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三年後の捜索活動〜福島県双葉郡大熊町〜娘が生きた証をつかむ。

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福興浜団のボランティアを見送る、上野さんと娘の倖吏生ちゃん。

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瓦礫の山をかき分ける木村さんと福興浜団の仲間。

2013年12月、その年最後の捜索に木村さんと浜団の仲間が大熊町に入った。破壊された防波堤のそばに巨大な瓦礫(がれき)の山がある。その年、いわきで瓦礫の中からふたりの遺体が発見されたことがあって、木村さんもこの瓦礫の存在を気にしていたが、その途方もない量を前に2年9ヵ月もの間、手を出せずにいた。

帰宅困難地域への一時帰宅が許されるのは月に一度だけ、滞在許可時間はわずかに5時間。放射線量が依然高いからだ。しかも、入れるのは乗用車一台で、運べる人員は5、6人に過ぎない。いくら浜団の応援があっても、雲をつかむようなものだとわかってはいる。

「でも、やめられない。見つかる見つからないの問題じゃなくて。まわりに自虐的だと言われるけど、捜すのをやめれば汐凪との繋がりが終わってしまう。このままで終わってしまうのは悔しい」

12月だというのにやけに暖かい日だった。水平線まで見渡せる海は凪(な)いで、陽光に照らされて碧くキラキラしていた。浜団の仲間はスコップや熊手で黙々と瓦礫の山を削り、瓦礫と生活に関わるものとを分けた。

「あれ、これ、俺のブーツ」

泥まみれの黒い靴を手に、木村さんが少し声を上ずらせた。驚いたことに、瓦礫から見覚えのあるものが次々と出てきた。深雪さんのアディダスのセーター、家にあったトトロのぬいぐるみ、舞雪ちゃんが小さいときに乗っていた自転車…。

「信じられない。ここらへんは宝の山じゃないか!」

木村さんの顔にこぼれた笑みに、浜団の仲間のテンションもぐっと上がった。

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瓦礫から出てきた汐凪ちゃんの体操着。

「これ、汐凪ちゃんのじゃないですか」。浜団のひとりが泥まみれの青い体操着を持ってきた。縫い付けられた白いワッペンを見ると、「きむらゆうな1年2組」と読むことができた。「オォー」男たちの低い唸り声が響いた。

「震災後、こんな気持ちになった日はなかったなぁ」。木村さんにとって、その小さな体操着は大きなギフトに違いなかった。こんな小さな奇跡を積み重ねながら、少しずつ止まった心時計の針を動かしていく。

時刻は14時を回った。時間切れだ。遺品は雨風で傷まないようにコンテナボックスの〝宝箱〟に収納し、自宅跡に残す。〝宝物〟は除染しなければ持ち帰れないからだ。

「汐凪のものは少ないから嬉しい。駄目だとわかっているけど、やっぱり出てきてほしいなって思ってしまう、汐凪がね」

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ロケットストーブの火を起こす木村さん。

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家族を見守ってほしいと、自宅裏の高台に慰霊碑と地蔵を建てた。

現在、木村さんは舞雪ちゃんと長野県白馬村に移住し、ペンションを始めている。生きる力を奪った電力会社に頼りすぎることなく、自分で生きる力を取り戻す実践の場にしようと試行錯誤を続ける。ドラム缶で作ったロケットストーブはその象徴だ。薪を燃やして出る煙を再燃焼させて部屋を暖め、薪を節約し、煙の排出を減らす。電気製品は必要最低限しか持たない。「どうしてうちには電子レンジないの?って舞雪に聞かれて返答に困るんですけどね。俺のわがままですかね」。

国は中間貯蔵施設の受け入れを大熊町に要請している。原発事故の除染で出た汚染土などを、最終処分場が見つかるまで一時的に保管するための施設だ。その計画地には木村さんの土地も含まれている。

「中間と言うけど最終ではないのかという疑問があるし、国に土地を買い取られて立ち入りできなくなってしまえば、汐凪との繋がりがなくなってしまう。それだけは絶対許せない」

熊川地区のお寺が遺品の保管を引き受けてくれることになった。そこを基点に木村さんは活動を続けるつもりだ。家族がここで生きたことの意味を、このような事態になってしまったことの意味を問いかけながら。

(2014.6.20)
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