――そのバンドブームが終わって、今度はクラブのほうが格好いい、DJのほうが今モテるみたいな時代がやってきますよね。そのど真ん中にいたのがチャーベさんだった。
チャーベ「そう……ですね。知らない間にそんな感じに。でも、そんな派手なことっていうのは実際あんまりなくて。週末のイベントならさすがに人も入るけど、DJは平日もやってるんですよ。ちっちゃいところで、客は10人とか。俺、今でも覚えてるけど、’94から’95年かな、ハイスタ(Hi-STANDARD)の『GROWING UP』が出たときに渋谷のONAIR WESTでライブがあって。その近くのクラブでDJやってたんですよ。エスカレーターレコーズ(現:BIGLOVE)(※3)の仲くんと一緒に、ふたりでレギュラーイベントを。で、ライブ終わってからDJしなきゃいけないんだけど……なんかハイスタが凄すぎて、ボーッとしちゃって。“あんなバンドがいて、俺こんな静かなとこでレコードかけてて、何なんだろう?”って(笑)。すっごく覚えてる。なんか、今までと違う価値観で“バンドってすげぇな!”っていうのを感じたのかな。クラウドサーフとか、それまでなかったと思うし。ほんと衝撃だった」
――客もバンドも主役になってシーンが盛り上がっていく。それに比べると、DJはサービス業の面が強いですよね。自分が主役ではないって、石野卓球さんなんかもよく話している。
チャーベ「それはありますね。もちろん一晩を通してね、ここはちょっと自分の時間、エデュケーションする時間っていうのは設けてて。知らない曲を教えていく時間が必要だとは思うけど。でも、やっぱりサービス精神はありますよね。オーガナイザーってそもそもホストみたいなもんだし、来てくれる人に“よっ”みたいな感じで話しかけていくのも仕事で」
――サービスであり、同時にエデュケーションでもあるのがDJ。
チャーベ「そう思う。それこそバンドマンに教えることもたくさんあるから。今までの自分の経験として、たとえば田上くん(SCAFULL KING、FRONTIER BACKYARD/TGMX)だったり太一(CONCOS、元Riddim Saunter/古川“TA-1”太一)とか、バンド畑でやってきた人に“今こういうのおもしろくない?”って教えていく感じ。そういうのが自分の役割のひとつかなぁと思ったり。30歳から40歳の間は、特にそういう意識が強かったかもしれない」
――当然、そのためには誰よりもレコードを知ってなきゃいけない。
チャーベ「うん。局地的でいいんだけどね。俺も全然知らないところはいっぱいあるし、そこにはその音楽を専門的に聴いてる人がいて。それこそメタルのこととか全然知らないし教えてもらうばっかりなんですよ。なんであれ、ひとつのものを突っ込んで聴いている人はおもしろいなぁって思うし」
――自分の専門分野は何だと思っていますか。
チャーベ「僕の専門分野は……あえてカテゴライズするなら“ポップ・ミュージック”じゃないかなぁと思ってる。たとえばハウスをかけてもレゲエをかけても、なんか独特のポップ具合があるもの。ポピュラーって意味でのポップじゃないポップというか。なんだろうね? ちょっとキュンとしたり、フワフワして気持ちいい。ズーンっていう気持ちにさせるんじゃない音楽をやってますね。ハッピーになるっていうのが一応自分の中の専門分野」
――もともとパンク少年だし、もっとアングリーな方向に行っても不思議はないですけど。なぜ今のスタイルになったと思いますか。
チャーベ「パンクの前を遡ると、オールディーズが好きだったんですよ、中学、小学校の頃に。ミスタードーナツでかかってそうな。あとはビーチ・ボーイズとか。そうなると、やっぱパンクも楽しいものが好きになるんですよね。たとえばクラッシュとかラモーンズはスッと入ってくるんだけど、ハードコアにはなかなか行かなかったり。格好いいなとは思うんだけどね。だから、そもそもポップ・ミュージックが好きなんでしょうね。楽しくて、なんかキュッとしちゃう感じ。それはほんと小さい頃から変わってない」
――変にシリアスぶらないところは一貫してますよね。DJでも、他人のリミックスでも、自分のバンドでも。
チャーベ「うん。これしかできないですよね。いきなり変われないし。あとバンドに関してはほんと楽しくやればいいんだって思ってる。練習段階っていうか、楽器とかも未だに上手くなろうとか思ってないんですよ。上手くなって失うものが絶対あると思うんで。言い訳じゃないけど(笑)」
――まぁキュビ(CUBISMO GRAFICO FIVE)は、失礼だけど、壮大な文化祭バンドというか。
チャーベ「そうそうそう! それで俺はいいと思うし、そういうのが“あ、俺もやってみたい”っていうキッズを増やすと思っていて。ラモーンズもそうだけど“なんか楽しそう、押さえるとこ3つなんだから俺も何かできそうな気がする”とか。そういうのが何万というバンドを生んだと思うから。たぶんDJもそうですね。みんなそれぞれ辛いこと抱えてるけど、このパーティのときぐらいは“まぁいいんじゃねぇ?”って。そういう感じを出せばいいかな」
――チャーベさんの意識に、音楽は楽しい気持ちに寄り添うものだ、という感覚があるんじゃないですか。
チャーベ「うん。っていうか自分が作るものはそれしかできない。たとえば“もう自殺してぇ!”みたいな音楽ってあるじゃない? あれはあれで絶対いいし、あれでリアルに死にたいと思ってる人が救われるんじゃないかと思う。ドーンとしたダークなやつとかね。そういうのがハマる瞬間って誰にでも絶対あると思うし。ただ、自分から出すときにそれは絶対出てこないから」
――何故ですかね。もちろん私生活では落ち込むことも、泣きたいほど悲しいこともあるでしょうし。
チャーベ「あの……悲しい気持ちを表現するときに、明るい曲で悲しい歌詞のほうが余計悲しいなぁって思うの。山ほど聴いてきたポップソングの中に、どうしても泣いてしまう明るい曲があったりするし。この曲なんでこんなにクるんだろう、って、あの感覚をやりたいんで。そこはもう変わらないでしょうね」
松田“CHABE”岳二(まつだ“ちゃーべ”がくじ)
1970年、広島県生まれ。ソロ・プロジェクトのCUBISMO GRAFICO、バンド・スタイルのCUBISMO GRAFICO FIVE、キーボーディスト・堀江博久とのユニット、ニール&イライザ、DJ、リミキサーとして活躍中。また、FRONTIER BACKYARD、LOW IQ 01のライブバンドMASTERLOWのサポートも務める。2001年には、映画『ウォーターボーイズ』の音楽を手掛け、第25回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。渋谷Organ Banでのレギュラーナイト「MIXX BEAUTY」をはじめ、三宿web他、CLUBでのDJで現場を大切にした活動を展開。また、原宿でkit galleryを主宰。
■注釈
(※3)エスカレーターレコーズ(現:BIGLOVE)
原宿にあるインディペンデント・レコード・ショップ。2002年から「ESCALATOR」として営業していたが、20010年1月から、2008年に発足したレーベル「BIG LOVE」と同名に。 主にUS,UK,EUのインディペンデント・ミュージックを独自のセレクトにて、レコードとカセットを中心に品揃えしている。