被災地と自分とを結び続けること。これまでの復旧から今後の復興への段階のなかで、離れた土地で暮らす自分がどのように被災した人々と関わり続け、ともに実践していくのかを考え、行動する拠点が仙台にできた。
仙台市若林区荒浜エリアは太平洋に面した広大な田園地帯。仙台駅からもほど近い都市型農業の中心地であるこの土地も、このたびの津波で甚大な被害を受けた。この地元の暮らしに関わることを考えながら今年の夏から秋にかけ4回の“キャンプ”を行ったのが、東京・世田谷の自由大学『キャンプin仙台』。地震の直後に縁あって知り合ったこの荒浜の農家、遠藤さんのお宅の一角で、東京からの復興支援の形を探る『ハアトクエイクプロジェクト』の拠点を立ち上げた。ボランティアとしてのお手伝いからさらに一歩踏み込んだ形での関わり合いを見据え活動しようという目的で今回のキャンプはスタートしている。
東京からの参加者達は遠藤さんの農地で畑作業を手伝い、地元の方とのワークショップを行い、夜は持参したテントを敷地内に張り、眠る。朝は津波により何も無くなってしまった土地の道を自転車で走る。そして自分達の住まう東京のことも同時に考える、という2泊3日の体験だ。
遠藤さんのご自宅はなんとかかたちを残したもののまだ住める状態ではなく、家を作り直している段階。畑は徐々に再開しつつある。被災した家の整備や畑の成長が進むなかで、作業を手伝い、考え、話す時間も十分に取る、という体験。参加者たちは何を思い、東京へと持ち帰り、実行していくのだろう。
納屋だった場所を「復興のためのコミュニティスペースになれば」と遠藤さんが提供してくれた。ここをベースに、ハアトクエイクプロジェクトは活動を行う。
松林の続く海岸線は歯抜け状態になり、大きな松の木も津波の威力で傾いたままだ。瓦礫でいっぱいになってしまった荒浜地区のなかに粉砕のための中間処理施設ができていた。
「2泊3日での仙台・荒浜でのキャンプ体験を経て以降、東京にいながら・働きながらにして、中・長期的に被災した土地の復興に関わっていく仕組み作りをしようという動きが出てきているんです」。キャンプin仙台でプロジェクトリーダーを務める大内さんはそう話す。自身も仙台出身、今は東京で暮らす、家族もある30代だ。被災地ではない場所に住み、取り戻された日常を過ごす人々。たとえボランティアに行き肉体的に貢献した人であっても、その後、何もできないもどかしさを感じている人もいるだろう。そんな人々がこれからどう復興に関わることができるのか。
「今はそれを自由大学『復興クラブ』という形でモデル化しようとしてます。農地作業を手伝うという実際的なきっかけができれば、それを東京でも伝え続けられる。被災地と、暮らす場所が離れているからこそ相互に交流することでともにこれからの日本を作っていく というロールモデルを作っていきます」(大内)
ここ、仙台ハアトクエイクベースキャンプは、東北の復興への取り組みと同時に日本全体のライフスタイルの見直しをするということを、理想論としてだけでなく実行していく拠点となるはずだ。
参加者は農地作業のほかにも、地元の酒蔵やNPOの方、仙台について研究し雑誌を発行する方などとの交流を深め話を聞き、自分達の住む街についても思考する。
今後の動きはこちらから http://www.heartquake.jp/
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津波被害のあった土地は塩害も懸念された。そんななか驚くほどに早く育ったという遠藤さんのお宅で採れた野菜・第1号達をキャンプ参加者で都内ファーマーズマーケットにて販売してみたところ、大好評、見事完売!
東京・青山の国連大学前でのファーマーズマーケットは“農、食、買い物、そして日々の生活について再考する場”をコンセプトに掲げ、毎週末開催中。
http://www.farmersmarkets.jp