田中「でも、『snoozer』という雑誌は、数字から言うと常にニッチだったんだよ。自分たちは、ニッチだっていう意識はなかったけど。自分たちはオルタナティブとして、メインストリームをひっくり返す存在をフックアップするんだっていう意識を常に持っていたけど、結果的には十数年間、ずっとニッチだったと思うんだよね。今まさに海外の音楽を聴く層自体も、ある意味ニッチ化しているわけだし。そういう意味でも、敢えて自分に厳しく言うなら、『snoozer』は少しづつニッチ化していったんだと思う」
後藤「自分の想っていた機能とは変わってしまったってことですか?」
田中「そう。隙間産業をやるつもりは全然なかったから。“これが王道だよね”、もしくは、“あなたたちが聴いているものが王道だと思うから、俺はあなたたちが好きなアーティストをサポートする、俺たちと一緒に未来を見よう”ってつもりだったのが、結果的にメインストリームから弾かれた人たちが慰めあう場所にもなりつつあった。勿論、聴いている人たちは、そうは思ってないだろうけど、今や地方に行けば、『へー、洋楽なんて聴いているなんて、マニアだね』って言われるようになった。傲慢に言うんであれば、そういうふうにしてしまった功罪も、『snoozer』には少なからずあるのかもしれない」
後藤「洋楽誌の編集長を長年やってきた立場として、どうしてそういうふうになったんだと思いますか? すごく大きな質問ですけど」
田中「その質問は、何故、日本の若者が海外の音楽を聴かなくなったのかってこと?」
後藤「それもそうだし、王道への反抗であったオルタナティブな『snoozer』が、ニッチ化していったことも含めて、どう分析しているのかっていう」
田中「段階的にいろんなことが起った結果だと思ってる。でもネットっていうのは一番大きいかな。冒頭で話していた、雑誌で何かひとつのことが中央集権的に広がるっていうこと。これはポップスターが一夜にして出来上がって、誰もが長嶋茂雄を愛すみたいなことが、ネットっていうアーキテクチャーでは起りにくくなる。あと、ネットを介することで地球の裏側のことはわかるんだけど、隣村のことはさっぱりわからない、というか、興味を持たなくなる、っていうのが、今の時代の特徴だよね」
後藤「まさにそうですね」
田中「あと、そうなることで、地球の裏側との距離が近くなったことで、ヨーロッパやアメリカ、もしくは南米なりで起っていることに“自分たちも関係しているんだ、ワクワクする”っていうエキサイトメントを生まなくなるんだよね。距離が近過ぎるが故に。誰ものパースペクティブが変わってきてしまった。1970年代、僕なんかが中学生や高校生のころっていうのは、ロサンゼルスやロンドンで何が起っているのかわからなかった。だからこそ、すごく知りたかった。でもわからない。で、例えば、ある少数の人たちがロスに行って来たとするよね。で、“今、ロスではこれなんだ!”と言ってサーフボードを見せるとするじゃない? 例えば、大坂のアメリカ村ってね、俺たちが高校のころ——1976、7年って倉庫街だったの。何で“アメリカ村”って名前になったかというと、そこにサーフショップが忽然と2軒できたの。当時ファッションはヨーロピアン・ブームと言われていて、裾がこんなに広がったスーツが流行っていたんだけど。それがいきなり“これからはアメリカのファッションとカルチャーだ!”って言われるようになって、高校2年生の夏休みが明けたら、みんなが一斉にファッションが変わったりしたんだよ(笑)。そんなふうに海外で起っていることに興味を持つための飢餓感がなくなったことは、デカイんだと思う」
後藤「確かに」
田中「20年前、僕らの世代が初めて海外のアーティストのライブを観るためには、5年も6年も待たなきゃいけなかった。大好きなレコードは3年前のレコードで、最新作はあんまり好きではない、でも遂にロッド・スチュワートがやって来る、5年間ずっと想像を膨らましていたロッド・スチュワートが、もしかしたらカッコ悪くなっているかもしれないけど来日する、ポール・マッカートニーがウィングスとして遂に初来日する——それは何がなんでも行くよね。それと以前は、それぞれのソロ・コンサートが入り口だったけど、今だとやっぱりフェスティバルがいろんなものの入り口だよね。ライブハウスやホールでのライブが原体験っていう人は少ない。16歳で初めて『SUMMER SONIC』や『ROCK IN JAPAN』に行ったっていう人が多いでしょう。そこでの体験が原体験になっているジェネレーションが、ここ5、6年で確実に増えている。で、洋楽フェスが原体験になってる人と邦楽フェスを原体験に持ってる人では、明らかにトライブが違ってくるよね」
後藤「なるほど」
田中「そうなると、まったく海外の音楽に興味のない人たちが出てきてもおかしくない。良い/悪いじゃなくてね。20年前に比べれば、日本のアーティストの数は100倍になり、クオリティは間違いなく格段に上がった。そうした状況下で、自分たちのリアリティにそぐわない、よくわからない海外の言葉で歌っている音楽をわざわざ聴こうとするモチベーションっていうのは、その世代には生まれないと思う。うん、だから、そういった、諸々のいろいろなことが重なっているんだと思う」
後藤「そうですね、流れとしては。難しいなと思うんですよ、若い子を捕まえて“洋楽を聴け”っていうのは。別に聴かなきゃいけない必要はないし」
田中「ないない(笑)」
後藤「僕らは、“聴いたら楽しいよ”と思って勧めているだけで」
田中「海外旅行にしても、東南アジアや韓国や中国に行く人は多いけど、ヨーロッパやアメリカに行く人は少ないからね。文化全体に対しての興味が変わってきている」
後藤「ニュースの報じられ方も変わってきている気がしますね。イギリスで暴動があってもノルウェーでテロが起きても、さほど報道しないですよね。エジプト(今年1月のムバラク政権崩壊、反政府デモ)のときにも、ものすごく温度差を感じましたけど」
田中「そうだよね。世界中を震撼させるニュースだったのに」
田中宗一郎(たなか・そういちろう)
1963年大阪府出身。広告代理店勤務を経て、ロッキング・オンに入社。洋楽アーティスト音楽雑誌『rockin'on』の副編集長を務める。95年にロッキング・オンを退社し、97年5月に音楽雑誌『snoozer』を創刊、編集長を務める。2011年6月18日に終刊号を発売し、その歴史に幕を閉じる。クラブイベント『club snoozer』は続行中。現在、新メディアに向けて準備中。