南相馬市・40代女性(主婦)

元々自宅は相馬市内の浜の近くです、震災で流されてしまいました。今住んでいる仮設住宅は、相馬市内の山の方、柚木(ゆぬき)にあります。いま、下の弟が幼稚園年長、上のお姉ちゃんは小学校3年生です。

小学校は高台にあったから、流されませんでした。上の子は仮設から出ているスクールバスに乗って、そこに通っています。幼稚園は現在、年長と年少が5人ずつしかいません。元々、児童数は少なかったんですけどね。津波がトラウマになって、内陸部の街に転園・転校した子も多いです。

うちは元々南相馬にあったんですが、一度仙台市内に引っ越して、また南相馬に戻ってきてたんです。それで、やっとこちらに慣れたかなと思ったら……津波で全壊。子供たちも、ショックが大きかったようです。同級生が、流されてしまって…。プールには入れるけど、海は怖がります。思いを言葉にしきれていないだけで、深く傷ついている部分がたくさんあるんだと思います。小学校に避難した子たちは、高台にあったから実際に波は見ていない。中学校は海が見える位置にあったので、そっちに避難した子たちは波を見た子が多い。熱を出して寝込んだ子どもたちも、たくさんいたそうです。

震災後、街の方の学校に転校させようかとも考えました。けど、仮設から学校までバスが出るようになった。せっかく南相馬の学校に慣れたのに、また転校させるのはどうかなと思って、やめました。ただ、今いる仮設を出ることになったら、いずれは転校せざるを得ない。そのことを分かっている上の子は、少し落ち込んでいます。

最初の避難場所は近くの小学校で、それからすぐに街の方の施設に移動しました。その後、仮設には震災後3ヶ月後くらいに、やっと入れました。あの頃に比べると、こどもたち、元気にはなってきています。

上のお姉ちゃんには、仙台にいるときに、どもりがあったんですね。南相馬に帰ってきたら治っていたけど、震災後はまた少し出てきてしまった。私も自分のことで精一杯で、なかなかちゃんと構ってあげられなくて、もどかしいです。

遊ぶ場所は、室内の方が安心ですね。外はやっぱり不安です。ただ、最近は幼稚園でも数値を測って大丈夫なら、外でも遊ばせているみたいです。砂遊びをした後は、必ず手をよく洗うように言っています。震災後しばらくは、外遊びするとき、マスクをつけさせていました。学校でも、「外に出る時はマスクを」という指導をしていました。今思えば、子供たちもマスクつけるのは嫌だったろうけど、大人がピリピリしてたのを肌で感じて、空気を読んで嫌がらずにつけていたんだと思います。

元々、南相馬には公園が少ないです。相馬などの市街地には多いけど。だから、このあたりで外に遊びに行くって機会には、よく海に行っていました。今ではそれはムリなので、外で遊びに行く場所というと、ゲームセンターみたいな所になってしまう。

仮設の中に同い年くらいの子供たちは結構いますね。ただ、仮設だと出たり入ったりが頻繁にあるから、仲良くなり方が難しいのかも。うちは、親と一緒に仮設住宅に入っています。それで、仮設のちょっと離れた所に、子供たちの面倒を見てくれる福祉施設があるんですね。一度そこに預けようと思って、子供を連れていったら「(親が)同居してるからムリ」と断られてしまいました。「同居してるけど、必要なので、対応してくれないか?」と市役所に頼んだりもしたけど、無理でした。制度上、しょうがないんだろうけど。

南相馬には子供が遊べる施設とかってほとんどないけど、原町とかには色々あるみたいですね。あと、相馬市にも。向こうの方が街も大きくて、こちらよりも小さい子が多いから。南相馬に比べて、震災後にそのまま地元に残っている人たちも多いです。
以前はこの地域にも、火力発電所の近くに子供たちが遊べる「わくわくセンター」という施設があったんです。土日には、たくさんの子供たちで賑わっていました。でも、今回の津波でなくなってしまった。「ああいう遊べる所が、今こそあればいいのに……」と、周りのママとはよく話しています。そういう場所がないと、休みの日「どこ行く?」となった時に、身構えてしまう。ストレスになりますよね。何にもアテがない時に「とりあえず、あそこに行こう」という場所が、できてくれたらいいなぁと思っています。