手って行く度に風景が変わるんです。瓦礫があったのが更地になって、次に来たら行ったら土を運ぶためのコンベアが来ていて、というように。少しずつ、少しずつだけど、進んでいるんだろうなって実感することが出来るんです。私は1年以上経って、南相馬の小高地区という原発から20km圏内に入った時、『1年前の陸前高田の風景とほとんど変わらないな』って感じたんです。頑張ればあそこに住めるという目標が陸前高田では立てることが出来るかもしれないけど、福島は、そういった目標をなかなか見出すことが出来ないっていうのは、非常にこう、なんていうんでしょう、心の支えを作りづらいというか、そういうジレンマを感じたんです」

渋谷「僕も、取材をさせてもらっている中で、『ご遺体や、ご遺骨を捜し続けるということはなんなんだろう? どういう意味が、価値があるんだろう?』と、お母さんを探す慧にレンズを向けながら葛藤を抱いていました。それでもやっぱり、そこまで思いが至らない自分がいて。でも精一杯想像して、何かに触れたいと思うんですけど。木村さんのことも、遠目で見ることしか出来ない自分がいて。捜し続けるということがどういったことなのか、木村さんは言葉で表現してくださいましたよね」

木村「捜し続けることは、自分にとって三人と繋がっていられる時間なんですね。そこしかないんですよ。大熊しかないんですよ、三人と繋がれる場所というのは。それが生き甲斐でもあるし、やめることはできないですね。正直、いつ帰ることができるかもわからない場所なんですけど。今年なら、一時帰宅が許されるのは年間で15回。その時だけ入ることができるんですけど、それを出来るだけ利用して、自宅の敷地の中も綺麗にしていきたいし、そうすることが自分の大切な人と繋がれる時間なんですね。それは、やめることができないです。さらに知っていただきたいことは、いまだに自分だけではなく捜しに入ってくれる人が沢山いるということ。正直もう、皆さん被爆は覚悟ですよね。それでも『行きたいんです』というボランティアの方、先ほどから名前が挙がる上野さんたちの“福興浜団”の方々を含めて沢山おられて。警察の方も、『ボランティアの方々がこちらをやるなら、私たちはこっちをやります』と手伝ってくれたり、町の消防団の方々も、消防団ではあるけれどボランティアに近い形で入っている方々がいまだにいる。さっき、渋谷さんも言ってくださいましたけど、汐凪だけなんです。まだ見つかっていないのは。多くの人が協力してくださることが、私にとって喜びでもありますし、涙も流れるし、笑顔も出ます。正直ひとりでは、考え込んでしまいます。ひとりでいることが辛い時もあります。だけどそうやって捜索だけじゃなくて、今は長野県の白馬で生活しているんですが、そこにも人が集まって、手伝ってくれたり、声をかけてくれる方が増えているんです。それが今、自分にとって生きる支えになっています」

安田「福興浜団の方に、本当に支えていただいているという話を、先ほど控え室でもされていましたよね。私が木村さんにお聞きしたかったことのひとつは、写真展で、渋谷さんが撮った木村さんの写真を多くの方が見て、写真を通して間接的にですけど、木村さんに沢山の方が会われました。写真の感想を残してくださった方の中にすごく多かったのが『後ろめたい』という気持ちだったんです。この3年間を通して東北のために、福島のために何も出来ていない。それってダメなことなんじゃないかって、自身を責められる方が大勢いました。私は岩手には沢山通わせていただいているんですけど、なかなか福島の取材に携わることは出来なくて、私自身もすごく後ろめたいと思っているんです。今日会場にいらっしゃった人、私を含め、『自分は何も出来ていない』と思う人に、木村さんはどんなお声をかけられるのか、お聞きしたかったんですけど」

木村「あの、非常に厳しい言い方をしてしまうと、今回の事故について東電の責任は大きいと思うんです。だけど、こういう世の中にしてしまったのは、自分自身だと思うんです。私も含めて、みなさんもです。そこの意識を変えていかないと、世の中って変わっていかないと思うんです。今の世の中を動かしている方々というのは、正直もう信用できないです。でも、もしも後ろめたさのようなものを感じておられる人がいるのなら、今日ここに集まっておられるような若い方々、おそらくこういう話があるだろうと思って来られている方、今日初めて、こういった話を聞いたという方も含めて、後ろめたさを感じるよりも、考えてもらいたい。『これからどう生きていくのか』ということをですね。それで十分だと思います」

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