後藤 「でもさ、旧来のやり方だと、そのボーカルだけ大々的に売り出されて、後ろの4人はあっさり契約切られちゃうとか、そういう酷い話もあったわけ。最悪だよね。昔どころか、今も芸能の世界では当たり前なのかもしれなくて」
ユウキ 「酷いよね。そんなの……全然楽しくなくなっちゃう」
後藤 「そう考えると〝NEOかわいい〟を浸透させなきゃいけない場所はまだまだいっぱいある」
ユウキ 「もっと広めなきゃ!」
後藤 「あと、突き詰めて考えていくとフェミニズムにたどり着くと思うんだけど。そういうことは意識していないの?」
マナ 「あー……それはインタビューで何度か言われたけど……でも知らなかった」
ユウキ 「言われて気づいた。『そうなんだ?』って」
マナ 「フェミニズムって言葉も最近知ったもんね。それこそ海外のインタビューでそうやって聞かれて『えっ、フェミニズムってなんですか?』『えぇ? CHAIはそうじゃないんですか?』みたいな」
ユウキ 「そうじゃないんだ~!(笑)」
後藤 「……その感覚も新しいと思うけど、こういう発信をしておいて、出し抜けに『えぇっ? 戦わなきゃいけないの?』って言い出す感じが新しい(笑)」
マナ 「……戦わなくていいかなぁ。なんか、敵がいる音楽っていうの、あんまり想像できない」
ユウキ 「戦うのは、嫌ねぇ」
後藤 「これはフェミニズムに限らないけど、あらゆる戦いは当事者が引き裂かれてしまうよね。たとえば『私は女性として戦わなきゃいけない』っていう言葉を聞くと、そういう社会の一員として責任を感じるんだけど。でも言語化することで、戦わなければいけない問題の外側と内側を作ってしまうこともあると僕は思う」
マナ&ユウキ 「……ほぉ~ん」
後藤 「差別がないほうがいいのは当たり前だけど、『差別だ!』って叫ぶことが、差別対象のイメージを固定させる力になる場合もあるというか…。〝セクハラ〟や〝DV〟という言葉の発明は多くの人を救ったけれど、言語化には恐ろしい一面もあって。もちろん努力しないと差別はなくならないから、やらなければいけないことなんだけど。本当に戦うべきことがひとつもない状況では、差別という言葉や概念すらも消えてなくなっているはず。一番幸せなのはそういう状態だよね。闘争には反語的な作用もある。引き裂かれるというのはそういう意味ね。いろいろな考え方があるけれど、CHAIの女性という性すら帯びてない『え、何言ってんの? わたし人間だけど』って最初から言える生き方は、いろいろな概念にしなやかに対抗している感じがするな」
ユウキ 「ほぉ~ん」
マナ 「(真顔で)頭、いい!」
後藤 「……そんなことないよ(笑)」
マナ 「私たち、特にユウキ以外の3人は本当に勉強も全然できなかったし、興味がなさすぎて努力もしなかったし、努力してもできなかったし。なんにも興味がなかったの、ずっと。なんでこんなことしてるんだろう、なんでいい点取れないとブーブー言われるんだろうと思いながら授業受けてた。ずっと生きづらかったし、そういう不満がありすぎたんだけど、CHAIに出会ってそれが爆発したの。初めて自分で『これでいいよね!』って思えたし、言えるようになった」
ユウキ 「そうね。自然に笑えるようになった。さっきも言ったように4人ともネガティブ出身で、真っ暗な、何もない世界で生きてて。でもCHAIになって初めてバッと視界が開けたの。『空はこんなに広かったんだ!』ってことにようやく気づいた。でね、CHAIができるんだったらみんなもきっとできると思う。まだ気づいてないだけで、これはみんなにできること。だからまずはCHAIがステージで笑ってる姿を見て欲しいな」
後藤 「あぁ、CHAIの存在そのものがメッセージなんだよね。その奔放さこそ素敵だなと思うわけ。理論武装しないで自分たちが幸せに生きることが、何よりもフェミニズム的な活動になっている。それって女の人にとっては心強いだろうし、本当にラディカルだと思うな」
ユウキ 「CHAIがポジティブにステージに立ち続けてるってこと自体が表現になってる。それこそ〝NEOかわいい〟って言葉を作らなくてもいいくらいの。今の話って、そういうことだよね?」
後藤 「そうだね。うん。ことさら何かを言語化しなくても、全身で楽しんでるし、それが表現になってる。概念を先に説明しちゃうのって現代的なアートの特性であり病でもあると思うけど、CHAIは真逆だよね。もっとプリミティブな感動がある。それが結果的にいろんな社会問題に楔を打ち込むことにもなってるし。結果的にパンク、というか」
マナ 「あははは。そうなんだ。ラッキーなパンクだね!」