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憲法と民主主義 | 対談:木村草太×後藤正文

そもそも憲法とはどんなものなのか?

後藤「ここでちょっと聞きたいんですが、木村さんは改憲っていうものの必要性についてどう考えてらっしゃいますか?」

木村「私は、今の段階ですぐに何かをいじる必要があるとはまったく思いません。国連と9条の関係を整理する条文をつくったほうがいいかなと思ってはいますが、それもじっくり議論しながら進めていくべきだと考えているので」

後藤「そうですか」

木村「ただ、改憲が具体的にどういう作業なのかっていう点について知っておくのは、とても意味があることだと思います。……と、その話に移る前に、〝そもそも憲法とはどういうものなのか〟っていう、根っこの部分について確認しておきたいんですね」

後藤「ぜひお願いします」

木村「たとえば後藤さんが創作をするときも、発表する以上は何かが新しくないといけないと思うのですが、ただ新しいだけでは意味がないと思うんです」

後藤「そうですね」

木村「前提として、クラシカルなものというか、大事に受け継いでいかなきゃいけないものがあったうえでの創造だと思うんですね。後藤さんは、どんなことを前提にしていらっしゃいますか?」

後藤「音楽をつくるときですか」

木村「ええ」

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後藤「それを言語化するのはとても難しいんですけど、僕はこう、川が一本流れていて、その川下にいればいいと思っているんです。さかのぼっていくと源流があって、そこに接続できているかどうかが大事な気がしますね」

木村「その源流というのは、ロックミュージックの先人たちということ?」

後藤「そうですね。でも、同時にその〝接続すべきものは何か?〟という問いも毎度あります。たとえばですが、土偶を目にして美しさを感じたとき、〝これはいったい何に捧げられた美しさなんだろう?〟ということを思いますよね。たぶん時代や意匠が変わっても、宗教的なものか内省的なものなのかわからないけど、芸術や表現って、ある種の美しさに捧げられていて、僕はそういうとこに惹かれるし、そこに手を触れていたい。そういうブラックボックスのようなものに手を突っ込んで、なんらかのイメージを取り出して、それを次の世代にパスし続けている、そんな作業をやってるんだって信じています」

木村「その感覚、よくわかりますね。僕もまさに憲法をつくるってそういうことなんではないかと思っているんです」

後藤「そうなんですか?」

木村「ええ。憲法は最高法規であると同時に、国の長期的な理想や理念を掲げるものです。日本をどういう国にしたいのか、あるいは、世界に対してどんな貢献ができるのかを考えて、まず日本人にとっての美しさや良心のようなものを探し、それをきちんと落とし込んだものである必要があるわけです。これがまさにクラシカルなものに手を突っ込んで持ってくるという感覚ですね。なので、起草にあたっては、その理想を目指すにはどうしたらいいか、うまく条文に落とし込むためにはどうしたらいいかを考えなくてはいけないし、そういった手順で作業を進めていかなくてはいけないんです」

後藤「なるほど」

木村「実際、現行の日本国憲法も、原案はGHQによるものですが、それを翻訳して条文にするプロセスにおいて、日本が民主主義を実現するためにどのような要素を盛り込み、どんな言葉で表現したらいいのか、繰り返し折衝や議論が行われています(※2)。私が自民党の改憲草案にどうしても共感できないのは、そういう崇高なプロセスを決定的に欠いているからだと思うんです。その結果、非常にグロテスクなものができあがってしまう。もっというと、憲法を変えるというのは、具体的には〝条文を書き換える〟という作業になります。それは非常に技術的な問題なので、トレーニングを積んでいない人が条文を作ると、楽譜の書き方を知らない人が楽譜を書いているような、〝あなたが歌ってる曲とは音符がズレてますよ〟っていう状況になりがちなんです」

後藤「僕が自民党の改憲案を読んだときに感じた怖さって、今の話と繋がってくると思うんです。あの草案には、それを誰がどう読むかによって、どのようにも解釈できる言葉が多く含まれているように感じたんですね。例えば、現行憲法の〝公共の福祉〟という言葉が、わかりにくいからっていう理由で〝公益及び公の秩序〟という言葉に書き換えられていますけど、〝公益〟とか〝秩序〟ってすごく定義することが難しいし、その時々によって形が変わる可能性があるものだと思うんです。決して一義的なものじゃないというか」

木村「その通りだと思いますね」

後藤「僕は、条文の中にそういう曖昧な表現や言葉があるのはどうなんだろうと思うんです。条文の中の言葉の曖昧さを後退させると、ある政権はこう読んだけど、別の政権が立ち上がった時にまったく違う読み方をされてしまう、まったく違うふうに読めてしまう可能性が増してしまうわけですよね?」

木村「句読点がひとつ入るかどうかで、意味がまったく変わってくる可能性だってありますからね」

後藤「僕は、悪い方向に〝読めてしまう〟可能性があるというのは本当に危険だと思うんです。草案に出てきた〝緊急事態〟っていう言葉にしても、何を想定しているのか全然わからないんですが、〝緊急事態=コレとコレ〟っていうふうに具体的に示されないと、解釈次第でなんだって緊急事態にされて、最悪の場合、恣意的な武力行使や人権の抑圧がなされてしまう可能性があるわけですよね。だから条文は〝これ以外の読み方はあり得ない!〟と言えるような、権力が濫用されないものであることが大事だし、そうでないものを受け入れてはいけないと思うんです」

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木村「本当にそうですね。言葉で国家の統治をコントロールをするという仕組みを選んだ以上、条文に盛り込む言葉に対する意識っていうのは徹底されなければならないと思います。そして、その言葉に必然性を持たせるのが、先ほども言った、国としての長期的な理想や理念だと思うんです」

後藤「なるほど」

木村「それで、今の話は集団的自衛権の議論とも関係があるように思うんですね。あの議論が、たとえば〝国際平和にもっと貢献するために、侵略を受けている外国の人を助けたい〟というような大きな理想があって、そのために集団的自衛権というオプションが必要なんだという論調になっていればまだマシだったんですが、そうはなっていなかった。むしろ〝中国が脅威だから武力を保持したい〟とか〝中東情勢が不安だから、武力を行使できる機会の幅を広げたい〟というような非常にエゴイスティックな論調になっていたと思います」

後藤「自衛隊はセコムじゃないんだぞっていう話ですよね」

木村「ですから、議論の盛り上がりとは裏腹に〝なんの話をしているのかわからない〟っていう意見をよく聞いたんですが、それもある意味当然なんです。結局、集団的自衛権っていうのは、〝世界を平和にするにはどうしたらいいのか?〟という課題に対するひとつの答え方なんですよね。なので〝攻められた国があったときに周辺国と一緒に対応できたほうがいいでしょう〟とか〝常に国連が正しいとは限らないんだから、国連の判断ではなく自主的に行動できる可能性を検討したい〟とか、集団的自衛権を行使するにあたってのコンセプトがセットになっていなければならないのに、そういう話がなかった。そりゃあ、モヤッとした気持ちを抱いた人がいて当然です」

後藤「結局、平行線のまま時間切れになったという印象ですね」

木村「そうなんです。だから、改憲にあたっても、まず〝なぜ変えなければならないのか?〟っていうコンセプトを一番に示さなければならないんです」

後藤「いきなり〝変えるか変えないか〟〝是か非か〟っていう地点から議論を始めようとするから、おかしな議論になってしまうってことですよね」

木村「そういうことです」

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木村 草太(きむら・そうた)

木村 草太(きむら・そうた)

1980年生まれ、神奈川県出身。首都大学東京法学系准教授。憲法学者。東京大学法学部を卒業し、同大法学政治学研究科助手を経て、06年から現職。〝全法科大学院生必読の書〟として話題になった『憲法の急所』をはじめ、『平等なき平等条項論』、『テレビが伝えない憲法の話』、『未完の憲法』(奥平康弘との共著)などの著書がある。

■注釈

(※2)

英語で起草されたGHQの草案を、日本側は忠実に日本語に再現したわけではなく、翻訳の過程でさまざまな要望も提示した。GHQ案は一院制を採用していたが、日本側の要望によって、衆院、参院による二院制が採用されたことなどが例として挙げられる。また、明治憲法の欠点を改め、議院内閣制や違憲立法審査制といった統治機構における新制度が導入されたり、議会の同意があっても奪い得ない自由権が新たに保証された点などは、民主主義を実現するために新しく取り入れられたアイデアといえる。