川口「運動の中心メンバーが両岸問題をどのように考えていたのかはっきりしたことは分かりませんが、戦略として両岸問題は敢えて表に出さなかったという側面もあるかもしれません。台湾独立という言葉を口にした途端、一定の人たちの支援を受ける可能性も確実でしょうが、過激派だと思われる危険性もあって、広い支持を得ることが逆に難しくなったかもしれない。運動の中で反中国的な要素を表に出さない、そういう方向には持っていかないぞというやり方ですよね。やはりそれは正しかったと思います」
狩集「それは誰か指導した人がいたんでしょうか?」
川口「どうなんですかね。リーダーたちの後ろで作戦を授けた大人たちがいたかどうかは分からないです」
狩集「今回のこの運動を振り返ってみると、あまりにもスマートすぎる気がしないでもないのですが。泥臭さみたいなものが見えにくいというか。そこは感心したところのひとつではあるんですけど」
川口「おもしろい指摘ですね。日本のテレビ番組のコメンテーターが(2014年4月5日TBS『報道特集』)、 “3・30の大規模デモの翌朝、ゴミひとつ落ちてなかった、すばらしい、中国ではこんなことはありえない” と語っていました(苦笑)。今回の運動は “スマートさ” “整然さ“ あるいは “明るさ” などという言葉で語られた印象があります。理知的でどこかあか抜けた、洗練された運動イメージ。近年の社会運動の経験の積み重ねもあったのでしょう。一方、こうしたイメージが一人歩きするのも危うい気がします。他の運動のあり方を否定しかねないと思うのです。そもそも社会運動というものは試行錯誤であって、 “野暮” で “猥雑” で、あるいは統率のとれない運動があってもいいはず。また、洗練された運動のイメージは、どこかネオリベラリズム、ポストフォーディズムの求める人材像に合致しているようでもあり、すこし気持ち悪い(笑)。これは冨永さんの言った、太陽花学運の理想化という危惧とも関わることかもしれません。 “スマートさ” “整然さ” そして “明るさ” という言葉を表面的に受け取るのではなく、そうしたスタイルを強調することで、立法院占拠という一歩間違えば民主主義の根幹を切り崩すかもしれない危うい行為を切り抜けようとした、そのぎりぎり感みたいなものを評価したいですね」
冨永「なるほど。“スマートさ” “整然さ” そして “明るさ” という言葉の背後にある経験の質みたいなものをどうとらえるのか。それが大事ということでしょうか」
川口「それからもう一つ。今の台湾の公共的空間に対して “自分たちの声が届いてない” と感じる若い世代が『太陽花学運』に共感していったのではないかということです」
冨永「そういえば、先ほど川口さんが “郷土への誇り” という点で紹介した狩集さんの文章、『オトナ』に対して『若者たち』が強調されていましたね」
狩集「そのことについてはいろんな方から批判的な意見も頂戴しました(苦笑)」
川口「大人対若者という図式が妥当かどうかは別にしても、『太陽花学運』は、今の台湾の代議制民主主義では届いていない声を、立法院を占拠する形で伝えようとしたとは思うのです。同様に思っていた若い世代が、立法院占拠という事態に共感し、次々に運動が繋がっていったのではないでしょうか。もっといえば、タクシーの運転手さん、南部の農民のおじさん、おばさんをはじめ様々な人たちが応援に駆け付けたように、世代を超えた支援の広がりを見せたのは、台湾に住んでいる人たちの多くが、 “自分たちの声が届いていない感” を強く持っていることの表れではなかったのでしょうか」
狩集「たしかに立法院の周辺には様々な人たちが集まって、タダで飲み物や食べ物が配られたり、無料の屋台があったりと、学生たちを応援していました。食料以外にも、3月29日夜の大雨の時には合羽も配られていたし、寒がっている人には防寒用のシートも配られていました。また、議場内ではほぼ24時間いずれかのメディアは発信し続け、医師団や弁護士団が常駐し、学生たちをサポートしていました。これも、声を届けようと行動に出た学生達以外にも数多く存在しているであろう “声” の表れですよね?それぞれの人の抱える不満みたいなものは違うのかもしれないが、 “自分たちの声が届いていない感” は共通しているということでしょうかね」
川口「大事な点です。 “自分たちの声” といっても、内容は同じではないかもしれない。運動の最中に、原住民青年団の声明がだされましたが、原住民の若者と漢族の若者がおかれている政治的、経済的立場は違うでしょう。今回の運動は、そうした違いを『民主主義の擁護』というフレーズでまとめあげたわけです。 “民主主義” という言葉の重みが、台湾で生きている証拠です。ですから、今後より大事になるのは、運動の中で発せられた、あるいは隠された、微妙な声の違いを、様々な話し合いの場を設けながら、聞き分け、語り直すことにあるでしょう。安易な折り合いや了解を避けて、一人一人の経験の質の違いを踏まえ、地道に繋げていく。泥臭すぎて、ネオリベは効率が悪いと否定するでしょうが。それと、今回は民主主義の “プロセス” が強調されましたが、そもそも “民主的” であるとはどういうことなのか、という問いも大事ですね。話し合いをすればよいというわけではない。議会にせよ何にせよ、話し合いの場に参加している人たちの利害・関心の調整で終わっては不十分です。外国人だから、精神を病んでいるから、知識教養がないから、子どもだからといった様々な理由で、話し合いの場からあらかじめ排除され、加わる資格すら奪われている存在が必ずいます。死者やまだ生まれてない存在、人間以外の動物や植物だってそう。極端なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、戦争責任や原発問題といった例を少し思い浮かべてくれたら理解しやすいでしょうか」
冨永「話し合いの場に参加できない人を、なるべく参加できるようにすることが大事ということですか?」
川口「それもありますが、 “民主的” であるためには、発話能力がないとされる存在の声を、話し合いそれ自体によって浮かび上がらせることが大事だということです。そうした声は、 “われわれ国民や市民” の権利の限界を問い直すでしょう。そのように権利を繰り返し問い直す行為こそ、私は “民主的” であると理解しています。もしかしたら、こうした行為は“スマートさ” “整然さ” そして “明るさ” だけでは語れないかもしれませんね」
冨永「いまの議会制民主主義は、既得権益の代弁にすぎないのでしょうか」
川口「私は議会制民主主義を全否定したいのでもありません。『太陽花学運』もですが、そのあとの『反核デモ』では、現状追認というのが真実のようですが、第四原発建設 “停止” を一応は表明したわけで、まだ台湾の政府や国会は、社会運動という形で発せられる声を聞き届けようとする姿勢はあると思うのです。それに対して、日本の状況はもはや絶望的に思えて…そんなこと言って嘆いている場合ではないのはわかっていますが」
冨永「そもそも私は何に対して怒ることが出来るのか。今回の『太陽花学運』に接しながら考えたことです。例えば、消費税が増税されたことに不満はある。しかし、怒りまでは感じていない。仮に怒りを感じたとしても、国会を占拠するという話にはならない。だから、台湾の人たちはどうしてあんなに怒れるのか。同時に、私は何に対してならちゃんと怒ることが出来るのだろうか。これは個人の問題なのか。それとも日本社会の問題なのか。この怒りについて、狩集さんもご自身のレポートに書かれていましたね」
狩集「僕自身の話になりますが、僕はそもそも怒る性格ではなくて、どちらかというと外側から世界を眺めているような人間でした。でも、それが変わってきたきっかけがありました。それは『宮崎ピカデリー』という、宮崎の街に33年間根付いた映画館の閉館(2007年12月閉館)でした。僕は映画館に毎日通いながら取材をしましたが、その過程の中で町の色々なしがらみが見えてきました。例えば、オーナーの世代交替があったんですが、新しいオーナーは前オーナーに比べさほど映画に関心がなく、このタイミングで郊外に大型ショッピングモールができ、その中にシネコンが併設され、映画館は勿論、市街地から人がいなくなりました。そこで舵取りを任された支配人も閉館を余儀なくされるんですよね。しかし、ピカデリーを必要だと主張する人たちもいて、一生懸命署名を集めたりしていました。それでもこの映画館は結局閉館してしまうんです。最終日には大勢のお客さんが来館し、涙しました。 そういう状況を目の当たりにして、自分たちの意見とは関係なく社会がどんどん決められていくという状況があって、そこに世界の縮図を見たような気がしました。さらに、311大地震が起きる少し前に、命に関わる大事故に遭ったこともあって、これはうかうかしていられないという気持ちになり、良からぬ方向に物事が進んでいく状況に対して、不安感やイライラ感を徐々に出すようになっていき、自分なりに行動するようになっていきました。だから、僕は内心では怒っているんですけど、しかし、どのように立ち向かったら良いのかが分からない。今回の『太陽花学運』を見ていて、どうやって学生たちが立ち向かっていたのか、あるいは、自分がいざという時にどのように行動すればいいのかを勉強させてもらった気がします」
冨永「私はさっき怒れないと言いましたが、怒れる時もあります(笑)。例えば、子どもの頃から家の近くにあった森が伐採されたのを知って怒りを感じました。自分の記憶と繋がる場所が無くなったことへの怒りです。しかし、原発や米軍基地、消費税増税のような問題に対して不満はあるけれど、それに怒りを感じているだろうか。一方で、森が伐採されて大切な場所が無くなったという自分の経験から、例えば、原発事故によって離郷を強いられた人びとの気持ちを察することが出来るのかもしれない。大切な場所を失ったという自分の経験を媒介とすることで。しかし、この場合は、怒りではなく、悲しさやしんどさといった感情を強く感じます。そう考えてみると、 “怒りを感じるか・感じないか” という問題には、ある問題を “自分の問題として感じることが出来るか・出来ないか” が、どこかで関係しているように思います。では、どうしたら原発や米軍基地の問題を自分の問題として感じ、怒ることが出来るのでしょうか」
狩集「いま、取り組んでいることの一つですが、宮崎の諸塚村という辺鄙な村の撮影があります。そもそもは、神楽と呼ばれる所謂祭りの撮影がきっかけだったのですが、村やそこでの人々の営みに興味を持ち、日常の様子や風景を継続的に撮影しているわけです。それは、村のいま行われている営みに、僕がなにか未来のようなものを感じているからかもしれません。諸塚では、村人たちみんなひとりひとりが “生きること” を自覚し、自分たちが生きて行く諸塚がどうすれば良くなるかというのを常に考え、そして行動に起こします。その行動は、彼らの衣食住、仕事、家庭、遊び、すべてに繋がっているのです。鶏を自分で育て、捌き、食す。畑を自分で耕し、野菜を育て、食す。樹木を伐採し、それで柱を組み、家を建てて住み、伐採した後には新しい樹を植える。諸塚の森は、FSC認証(独立した第三者機関が、森林管理をある基準に照らし合わせ、それを満たしているかどうかを評価・認証していく制度)を受けています。物事の発生、収束、はたまた循環を常に目の当たりにすることができます。コミュニケーションも長老格から生まれたての赤ん坊まで、分け隔てなく取られるのを見ます。もちろんいいことばかりではありません。自分の行動ひとつひとつ、常に責任を問われることもあるし、村中みんな知ってる顔だけに、面倒くさいことも大なり小なりあったりもするようです。そこでの営みは、仕事や生活を徹底的に細分化され、しがらみも少なく一見便利に思える現代の生活とは程遠い世界です。しかし僕にはこういった諸塚の営みに未来があるように思えてならないのです」
川口「私は怒ってばかりの人間なので(笑)。個性もあるでしょうが、おふたりは、社会という言葉や、社会なるもののイメージが切り崩されてしまった世代なのかな。社会とはそもそも何か、どこにあるのか、というのは難しい問題なのですが、元祖ネオリベの代名詞であるイギリスの政治家マーガレット・サッチャーは、80年代に “社会” なんてものは存在しないと主張します。あるのは、国か家庭か個人だと。つまり、様々な関係性から織りなされる社会なるものを消していくのがネオリベの大きな流れ。みんなバラバラな存在であることを強いられる。あるいは、さまざまな違いをないものとしてナショナリズムでまとめあげられる。社会に対する具体的イメージが一旦削ぎ落とされてしまったときに、社会なるものをどのように取り戻すことが出来るのか。それをお二人は、森や映画館、小さな農村の営みのように、自分たちにとって具体的に目に見えるところから取り戻そうとしているのかもしれませんね」
冨永「私たちは社会うんぬんの前に、怒りという感情が去勢されているのかなあ(苦笑)」
川口「いま、多くの人たちが、自分の周辺、あるいは自分の内部にも、なにか理不尽な力によって損なわれ、奪われているものがある、そんなことを感じることからも遠ざけられているのかもしれません。若者だけの問題ではなくて。ただ、 “怒り” という感情は、自分や他人を傷つけ、自分が信じる正義を絶対化してしまう暴力的なところもあります。ネット上のヘイトスピーチなどは、それが “憎悪” になって他者の攻撃に向かっていますね。 “怒り” という感情をそのような負の方向ではないところへと、向かわせるにはどうしたらよいのか。まだ考えがまとまらないのですが。話は飛躍しますが、 “怒り”といえば『 “怒り”の広島/ “祈り” の長崎』などという言われ方がありました。同じ被爆地でも原爆投下に対する向き合い方が違うと。ほんとにそうかと疑っていますが、そもそも “怒り” と “祈り” という感情を別個のものと切り分けるのが妥当なのか。どこか二つの感情は深いところで繋がっている、繋がっていた方がよいと思ったりするのですが」
狩集「おもしろいですね。またその話、どこかで聞かせてください。全く逆とも思えるような感情が同一のものであるという見解、とても興味があります」
川口「はい。そろそろ今日は時間も時間ですし、この鼎談はひとまず終えようかとおもうのですが、最後にお二人に一言ずつ聞いてみたいのですが、ずばり、『太陽花学運』から何を学んだと思いますか?運動への関わり方は色々あったと思いますが、『太陽花学運』が他人事ではないとしたら、これは大事な経験だと思えることはありましたか?」
冨永「一言で言えば、もっとちゃんと怒れるようになったほうがいいのかも。 “怒り” が『太陽花学運』の大切な言葉、キーワードになっているよう気がしていて、 “怒り” がこれだけの大きな力を生み出したことはやっぱりすごいなと思いました。だから、私はもっとちゃんと怒れるようになったほうがいいのかなぁと思いまた(笑)」
狩集「私は、この世界に “他人事感” が蔓延しているような気がして、それがすごく気になっています。しかし一方で、僕は真面目な性格で、あまり決まりごとを破るような大胆な人間じゃないものですから(苦笑)。だから、決められたことでも、ある程度その壁を壊して自分の主張をぶつけちゃっていいのかなと思いました」
川口「私は私で、いざ何か事を起こす時に、どこまでどうしたらよいのか。今住んでいる場所でどのようなことができるのか。そんなことをいろいろ考える機会になりました。また、ほかの人も交えながら、あれこれ考えを交換していきましょう。今日はありがとうございました」
(2014.7.11)
川口隆行(かわぐち・たかゆき)
1971年福岡県生まれ。広島大学大学院教育学研究科准教授。専門は日本近現代文学・文化史研究。特に、1)カタストロフィと文学(原爆・戦争、公害、震災)、2)植民地主義と文化、3)五〇年代戦後文化運動などに関心がある。2001年夏から2008年春まで台湾の大学(大葉大学、東海大学)で教鞭をとっていた。
冨永悠介(とみなが・ゆうすけ)
大阪大学大学院文学研究科博士後期課程。台湾近現代史・移動史。
狩集武志(かりしゅう・たけし)
1982年宮崎県出身、宮崎県在住。写真家。柔術家(バッファロー柔術所属)。
KAGULABO(宮崎神楽研究室)共同代表。宮崎ドキュメンタリーフォトフェスティバル実行委員。第36回宮崎県高等学校総合文化祭写真部門講師。
音楽関係の活動を中心としながらも、昨今社会面での活動も目覚ましい注目の若手写真家。