今、あるひとつの重要な変化が色々な世界を貫いて起こっていると思います。
それが『分散』です。
例えばネットで言えば、ツイッターをはじめとするソーシャルメディア。
あらゆる専門家や素人が、それぞれのテーマについてペチャクチャしゃべってますよね。
だから、もし面白い議論が巻き起こっても、必ずそれが全参加者の目に触れるわけではない。
それこそ“あっちこっち”でやかましい。
けれど、だからといって影響が単に拡散されるのでもありません。
ある確率で有益な議論は読まれるし、RTという形などで参加される。
とすると、これはまるで鳥の群れがなんとなく全体で行き先をコントロールするようなものです。
頂点に誰かがいて、必ず読めよ従えよと命令されるのではない。
“あっちこっち”に情報の結節点が自然に出来て、しかも参加型で議論が広まってく。
これは二十世紀の新聞やテレビがリードしていた情報とは真逆のあり方です。
同じ事が意外にも農産物の地産地消にも言えると僕は思っています。
地産地消はまずローカルな農家を助け、遠くに運ぶ時の排気ガスを減らすと評価されるわけだけれど、それ以外に“あっちこっち”に売り買いという出会いの交差点が出来る事が重要だと思うのです。
さて、エネルギーという一見大きな問題についても全く同じことが言えるでしょう。
中央集権型の、いわば二十世紀的なエネルギーシステムは巨大な施設を一箇所に固めて作りました。
一例が原子力発電所です。中央集権型ですから、中で何をやっているのかを権力が見えなくしてしまうことが可能ですし、事実そうなっています。
しかし自然エネルギーは違います。近くの小川で揚水発電、家の屋上で太陽光発電、海辺で風力発電といったように。小規模なものが『分散』して“あっちこっち”に出来ます。その分、消費もご近所さんでまさに地産地消される。だいいち、遠くに運ぶとエネルギーが減るからです。
地方自治という政治のシステムの変化も、これらの傾向を共有するでしょう。
中央で一部の人間が力を握るのは非効率で対応も遅いから。
音楽などの芸術も『分散』的に、例えば“あっちこっち”のサイトから配信されていますし、小規模なカフェなどでライブがたくさん行われるようになってきています。時代の変化をいちはやく察知する音楽家の勘ゆえだ、と僕は思う。
それはまさに“あっちこっち”の分野で横断的に起こっている現象、未来の現れなのです。
皆さん、『分散型』でまいりましょう。
いとうせいこう -2011.7.13
いとうせいこう
1961年生まれ。小説『ノーライフ・キング』をはじめ、数多くの著書を発表。作家、作詞家、映像、音楽、舞台など幅広い表現活動を展開している。日本のヒップホップのオリジネイターでもあり80年代にはラッパーとして活動。09年には、□□□にメンバーとして加入。また、台東区「したまちコメディ映画祭in台東」総合プロデューサー、「たいとう観光大使」も務める。ベランダで植物を楽しむ「ベランダー」としても知られる存在。