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田中宗一郎×後藤正文

今年の6月に終刊号を発売し、惜しまれつつもその歴史に幕を降ろした音楽雑誌『snoozer』。音楽雑誌に限らず、紙メディアの行く末が危ぶまれる現在。『snoozer』を休刊することに至った経緯について、ポップミュージックとメディアの過去と現在、そして未来像について、編集長 田中宗一郎さんに訊いた。Web版だけの特別インタビュー。

構成/文:後藤正文 撮影:外山亮介 撮影協力:風知空知 下北沢

『snoozer』が『snoozer』であるうちに

後藤正文「率直に『snoozer』をやめると聞いてビックリしました」

田中宗一郎「ごめんなさい!」

後藤「でも、なんとなく流れとしては今やめるということもわかるような気もして」

田中「どういうポイントにおいて、そう思ってもらった感じですか?」

img002 後藤「今の時代、音楽雑誌が機能しているとは、あまり思えないというか。機能の仕方も変わってきている。昔は“クラスタ”って言葉もなかったし、メディアとして“熱い”ものだったと思うんだけど。うまく言葉にできないけど中央集権的という意味で。例えば、『ROCKIN’ON』なら『ROCKIN’ON』に出たものがワーッと広がっていく様子って、20年くらい前には機能していたし、僕らもそれにワクワクしていた。そういうことが、インターネットの登場で再編されながらここまできたと思うんだけど。逆に今は音楽雑誌って、だんだん面白くなくなってきたっていうのが読んでいる側の皮膚感なんですよ。メディアとレコード会社の距離感っていうのも、幸せな距離感だと思えないっていうか。例えばレビュー。レコメンドなのか、宣伝なのか自分語りなのか、『これは何なんだ?』っていう。“好きなレコードを紹介する”という意味でのレコメンドだったら、僕らだって書けるんじゃないかと。だから、『only in dreams』(後藤が中心になって発足したレーベル&webサイト)でレコメンドを始めたんですよ。あとは、レコードショップの人たちが今いったいどんな音楽をいいと感じて“売りたい”と思っているのかってところにも興味があったから、タワーレコードの邦楽の店員さんに書いてもらったり、FLAKE RECORDの店長に洋楽のレコメンドを書いてもらったりとか。あとは、ネットで見つけてきた洋楽も邦楽も聴いて自分のブログとかに好き勝手に書いているような本当に音楽好きなヤツとか。そういうひとが書いたほうが面白いなって思って」

田中「うん、プロの物書きじゃなくて、現場感のあるリスナーとしての当事者が書いたもののほうが面白いっていうのは、僕が『ROCKIN’ON』にいたときの最初のコンセプトのひとつだね。評論家先生が書くことほどは上手く表現できてはないけれど、そのもどかしさも含めて書いたほうがリアリティがあるし、説得力があるじゃないかっていうのは、多分、渋谷陽一さんが作った『ROCKIN’ON』のいくつかのコンセプトのひとつだったと思う。『snoozer』を始めたときの僕は、それをそのまま継承したいと思ってた。だから当初、集めたスタッフは4人とも全員女の子で——まあ、それは恣意的なんだけど(笑)」

後藤「(笑)」

田中「それはさておき、全員19とか、20歳だった。例えば、後藤くんの『only in dreams』はレコード屋さんの現場感のある人たちが書いてるわけだよね。僕の場合はよりリスナーに近い連中を集めた。音楽にやられてから数年しか経っていない人たちを集めた。そのポイントは、すごく大きいと思う。ただ、“音楽雑誌がつまらなくなった、雑誌そのものがつまらなくなった”ってことに関しては、いろんなパラメータが絡んでると思う。『snoozer』をやめた理由も、雑誌でやれることの限界を感じたって部分もあるし、自分のコンセプトだった、とにかく贅沢な雑誌——手間隙がかかっていてお金がかかっている、さっき言ったようなリアリズム、生々しさもパッケージしているんだけど、それを整頓された感覚で差し出すことをやるには、時代にそぐわないかもしれないし、現実的としてお金がついていかないっていう部分もあった。ただ、『snoozer』の場合は、あまりにも自分が作り上げたコンセプトが完成されすぎてて。だから、どれかひとつを崩すと全然違うものになってしまう。だったら『snoozer』が『snoozer』であるうちに終わらせてしまおうと思って。だから、『snoozer』を終わらせたのは、すごくエゴイスティックな考えなんだよね」

後藤「確かに、イメージは完成されていましたよね」

田中「良くも悪くも(笑)」

後藤「そういうのは、見ていて面白いところでもありました」

田中「単純に『snoozer』っていう雑誌は、何がエキサイティングで、何が退屈で、何が不快でした?」

後藤「僕は、単純に半分くらい蛸壺化し始めていて広がりがないところがあると思った。それは、世の中的な流れなのかもしれないけど、結局“クラスタ”って呼ばれるものに集約されてしまうと対流がないんですよね。『snoozer』読んで、『club snoozer』に行っていれば幸せっていう人たちが集まっただけで終わってしまうのは、もったいないというか」

田中「なるほど。以前、後藤君は『snoozer』のインタビューで“自分はハブになりたい”って話してくれたけど、それと同じように、『snoozer』はいろんなものが交錯するクロスロードになりたいって意識を持ってた。にもかからわず、気がつけば、自分たちが頑張れば頑張るほどスノビッシュなコミュニティを作ってしまう、外との距離が広がってしまうようになった。それは事実だと思う。特にそれを感じるようになったのは、ここ2、3年ね」

img006 後藤「でも、ある時期まではクロスロードとしての役割はあったと思いますけどね。『snoozer』がなかったら、『NANO-MUGEN FES.』が海外からアーティストを招聘していけるようになったことは考えられないし。ASHとの出会いは『snoozer』での対談だったから。そこから広がった部分もあるし」

田中「ありがとう」

後藤「あとは、デザインも好きだし表紙や写真もいつ見ても良いなと思ってたし。レビューも読んでいて面白かったし」

田中「悪いところなしだ(笑)」

後藤「悪いところは、本当にそんなになかったと思うんだよね(笑)。残念ではあるんですよ、ひとつ面白い雑誌がなくなってしまった」


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谷尻誠

田中宗一郎(たなか・そういちろう)

1963年大阪府出身。広告代理店勤務を経て、ロッキング・オンに入社。洋楽アーティスト音楽雑誌『rockin'on』の副編集長を務める。95年にロッキング・オンを退社し、97年5月に音楽雑誌『snoozer』を創刊、編集長を務める。2011年6月18日に終刊号を発売し、その歴史に幕を閉じる。クラブイベント『club snoozer』は続行中。現在、新メディアに向けて準備中。