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憲法と民主主義 | 対談:木村草太×後藤正文

9条改正、集団的自衛権の解釈変更など、この数年、折に触れてクローズアップされる憲法に関する議論だが、私たちはそれにきちんと向き合えているといえるだろうか?
シリーズ「憲法特集」では、憲法と出会い直し、考え直すためのきっかけを示していきたい。
第1回は、若き憲法学者との対話を通して、憲法と民主主義の関わり、私たちが市民として成熟していくためのヒントを学ぶ。

構成:佐田尾宏樹/撮影:高橋定敬

なぜ憲法を変えたい人がいるのか?

後藤「特に震災以降なんですが、誰かと政治について語り合ったり、デモや集会っていうのに参加するたびに、〝民主主義ってうまく機能してるんだろうか?〟〝自分たちは市民として民主主義や政治に参加できているんだろうか?〟っていう疑問を持つことが増えて。僕たちは長い間、放棄っていうわけではないけど、民主主義に対して無責任というか、当事者意識が薄かったんじゃないかという想いがあるんです。そんななか、この数年、憲法改正の機運みたいなものが高まってきて、すごく嫌な予感がして」

木村「改憲の論議はどうご覧になっていたんですか?」

後藤「僕は、自民党の改憲草案(※1)を読んだときにゾッとしたんです。基本的人権というものに対する考え方ひとつをとっても、このままの流れで改憲が進んだら、日本はとんでもない国になるんじゃないかって。でも、それに抗う準備ができていない歯がゆさがありました。そこで今、憲法をもう一度読み直すこと、勉強し直すことが必要なんじゃないかと思ったんです」

木村「なるほど」

後藤「それで、木村さんが著書のなかで、憲法っていうのは単に日本の最高法規たる条文としての性格だけじゃなくて、〝外交宣言〟としての意味を持つということを書かれているじゃないですか」

木村「そうですね。たとえば憲法9条っていうのは、諸外国に、日本が戦争を放棄し平和を希求する国だということをアピールする効果があるし、逆に海外も、そういう目で日本を眺める意味があると思います」

後藤「それって本当に大事なことだと思って。憲法を改正するっていうことは、日本の問題だけじゃなくて、外交問題に発展しかねないレベルの話だということですよね。なんというか、そういう憲法に書かれている言葉以外の影響力について僕らはもっと意識的でなければいけないし、理解を深めるためのリテラシーを身に付ける必要があるなと。そういった作業を通して、僕らはもっと市民として成熟していかなきゃいけないんじゃないかって、そういうふうに思って今日はお話をうかがいにきました」

木村「わかりました。ではまず始めに、後藤さんのように〝自分は民主主義に参加できているんだろうか?〟っていう疑問、ある種の無力感を抱いてしまうのはなぜなのかっていうところから話を始められたらと。それが改憲の論議っていうものとも繋がってくるはずなので」

後藤「はい」

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木村「まず、民主主義への参加という意味では、まさに選挙というのがわかりやすい参加の形ですが、果たして現在、市民の側が自分の投票権をうまく使えるような選挙制度になっているかどうかというのを考えるのが大事だと思うんですね。おそらく、多くの日本人はそう感じていないはずです。それはなぜかといったら、現在の制度が、自分の好みを素直に投票行動に反映できない仕組みになっているからでしょう」

後藤「そうですね。確かに、マイノリティの意見って今の選挙制度では反映されにくいですからね」

木村「現行の制度だと、大政党の公認が取れるかどうかで勝負が8割方決まる仕組みになってますからね。市民が大政党の幹部とは違うことを考えているとき、政治家がそれに耳を傾けるという選挙上のインセンティブはないと思います」

後藤「そうなんですよね。それに対してはもう、不満というよりも〝なぜこんなやり方が制度的に許容されているのか?〟っていう疑問がありますね。国民の3分の1ぐらいしか支持していない政党が、国会の議席の過半数を取ってしまうっていう状況は、果たしてフェアなんだろうかっていう」

木村「すごくいびつですよね」

後藤「もっというと、民主主義=多数決っていうルールがありますけど、それって本当に正しいのかなって。僕はやっぱり、まあ当然ですけど、みんなでちゃんと話し合って合意形成するのが民主主義なんじゃないかと思うんです。最後の決選投票に限っては多数決で、みたいな局面はあっていいのかもしれないけど、そこまでのプロセスがむしろ大事なんじゃないかなぁと」

木村「その通りだと思いますね」

後藤「でも、現在の空気的には、とにかく早く決めたいし早く変えたいし早く動きたいから、そのためには多数決がベストなんだっていう論理が重要視されてきてるというか、〝何か変えたいんならとりあえず多数派になりなよ〟みたいな、そういうマインドセットが蔓延しているように感じるんですよね」

木村「私は、それがやっぱり改憲の機運の高まりっていうものにも端的に現われてるんじゃないかと思うんですよね。つまり、現状への閉塞感みたいなものから、とにかく何かを変えるっていう行為自体が人気を獲得しているような部分があるんじゃないかと」

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後藤「そうか……」

木村「本来は、現状のどこに問題があって、何のために変えるのか、どう変えていくのかを明確にしなくてはいけないのに、〝内容はどうでもいいから、とにかく憲法を変えよう〟とでも言わんばかりの〝改革派〟が、中身を問われずに支持されているような状況がある」

後藤「確かに〝変える〟という言葉の持つ強さはありますからね」

木村「こと憲法については、これまで長い間一度も手を加えられてこなかったものなので、〝そこに日本の停滞の原因があるんじゃないか?〟という感覚を持ちやすいという部分もあるでしょう」

後藤「僕がすごく危険だなって思ったのは、まさにそこで。改憲ということになるとどうしても情緒が先に立ち上がるじゃないですか。〝アメリカに押し付けられた憲法なんだから、日本人が自ら編んだものに書き換えて当然だ!〟っていう考え方だったり、それとは逆に、盲目的な〝断固護憲!〟っていう考え方だったり。それがすごく感情的であるがゆえに、力を持ってしまうのは怖いなぁと」

木村「これは私の師匠の石川健治先生が語られていたことなんですが、日本というのは、生まれが正しいかどうか、国の成り立ちというものが正統に受け継がれてきたかということに、非常にこだわる社会だというんですね」

後藤「そうなんですか」

木村「たとえばドイツにしてもフランスにしても、歴史的に、しょっちゅう王朝が変わったり皇帝が入れ替わったりしましたから、正統に受け継がれてきたかどうかということはあまり気にしない。一方で、『万世一系』という言葉がある日本には、それこそ『三種の神器』をちゃんと継承してきたのかというような感情が根強くあると。だからこそ、戦後の混乱の中でアメリカに押し付けられたものだという、生まれが怪しいものに対して強いアレルギーを持ってしまう社会だというのはあるんじゃないでしょうか」

後藤「なるほど。でも、そんな理由で本当に変えられてしまっていいんでしょうか? 改憲もそうだし、重要な法案や政策が動くときって、パッションとか情緒とか、いわゆるマグマのようなもののエネルギーが強いときのほうが、間違いが起きやすい気がするんです。しかもそういった場合の過ちって……」

木村「取り返しがつかない」

後藤「そうなんですよ」

木村「実際、ひとつの失敗だけで本当にひどい状況になってる国家ってたくさんありますからね」

後藤「日本も例外ではなくて、やっぱり第二次世界大戦の敗戦というのは半端ではなかったわけで。もしかしたらこの国の体制がほとんど今の自分たちの暮らしに繋がらないほどにまで変えられてしまっていた可能性もあったぐらいの」

木村「完膚なきまでの敗戦でしたね」

後藤「だからこそ、改憲派に対して不思議に思うのは、たとえば尖閣諸島など で紛争が起きて―これは過去の紛争の歴史からも明らかでしょうけど―〝どっちが先に手を出したのか〟っていうことが必ず問われますよね。そのときに、憲法9条それ自体が〝私たちには憲法9条があるので、先制攻撃は絶対にできません〟ってロジカルに反論する根拠になるものだと思うんです。それを改憲して手放すことによって外交上のリスクが高まるのは、冷静に考えたらすぐわかるのに、なぜ推し進めようとするのか……」

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木村「そこはやっぱり〝変える〟ということ、改革派であるということのメンツがかかっているからだと思いますね」

後藤「メンツですか……。でもそれも結局は情緒ですよね。しかもこう、変えさえすればいいというか、変えたその先が想定されているように思えないんです」

木村「改憲そのものが目的化しちゃってるということですよね」

後藤「それによって最高法規の憲法が書き換えられてしまうことに、僕は得体の知れない怖さを感じます」

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木村 草太(きむら・そうた)

木村 草太(きむら・そうた)

1980年生まれ、神奈川県出身。首都大学東京法学系准教授。憲法学者。東京大学法学部を卒業し、同大法学政治学研究科助手を経て、06年から現職。〝全法科大学院生必読の書〟として話題になった『憲法の急所』をはじめ、『平等なき平等条項論』、『テレビが伝えない憲法の話』、『未完の憲法』(奥平康弘との共著)などの著書がある。

■注釈

(※1)自民党の改憲草案

2012年4月27日に発表された、自民党による現行の日本国憲法を全面的に見直す草案。特徴として、天皇を元首と位置づけ、国旗を日章旗、国家を君が代と規定。また、首相を最高指揮官とする「国防軍」を保持し、「自衛権の発動を妨げない」と明記している。そして、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」(第12条)、(集会、結社、表現の自由について)「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」(第21条)とするなど、基本的人権を守る姿勢が現行の憲法より後退している。