東日本大震災において3700人以上という圧倒的な数の犠牲者と甚大な津波被害に見舞われた宮城県石巻市。 復興の担い手である県内外の若者達があげた狼煙には、じつは私達が希求する新しい社会への入口が垣間見えている。
2月10日、夜10時。ボランティアを乗せたバスが、東京タワーから東北に向けて出発した。昨年4月から毎週金曜夜に見られていたこの光景も5ヵ月ぶり。『アースデイ東京タワー』が、一旦中止していた週末ボランティア・アクションを復活させたのだ。参加者は満員御礼の45人。年齢も職業もバラバラで、ボランティアが初めての人、他の団体で活動していた人、中にはジャマイカで暮らしていて一時帰国中という人もいた。
朝6時、石巻着。海沿いにある製紙工場から、もくもくと煙が上がる光景が目に入る。震災直後には、津波で流された大きな紙のロールや瓦礫が散乱していた場所だ。瓦礫がどんどん片付き、スーパーやレストランも再開を始め、住民は日常の生活を取り戻しつつある。泥かきや炊き出しから生活支援や心身のケアへ。ボランティアの形も、そんな街の状況に合わせて変わってきた。
今回参加するのは『サンライス元気村プロジェクト』。仮設住宅でひとり暮らしする高齢者にお米を手渡し、生活の様子をうかがうことで孤独死を防ぐという活動だ。
「いつも自炊されてるんですか?」
「ご家族や友人など、遊びに来る人はいますか?」
3、4人に分かれて行動し、一軒ずつドアをノックしていく。世間話をしながら生活の様子を尋ね、紙に記録する。調査のように固くならず、自然体で必要なことを聞き出すのは思ったより難しい。それでも、初対面のボランティアに、住民の方々は丁寧に応じてくれた。
2月の石巻は寒く、この日の気温はマイナス2度。参加者は寒さに震えながらも、お昼休憩を除く約4時間のボランティア作業を行った。説明時には、次々と米袋を手渡せるのかと思ったが、なかなか簡単にはいかない。
11月の開始以来、対象者のチェックは続いているが、石巻の仮設住宅は2700世帯もあるため、リストは完成していないという。留守宅の多さがひとつの要因でもあるが、ひとり暮らしをする高齢者宅を完全に把握することは簡単でないのだ。現場の記録をもとに別のボランティアがデータを整頓し、対象者を把握していく。少しずつの活動が引き継がれ、積み重なることで、支援へと繋がっていくのだ。
さて、今回渡したお米の中から、新たに文通は始まっているだろうか。
ボランティアバス参加者の声
友人が石巻でボランティアしていたので話は聞いていましたが、私自身は仕事の都合でこれまで来られなかったんです。初めてボランティアに参加して、不安は大きかったけど、参加者やスタッフ、石巻の人も親切でした。来る前よりも落ち着いた気分になったと思います。震災によって、個別になっていたことが繋がっていくとわかりました。これまで意識が薄かったことですが、地球の反対側で飢餓に苦しむ子供と自分も、繋がっていると実感したんです。また来たいし、募金など東京でできることを続けたい。
Facebookでこのボランティアを見つけました。これまでは一歩踏み出せなくて…。ボランティアは未経験で技術もないので、自分が行っても役にたてるかどうかわからないと思っていたんです。でも来てみれば、なんでこれまで来なかったんだろうと思いました。けっこうじっくり、住民の方とお話できました。来てみて思ったことは、復興には区切りがないんだなということ。お年寄りのひとり暮らしは、ここ東北だけではなく、日本全体の問題。これから、息の長い活動が大事だと思いました。