後藤「THE BACK HORNってそういうやり方だよね。たぶん、残りの3人も決して口が達者なわけじゃないから(笑)」
松田「そうそう(笑)」
後藤「発言する前に、まず姿勢や音、歌で伝えるっていう」
松田「歌詞も全員が書くからね。でも、全体的なコンセプトとかは決めなくなってるの。一人ひとりの感じ方がもっと前面に出てきていいと思うし、テーマも任せてるんだけど。ただ、ズレが不思議とないんだよね。もともとTHE BACK HORNって……なんて言うのかな、世の中が幸せであればあるほど、楽しそうであればあるほど『おめぇらいつか死ぬってこと忘れてねぇ?』って言いたくなる。そういうことを歌ってきたつもりのバンドなんだよね」
後藤「うんうん。確かに」
松田「でも今、みんながその事実を目の当たりにして、悲しみも原発のヤバさも共有してるはずで。そういう時、逆に俺らはもっと希望を歌うべきなんじゃないかって。もともとそういうバンドだった俺たちが意識的に希望を歌うことで、より上手く伝わることもあるんじゃないかな、っていうか」
後藤「それ、みんなで歌詞の打合せしたわけじゃないんでしょ?」
松田「してない。でも出てきた言葉を見れば覚悟がわかる。栄純が書きたかった希望の覚悟、とかね。“お前、やっぱ薄っぺらな希望は信じてないよな、そういうヤツが書く希望だよな"とか、そこまでわかるとすごく信頼できる(笑)」
後藤「今のマツの話を聞いただけでも感心する。やっぱ詞を書く人間ってすごいよね。覚悟が違うと思う。音楽に言葉を乗せるのって、イメージとかフィーリングじゃ済まないじゃない? 曖昧な色合いとかじゃなくて、絵画で言うなら実線をビシッと引く感じに近いから」
松田「あぁ、そうかもしれない」
後藤「それができるのは、やっぱり覚悟なんだよね。震災の後、俺、曲書くのがちょっと怖かったの。すごく迷ったけど、でも、この決意でやっていかないともうダメだと思った。つまり、ある種の不謹慎さを恐れてはいけない、ってこと。書くっていうことは、本来そうあるべきだなとも思った」
松田「うん。ウチらも震災直後のライブで、昔の曲をどうやってやるのかすごく悩んだ。本当に乱暴な歌詞……それこそ〈腐って死ね〉みたいな言葉まであって」
後藤「はははははは!」
松田「自分でも“うわっ!"と思うじゃない(苦笑)。そういう意味で、自分たちの背景っていうのも確認した時期だったけど。でも、じゃあこれから先にどういうものを残していくのかって考えた時、本当に誰も傷つけないことを書こうとしたら何も言えなくなるって思ったの。自分たちがちゃんと伝えたいと思うなら、嫌だと思う人もいる、でもその向こうにまでちゃんと届けるんだっていう覚悟が必要で」
後藤「うん。そうだよね」
松田「で、その時に俺が一番思ったのは、やっぱり簡単なものじゃないとダメだなってことだった。簡単っていうと語弊があるけど、単語とか言い回しは簡単なものであってほしい。そういう言葉を重ねていくと、見た目は淡くて優しいものになるんだけど、伝えようとしている風景とか想いは本当に深いものにならなきゃいけない。それはすごく考えるようになった。ニューアルバムの歌詞も、そこは意識したかもしれない」
後藤「確かに、文語調にすれば賢そうだし、難しいことを言ってるように思えるけど、谷川俊太郎さんみたいに子供が読んでもわかる書き方で、ズバッと言い表してる歌詞のほうが凄いんだよね」
松田「ね。俺も大好き、谷川俊太郎さん。だから、たとえば希望をちゃんと描きたいと思っても、ただ“希望"って書けばいいわけじゃなくて。その描き方なんだよね。たとえば“行こうぜ!"って力強く言うのか、それとも“月が、そういうふうに俺を見ていた"って描くのか」
後藤「………ふふふふふ」
松田「あれ? なんで笑ってんの?」
後藤「いや(笑)、咄嗟に出てくる喩えが “月" なんだなぁと思って」
松田「はははははは! この俺の浅さ!」
後藤「いやいや、浅くないよ(笑)。なんかいいなぁと思った(笑)」
松田「でもさ、純粋に音楽を感じてるときって、メロディがいいとか、この言葉に共感したとか、それだけの理由じゃないはずで。自分がなんで音楽好きになったかを思い出してみると、時として、それは曲だけじゃ決してなかったんですよ。音質とかアートワークも含めた匂いであったり、あとは自分の勝手な記憶とかが混ざっていたり。だから言葉を簡単にするっていうのは、より、みんなの傍に寄り添えるものになることじゃないかなって思ってる」
後藤「歌詞の一節だけを覚えるんじゃなくて、総合的な記憶になるもんね。確かに、自分の中で名曲だと思うものは、CDを買いに行った時のことを鮮明に覚えたてり、当時の友達とか恋愛関係もごっちゃになった体験として残ってる。そのほうがポップ・ミュージックとして魅力的な気もするなぁ。俺、たまに『別れた彼氏がアジカンを好きだったから、しばらくずっと聴けなかった』みたいな言葉をもらうけど、そういうのってむしろいいじゃん? それくらい、その人たちの普段の感情の起伏と結びついていられたってことだから」
松田「それってすごく可能性があることだよね。だから、たとえば社会的なメッセージとか具体的な主張を作品にして残していくのか、もっと聴き手の鏡になるような言い方で、“あぁ、俺ってこうだったのか"って気づかせるような作品にするのか。今の俺は、後者のような歌がいいと思ってる」
後藤「たとえば将司くんの歌詞はどう思った? 今言ったマツのタッチとは真逆というか。今回の彼の歌詞は、THE BACK HORNも恐れずに社会的なことを歌うんだっていう決意があるように聴こえたのね。振り切れてるなぁって」
松田「もちろん将司としてのメッセージはすごくあると思う。それが結果的にTHE BACK HORNのメッセージとして響くのも構わないし。ただ、結局は書き方、伝え方の違いがあるだけで、思ってることは一緒だと思う。ずっと同じ時間を過ごしてきたメンバーだし、今さらここに来て『お前が考えてること、俺は理解できねぇ!』みたいにはならないというか(笑)」
後藤「ははは。そりゃそうだよね」
松田「で、将司の歌詞も、結局“自分自身でも気づかないことがもっとあるんじゃないの?"っていうことを歌ってるんだと思う。それをどう伝えるかを考えた時に、あいつは振り切ってガッツリ書いたほうがいいと思ったんだろうね。もちろんドキッとする言葉だし、場合によっては人を傷つけるじゃない。でも俺は、将司が“気づくのは俺だ、俺たちが気づかないでどうすんだ?"っていう前向きなメッセージを発したかったんだと解釈してるし、そこにすごく共感する。同じメンバーとして良かったとも思うから」
後藤「なるほどね」
松田「みんな、いろいろ想いはあるじゃない? でも最終的には同じこと思ってるはずなの。幸せになりたいし、これ以上悪くなってほしいなんて誰も思ってないし。で、俺は今回、特に『ホログラフ』っていう曲の歌詞で考えたんだけど、よくある“失ってから気づく幸せ、それが大事だった"みたいな論調にすごく違和感を覚えるの。それって自分で納得してるだけじゃないか?って。誰もが今ここで一緒にいられるのが幸せだって思いたいし、そう思えるように日々を生きてかなきゃいけない。かといって、それを“あたりまえの幸せ"って呼んじゃうことにも違和感があったし。そこで言葉を選んでいくと、自分でも、この表現すげぇ恥ずかしいなって思う瞬間があったけど、でも、そこまで向き合って書けたっていう感覚があったから。たぶんね、3年前だと書けなかった。“とにかく今はこうなんだ!"っていう焦りもあったから。将司もそうだと思うけど、今だからやっと書けるようになった言葉っていうの、意外と多いかもしれない。」
後藤「わかるよ。俺の場合ね、3年経って当時と歌詞が変わったとすれば、言い換えられるようになったこと。震災以降は特に、自分の経験にしても原発についての歌にしても、直截的なことをドキュメントとして書いてたけど、今はそうじゃなくて。震災を経てさ、生きてることが……自分でも愛おしいなと思うわけ。で、そういう歌を書こうとすると、テーマは死ぬことになっていったり、でも歌詞としては少女が恋をした歌になっていったりね。たぶん、フィクションとして言い換えができるようになった。それは3年前、全然できなかったの」
松田「あぁ、俺、この前のゴッチのブログ読んですごい感動した。『スタンダード』って曲の歌詞。あれ、めちゃくちゃいい!」
後藤「あれも今だから書けた歌詞。何かにエールを直接送るんじゃなくて、街角で歌ってた少女が世界を変えちゃったっていう話に変えて。ほんと、いつの時代かわかんない歌詞になっていると思うし、自分でも気に入ってる」
松田「そういうふうに残っていくの、特に音楽では大事だと思う。物語として残るもの……というか。そのほうが伝わりやすい」
後藤「ある種のフィクション性ってことだよね。ドキュメントはどれも胸に迫ってくるし、ああいう表現も大事なんだけど。でも俺たちがやっているのは創作だからね。創作だからこそ想像力をさらに何掛けかして、人々の心により深く刺さるように届けていくっていうのが、これからのものづくりの基本であって欲しいかな」
松田「そうだね。現実を知るにはドキュメンタリーが一番大事でしょ。それに敵うものはなくて。だけど音楽にそれを無理やり持ち込むのは大変だし、時代に関係なく残っていって、みんなの心の中で何倍にも膨れ上がっていって、無限大に想像できる“何か"になるのが音楽の素晴らしさだと思うから。やっぱりね、残せるものって大事。だからこそ、何を残すのか、その音や言葉に何を残していけるのか真剣に向き合っていかなくちゃいけない。そういう部分に、俺たちは可能性を見出していきたいな」
松田晋二(まつだ・しんじ)
1978年生まれ、福島県出身。THE BACK HORNのドラマー。1998年にTHE BACK HORNを結成。"KYO-MEI"という言葉をテーマに、聴く人の心を震わせる音楽を届けていくというバンドの意思を掲げている。2001年シングル『サニー』でメジャーデビュー。また、2010年に福島県出身のミュージシャンやクリエーターで結成された猪苗代湖ズにも参加。2011年震災直後に緊急配信された「世界中に花束を」は収益金が震災復興の義援金として寄付されている。2014年4月9日に、10枚目となるオリジナルアルバム『暁のファンファーレ』を発表。同作では、2曲の詞を手掛ける。同作を携え5月1日から7月10日まで、「KYO-MEIワンマンツアー」〜暁のファンファーレ〜を展開。