2012年は10月頃まで続いた温湯処理。三陸の一部だけでみられる特別な方法だ。
春まで育てられた米崎の牡蠣は、冬場に比べると身が2~3割ほど大きく、味も濃厚になる。
「牡蠣は手をかければかけるほどよく育ちます。だから絶対に手を抜かないんです」。学さんの言葉どおり、牡蠣養殖は息つく間もなく一年中作業が続く。2011年春、まずは宮城県の松島でわずかに残っていた種牡蠣の買い付けからはじまった。ホタテの貝殻に付いた指の爪ほどの種牡蠣は、本来電動器具を使って間引きが行われる。ところが本来使われていた作業場は骨組みを残すのみ。テントを張って雨風がしのげるだけの状態だった。当然電気の力は借りられず、工具を使っての手作業が続けられた。脇ノ沢港に残されたのは丸吉丸ともう一隻のみ。船を失った漁師たちが交代で乗り込み、たった二隻で牡蠣や筏を運び、沖と港とを何度も行き来する。造船場はどこもパンク状態、筏を作るための資材も供給が追いつかないことがしばしばだった。「何年待てば、仲間の船や筏が取り戻せるだろう……」。気が遠くなりそうだった。
驚かされたのは夏の作業、〝牡蠣のお風呂〟だった。長い間海中にロープを吊るしておくと、牡蠣の周りにムラサキガイや海藻がびっしりとこびりつき、栄養を奪ってしまう。そこでそのロープを一本一本引上げ、65〜70℃のお湯に浸けていく作業が繰り返される。「牡蠣が茹だってしまうのでは?」と素人目からすると焦りさえ感じてしまう。「牡蠣は熱に強い生き物です。こうすることで周りの貝が取り除かれて、牡蠣だけが生き残るんです」と学さんが丁寧に教えてくれた。炎天下、熱湯の傍で一日中続く作業は体力との闘いでもある。
牡蠣を育てるのは2年がかりだ。自然が漁師たちの努力に応えるまでには時間を要する。2012年秋、ようやく迎えた震災後初の出荷の量は例年の1割程度、それも加熱用剥き身牡蠣のみに留まった。辛うじて残った種牡蠣、数少ない船や作業場ではこれが限界だった。そこから更に1年の踏ん張りを経て迎えた2013年秋、仮設の作業場の前には滅菌のための水槽がずらりと並んでいた。遂に生食用殻付牡蠣も、今シーズン復活が叶ったのだ。「久しぶりだから手順忘れて手際悪いなあ」と、少し照れながら洋一さんが大ぶりの殻牡蠣を箱から溢れるほどいっぱいに詰め込む。今期の出荷量は、例年の4割まで回復する見込みだ。
ほとんど休む間もなく走り続けてきた佐々木家の親子だが、3年が経過しても尚、お祖父さんの健太郎さんは行方不明のままだ。しかし、「大切なのは海を恨むのではなく、自然に対する畏怖の気持ちを抱くことなんです」と洋一さんは穏やかに語る。自然には到底、歯が立たない。長年海に触れ続け、身に沁みて感じてきたことだった。「悔いるべきは、それを分かっていて海近くに家を建てた自分たち自身のことです。浜の仕事をしていれば、浜の傍に家があった方が楽ですから」。だからこそ新しい家は、高台に建てることに決めた。今後、親を救えなかったあの悔しさを、自分の孫子に味わって欲しくない。そのためには自然に抗うのではなく、自然の力を認めた上で、命を守るための選択をしていかなければならないのだ。
2013年夏の『浜の繋がリズム』。牡蠣むき、ワカメの芯抜き、漁具作りなど体験の中身は多様。
牡蠣の間引き作業はお母さんたちが中心。何気ない会話が息抜きだ。漁業の復興が地域の再生に繋がっていく。
一方、学さんは、牡蠣養殖と同時に新しい取り組みを始めていた。「海は恐いだけの場所ではありません。小さな頃は家に帰るとすぐに浜に走ったほど、長年親しんできた大切な場所です。まずはその魅力に触れ、体感して欲しいんです」。そんな想いを込めて始めたのが漁業体験ツーリズム『浜の繋がリズム』だ。船上から旧市街地を臨み、海の作業を体験した後、実際に自分たちが水揚げした牡蠣を市内の飲食店で味わう。そんな街を巻き込んでの取り組みが少しずつ実を結びつつある。ゆくゆくはその輪が広がり、新たに漁師仲間がこの浜に加わってくれることも目標のひとつだ。
あまり知られていないが、牡蠣が本当に美味しい時期を迎えるのは、雪解け水が植物プランクトンを運ぶ3月から5月頃なのだそう。この時期こそ、こだわりを前面に出し、米崎牡蠣の価値を高めるチャンス。「陸前高田【米崎産】雪解け牡蠣」と名付けたその牡蠣を、直販を含めこの春売り出した。手探り状態で始めたものの、予想以上の反響を呼び、早々に品切れという嬉しい手ごたえが返ってきた。「美味しかった」「ありがとう」と全国から届くお客さんの声が、海の上での励みになった。こうして新しい取り組みが次々生まれることにより、三陸全体が活気づくのではないか。そんな新たな期待も生まれたという。「この街が被災地だという面だけではなくて、ここにこれだけ誇れるものがあるということも伝えていきたいんです」。海とともにもう一度、立ち上がる。学さんの決意が言葉のひとつひとつに宿っていた。
震災後も、小さな津波、台風、洪水など、様々な自然災害がこの街を襲ってきた。漁師たちが闘っているのはあの震災の爪痕だけではない。それでも日々、海の恵みを届け続ける浜人たち。海と共に呼吸するこの街と共に、彼らは一歩、また一歩と未来へと踏み出している。